前回の続きです。
◆「現代の若者はどんな意識を持ってるのか」問題について考えてみた その1
◆「現代の若者はどんな意識を持ってるのか」問題について考えてみた その2
~目次~
■「現代の若者は他人からどう見られてるかを気にする」問題について
■学習指導要領の改定の問題について
■オタクカルチャーと「人目気にする」問題
■「現代の若者は権威に反抗することを格好悪いと思ってる」問題について
■1960年代カルチャーと「権威への反抗」問題
■やはり中心にあるのはコンピューター
■インターネット登場という情報革命
■新時代の二分化仮説
やはり中心にあるのはコンピューター
昔はテレビメディアが中心にあったりして、大衆文化は一言で言いやすかったのだと思います。
『日本人の全世代読本 世代がわかれば人がわかる』という本だと、
「ビートルズ世代」とか「アポロ世代」とか「カモミール世代」とかいう名前で、
それぞれの世代に名称が付いています。
一番話題になったもので、筆者の独断で名前をつけたらこうなったわけだと思われます。
今はエンターテイメントや人気コンテンツがすごく多様化してて、
そういう名前をつけるのが難しくなっています。
ただ、やはり普遍的に影響力を持ってるものがあります。
それがコンピューターやインターネットです。
だから、最近の世代に名前を付けるとしたら、
ファミコン世代、インターネット普及世代、スマートフォン普及世代・・・
・・・あたりが妥当なのかもしれません。
(ファミリーコンピューター、パーソナルコンピューター、スマートコンピューター・・・への進化と言える?)
21世紀に入った現代は、多様化が進んでるようで、コンピューターが中心にあるような所はあります。
「現代の若者」について語るとして、
「色々いる」とは言ったものの、
それぞれ「コンピューターとの付き合い方、距離の取り方」で分析してみると良いかもしれません。
例えば、Facebookやってる系、Twitterやってる系、Instagramやってる系、そういうのはやってない系・・・とかで分けて、それを手掛かりに若者を追いかけてみたりするのはアリだと思います。
あと、「テレビをよく見てる系」と「テレビは離脱した系」っていうのもいます。
テレビも旧時代のコンピューターみたいなものだと思います。
そして、それぞれのメディア媒体には、近い者同士の人種みたいなのが流れています。
「人目を気にする系」は「Facebook」や「Instagram」や「テレビ」に、
「オタク系」は「Twitter」や「テレビ以外」に流れてきやすかったりします。
同じ若者でも、例えば選挙が始まった時になると、
Twitter系は「投票をしよう!」みたいな情報が流れてくることもあるけど、
そういう場にいない人はそういう情報が流れてこないです。
若者で投票にいかないタイプは多分、そういう所にいないタイプだと思います。
自分(Raimu)の場合は、
大体「Twitterやってる系」「テレビは離脱した系」に属すると言えるので、
その辺の様子はだいたい分かるとしても、
その他については詳しくは分かりません。
それぞれの系統は、そこを「住み処」とするようにまとまる傾向があります。
他の住み処のことは、そこに住む人と知り合いになったりしないと、
なかなか詳しく知ることができません。
現代はこのように、文化が「分散」するようになっています。
なので全てを把握するのがより一層難しくなっていますが・・・
要するに、そういう流れになってるのだと思います。
インターネット登場という情報革命
インターネットの影響はとにかく大きい。
人類の歴史全体において大きな革命はいくつかあり、
それは「農業革命」だったり「産業革命」だったりします。
そして、「情報革命」はそれに匹敵するものと言っても良いものです。
情報のやり取りがここまで簡単になったのは凄い。
これに救いを求めてる人は多いと思います。
自分がこうしてテキストを書いてるのも、情報収集と情報発進がしやすくなった恩恵ですし。
インターネットによる無制限通信が普及してきたのは、およそ2000年に入ってからでした。
1980年代生まれ人の場合は、およそ、中高生から大学生ぐらいの頃の話になります。
従って、この辺の時代の「若者」というと、「情報革命と共に生きた者」ということになるので、
「情報革命」が世代を理解するための鍵となっています。
インターネットによる情報流通によって、
大企業や巨大組織の腐った部分の情報の暴露がしやすくなりました。
「都合の悪い情報が隠せない社会」になることで、都合の悪い情報を隠すことによる組織的支配が難しくなりました。
権威ある組織やそこにいる責任者は、信頼を失うような情報を暴露されると多少の痛手を負うことになります。
例えば、企業内でセクハラやパワハラが横行しているという情報が広まるのは企業としてもよくないから、体制を改善せざるをえません。
そもそも、企業は人材育成を真面目にやって、労働環境を快適な場にすることも真面目にやって、商品やサービスの提供も真面目にやって、顧客との信頼関係を築いて利益を得るべきものです。
インターネットによる団結によって、セクハラやパワハラが縮小傾向にあるなら、そして、昔はそれができなかったのであれば、世の中は良い方向に向かっているのでは?と思います。
あと、例えばテレビもインターネットによって地位が危うくなり、Youtubeが対等してきました。
Youtubeでテレビに対抗できるようになった理由は、情報発信のプラットフォームとして優れたものが確立できたからです。
