ヌーソロジーで、「シリウス革命」を、復習してたら、非常に気になった所を見つけたので、そのまま抜粋です。
《ホロニック・ペンターブの説明の所と、オコツト達の「数」の考え方の話》
彼らは、まず「5」という数を無限の象徴として扱う。妙な言い方になるかもしれないが、彼らは「1」よりも「5」が先行して存在していると考えるの
だ。そして、この、数以前とも言える至高の「5」によって、「1」の観念を作り、これを存在が出現するための負荷と定義している。次に、そうやって生まれ
てきた「1」から、続く「2」「3」「4」「5」までの数に例のタカヒマラにおける基本概念――定質、性質、反性質、反定質などの意味合いをそのままダイ
レクトに当てはめ、宇宙のベーシックな構造を組み立てている。つまり、彼らにとって数とは言語そのものなのである。よって、彼らにとっての「2」とは、創造における第一分化のことを意味しており、「2」=対化と考える。すなわち、「1」が定質で、「2」が性質
だ。よって、定質がなければ性質は存在することができない。それが性質に与えられた「反映」という概念の真意である。つまり、数において「2」が「1」を
含んでいるように、性質もまた暗黙のうちに定質を含んでいるのである。続く、「3」とは等化、すなわち定質と性質の対称性を1なるものに戻そうとする作用のことで、つまり反性質のことを意味する。「4」はその反性質に
反映される作用のことで、この作用は「対化の中和」に相当する。「3」と「4」。すなわち、等化作用と中和作用もある意味で対化であるから、これらを付帯
質の対化と呼ぶわけだ。付帯質の対化は次の「5」によって等化されるが、このときの「5」は次の精神システムにおいては「1」として働く。そして、この「1」は同時に新し
い「2」をその反映として作り出し、タカヒマラという精神システムに新たな対化が生まれるといった具合だ。こうしてタカヒマラの運動は飽きることのない5
進法的循環によって永遠に繰り返されえる。当然のことながら、このようなシステムではいつまでたっても真実の「1」には行き着けない。いや、言い換えれば5イコール1、つまり、「5」こそが
顕現できぬ「1」そのものの仮の姿となってしまう。その意味で、「5」なるものとは、彼らにとってまさに無限そのものの象徴となるのだった。そして、存在
世界のすべての作用をこの最終的な「5」へと還元したときの世界を彼らは「オリオンの最終構成」と呼ぶ。その究極の「5」は世界の完成でもあり、また、世
界の始まりを意味する数でもあるのだ。(「シリウス革命」p84~p85あたりから引用)
半田広宣さんの、『差異と反復』の話も、
なんだが、色々と言葉が多くてごちゃごちゃしてきたような印象を覚えますが・・・
要するに、重要なのは、
顕現できぬ「1」そのものの存在と、仮の姿で存在者としてある「5」との『差異』と、
「1」と「5」を永遠に5進法的に循環していくという、「1」と「5」との『反復』なような気がします。