前回の続きです。
◆「現代の若者はどんな意識を持ってるのか」問題について考えてみた その1
~目次~
■「現代の若者は他人からどう見られてるかを気にする」問題について
■学習指導要領の改定の問題について
■オタクカルチャーと「人目気にする」問題
■「現代の若者は権威に反抗することを格好悪いと思ってる」問題について
■1960年代カルチャーと「権威への反抗」問題
■やはり中心にあるのはコンピューター
■インターネット登場という情報革命
■新時代の二分化仮説
「現代の若者は権威に反抗することを格好悪いと思ってる」問題について
それから、書籍『奥行きの子供たち』言われてたのが、
「現代の若者は権威に反抗することを格好悪いと思ってる」という問題。
これ、どうなんだろう?
こう言い切ってしまうと語弊があるかもしれませんが、
確かに、自分もどっちかというとそっち側かもしれない。6:4ぐらいで保守的かもしれません。
けど、別に、革新する意識や、権威への反抗というのが全面的に格好悪いと思ってるわけではないです。
そもそも、「権威に反抗する」って何を指してるのか?
これがイマイチ分からないけど、それ次第なのでは?という気もします。
書籍『奥行きの子供たち』を読んで思ったのは、星乃さんの言っている「私の時代は権威に歯向かう不良がカッコイイって時代だったから。」がどういうシーンのことを指してるのか具体的にイメージできなかったことです。
不良が格好良いってことなのか? 髪をリーゼントにして、暴走族みたいにバイク乗ったり煙草吸ったり窓ガラス割ったりしてれば格好良いってことなのか?
そもそもイメージできないって所がすでに、事が起きてないってことになるけど、とりあえず何のことなのか分からなかった、ので、これに関してはなんとも言えません。
「現代の若者は権威に反抗することを格好悪いと思ってる」の問題は、
以前に書いた『「現代の若者は他人からどう見られてるか気にしてる」問題について』にも近い問題で、
そういう傾向が実際に表れてるのであれば、
何か背景となる原因があるのかもしれません。
これは先にも述べた問題です。
1995年の地下鉄サリンテロの問題もあれば、バブル崩壊の問題や、就職氷河期の問題とか色々あります。
とはいえ、単純に「権威に反抗してる」感じで言うと、
『ONE PIECE』の「モンキー・D・ルフィ」とかは相変わらず人気があったりします。
こういう、スサノオとか孫悟空みたいなトリックスターの元型を持つキャラが人気あるのは、人類普遍的な現象です。
とはいえ、これはあくまでファンタジーでの話なので、
重要なのは「現実社会でどうなのか?」でしょう。
現代で求められているものを象徴的に表してるのが『進撃の巨人』という作品だと思います。
この漫画も「権威への反抗」はテーマにあるし、
王政の改革みたいな話まで実際出てくるけど、もっと現実的で生々しい内容。
特徴として言えるのは、「そもそも権威は何故必要なのか?」が分かるような内容になってるのと、
解決に向かう様子が知略に満ち溢れてることです。
この漫画のように、
「頭を使って権威に反抗するのは格好良い」と自分は思います。
1960年代カルチャーと「権威への反抗」問題
さて、この「現代の若者は権威に反抗することを格好悪いと思ってる」問題について、
昔について調べてみると、重要なことが分かってきました。
それは、1960年代~1980年頃にあったカルチャーの影響が大きいことです。
1960年代にあったことについては、以下の記事でも書きました。
◆サイキックの研究と分析(32) ~1980年代は精神世界のジャンルが流行っていたらしい~
ビートルズのロックカルチャーや、ヒッピーカルチャーが盛り上がったり、
日本では全共闘とか、ベトナム戦争からの反戦運動とかも出てくる時代になります。
どうも昔の人にとっての「権威への反抗」は、この辺のことを指すらしい。
話を聞くとなんとなく「昔は良かった」の空気があります。
ロックは良いものだと思う。この辺のノリは、今でもちゃんと支持している人が影ながらいると思います。
ヒッピーカルチャーはノリが特殊(というかLSDといったドラッグによって盛り上がったことが前提にある)なので、この問題に関しては難しいです。ちゃんとドラッグの在り方についてまで考えておかないといけない。
そもそもビートルズもドラッグやってた的な問題とかもあるし・・・
・・・だからこの辺の問題ってちゃんと考えると安易に語れるテーマではなかったりするのよね・・・
あと、この辺の時代にあったものとして特徴的なのは「全共闘」というものです。
「全共闘」とは何か?