そもそも、Youtubeの方がメディアとしての性能が良い。(いつでも観れる、巻き戻し自由、コメントが投稿できる、スマホでも見やすい…など)
さらに、最近のYoutubeのシステムによって、個人で配信してる人の広告収入の目処も立ちやすくなりました。
これは、個人が力を持ちやすくなったことを意味しています。
お金を得れれば生存が可能であるし力を持つこともできる、巨大な企業に依存する必要がなくなってくる、収入の目処が立つと大きな所への反抗もしやすい・・・
好きなことをするには必ず財源ありきで行われるので・・・こういった側面も重要になります。
こうしたことが「権威への反抗」の有効な手段になっているので、
こういう方向で世の中が改善に向かっていくと良いと思います。
一方で、こうした個人による情報発信によって、
新たな問題や課題が出てくるようになりましたが、
時代はそうした段階に進んでいるんだと思います。
新時代の二分化仮説
インターネットによる「情報革命」と、コンピューターの恩恵は大きいわけで・・・
若くしてこれを手にした世代はこれを使って問題を解決したい所です。
自分みたいにプログラマーの仕事をする人は特にそう考える人です。
それと同時に、コンピューターの弊害というテーマも付きまとってきます。
仮に、コンピューターによって資本主義にある多くの問題が解決したとしても、
今度はコンピューターによって新たに生じる問題に対処することになります。
今はどんどんそっちの方向にシフトしているわけです。
さて、コンピューターとインターネットの登場によって、
新しい格差というか、二分される構造、二つの流れのようなものが生まれていると思います。
昔にあった「二つの流れ」というと、
高度経済成長期で皆と一緒に社会の成長に貢献できるような「資本主義の流れに乗っかっていく人」と、
ロックやヒッピーとかにひかれてそっちに行っちゃうような「資本主義の流れについていけない人」の二分でした。
昔は、社会全体で「大きな物語」みたいなものがあり、
それに乗るのも大きな物語だし、逆らっていくのにも物語がありました。
1990年代ごろから、そうした「大きな物語」が失われてきて、
人々はどういう物語を生きれば良いか、
社会全体には答えがないような世の中になりました。
そして、インターネットによる情報革命の登場によって、
大量の情報が個人で手に入るようになりした。
そんな中で、新たにどういう流れが出てくるのか?
現代は、「多様な情報を処理できる人」と「処理できない人」の二分があるのでは?
と思います。
まず、「多様な情報を処理できる人」とは、
色んな情報収集ができる人であり、
必要な情報と必要でない情報の区別ができて、
必要な情報から物事を判断して、人生を切り開くことができる人のことを言います。
そのためには、それのベースとなる知性を子供の頃から育てている必要があります。
左派思想と右派思想のどちらかに偏りなく、双方を統合するように処理できることや、
スキゾ(分散型)とパラノ(集中型)の両方の長所を持っていることが理想です。
インターネットにある情報と、
「距離をとるのが上手い」ということも「多様な情報に対する処理」に該当します。
SNSとかはむやみに利用しないが、必要なコミュニケーションはできる人だったり、
大量の情報からは離れているけど、必要な情報は得ていて上手くいってる人です。
コンピューターと密着していなくても、
難しい問題に対処する頭は持っていて、
適した判断と生産的な活動ができているのであればそれで良いです。
一方で、「処理できない人」とは、
膨大な情報を得ても無思考になって何も考えられない人のことを言います。
なので、何も考えない方向に向かったり、
難しいことが考えられなかったりします。
その結果、人生選択もつい受け身の姿勢になってしまったりします。
落ちぶれるとスキゾとパラノの両方の短所を持つようになります。
精神病になると境界例的な失調におちいるようになります。
あと、コンピューターと密着して、
インターネットにある情報と付き合っているように見えて、
「何かを過剰に信じているだけ」の場合、これは「処理できていない」のと同義になります。
政治的思想で言うと、左派か右派に極端に偏っていて、
もう一方を過剰に批判したり叩いたりしてるような人です。
偉そうなことを言ってるけど、多くの人が言ってるような他者の意見を言ってるだけに過ぎない、
けど、自分は考えて情報を発信してる側の人間のつもりになってる。
人の話は聞かない。・・・みたいな感じの人。
情報が溢れてる世界だとそういう人も出てくることになります。
そうなるくらいなら、情報と距離を取って上手くいってる人の方が賢いです。
以上、4パターン出てきたので、
整理すると以下のようになると思います。
以上の①②③④の傾向がある中で、
さらに多様なケースが起こりうるでしょう。
インターネットにある多様な情報を上手く処理できれば、
権威への建設的な対抗も目処がたちやすいのかもしれません。
ただ、それができるかどうかは、そういう知性を身につけることができるかどうかにかかっています。
経済的にも、中流以上の収入がないと情報処理は難しいかもしれません。
貧困層ほど情報処理のためのしっかりした知性を育てるのが難しいと思われます。
それか、両親の知能で決まることもあるかもしれません。
そうなると、経済格差に加えて、「知能格差」というのも出てくることになります。
・・・など、新しい二極化について考えると、色々と考えることがあります。
以上。こういうことをキリなく書いていくと長くなりそうなので、
とりあえずここまでにしておきます。