1968年~1969年に起きた大きな運動です。
Wikipediaに色々と書いてあります。
全学共闘会議(ぜんがくきょうとうかいぎ)は、1968年から1969年にかけて日本の各大学で学生運動がバリケードストライキを含む実力闘争として行われた際に、ブントや三派全学連などが学部やセクトを超えた運動として組織した大学内の連合体。略して全共闘(ぜんきょうとう)
末期には内ゲバと呼ばれる内輪揉めや内乱が出てきたりと、失敗も色々とあったようです。
実際にどうだったかは諸説あるとして・・・
年輩の人達の中には、そういう思想が背景として残ってる所もあるらしい。
「デモ」「権威への反抗」「権威への批判」といったものです。
それは反抗というより、「権威への怒り」が見られるものが多いように思います。
そんなこんなで「反抗」というより、「怒り」みたいなことをしている人がよくいる気がします。
現政権を批判する人、現政権を批判するメディア、現政権を批判する野党とか・・・そんな人、そういう言説はよく見かけます。
まぁ確かに現政権の良し悪し、首相や与党のやってることは何が悪いのか、ちゃんと判断していくべきことではあると思います。
ただ、なんでも批判だけしてれば良いというものではないです。
要は、この辺に格好悪いノリがあるので、
権威に反抗するのが格好悪いのではなく、こういう人達が格好悪い・・・と個人的には思ったりします。
頭使わないで反抗してる感じが駄目であり、
集団で思考停止して動くことは、諸悪の根源の一つなのでそれは避けたいです。
先の「全共闘」の例のように、
「権威に逆らう」とは、「集まって戦う」ということだとすると、
重要になってくるのは「デモ」の在り方の話になります。
これもドラッグの問題と同様に難しい問題です。
結果として良い方向に向かっているのか、
思考停止して動いてるだけになっていないのか、
余計なものまで破壊していないか、
ただの自己中心的な欲求で動いていないか。
確かに実行するのが難しい運動なので、やるからにはちゃんと考えるべきことが多いです。
デモとドラッグ・・・
両者に共通して言えるのは「酔いやすい」ことだと思います。
酔って酷いことになってる大人を見ちゃったら、
そりゃそうならないようにするのが正常な若者の判断なんで、
失敗例を見たから避けるようになったケースに関しては仕方がないものです。
それはむしろ自然に起きる判断ということになります。
あくまで、デモ自体は必要なものではあると思います。
政治に対する抑止力というのは何かしらは必要だし、
与党のやってることは全面的に間違ってはいないとしても、全面的に正しいとは限りません。
間違ってる場合は抑止力がないと止めようがないです。
だからこの問題は難しい。
やり方、言い方の問題で善し悪しが分かれるものだと思いますし、
人の話を聞くような態度でないと世の中は変わらないと思います。
そもそも「権威に逆らう」って何なんだろうか?
特に若者が関心ありそうな問題というと・・・
学校はクソ過ぎだろ問題とか、大学の学費高すぎるんだよ問題とか、そもそも何で大学行かなきゃいけない空気になってるの問題とか、ブラック企業は撲滅されて欲しい問題とか。(NHKもやっぱりぶっ壊れて欲しいのとか。)
それからもうちょい成長すると、子供育てるのにもっと金くれ問題とか、保育園が足りない問題とか、というか保育士の労働環境を改善して問題とか、・・・などなどに突き当たることになります。
果たしてこれらに関して力を貸してくれる大人がどれだけいるのだろうか?
若者は立場的に無力でいることが多いので、力を貸してくれる大人がいないと上手く動けないものです。
力を貸してくれないなら、どうにもならない問題はどうにもならないし、
それらに邪魔な大人はくたばっちまえな方向に行くことになりそうなんですが、
果たしてそれで良いんだろうか?
そんなわけで、「権威に逆らう」ってテーマそのものも、よく考えるべきもので難しい・・・
といあえず言っておきたいのは、
「賢く権威に逆らうことが格好良い」という方向にシフトしていければ、
そう悪いものにもならないと思います。
(その3に続きます。)
◆「現代の若者はどんな意識を持ってるのか」問題について考えてみた その3