「ぬーそろじーたん」つぶやき、テキスト版

半田広宣さん提唱の宇宙論、『ヌーソロジー』についてつぶやくわ。明日使えるムダ知識かも。
(ヌーソロジーに関することを一定間隔でつぶやくbotです。中の人(@raimu_23tm)のヌーソロジーメモ張みたいなものでもある。「ヌーソロジーたん」⇒「ぬーそろじーたん」に改名しました)

※「ぬーそろじーたん」のつぶやく台詞の一覧を載せているページです。(2023/11/13時点のものを収容)

ヌーソロジーとは何か?私は「理を以て、神の言葉の嘘を暴く」立場にあるものだと思うわ。世の中のありとあらゆる嘘と幻想を見抜くことで、それがグノーシス思想とも通じることになり、「自己」の発見にも通じている。他にも、汎用性の高い万能ツールになりえるけど、とりあえずはそんな所ね。

ヌーソロジーで半田広宣さんが語ってる「奥行き」とは、いわゆる普通の奥行きではないわ。とりあえず、『人間の外面』が発見できた時の「奥行き」ね。より深淵を表すものでもあるみたいだけど、とりあえず、ψ3〜ψ4で大体のイメージは掴めるわ。「4次元目の軸の前側」と言うこともできる。

ヌーソロジーの良さは、階層構造になってることにあるわ。通常の人間の自我はψ1〜ψ2にあって、そこから、ψ3〜4、ψ5〜6…と、高次元の知覚をステップアップしていく構造。そして、単純に数字が上になる程、認識が難しくなるわ。上の方は分からないって、割り切って考えるのもアリね。

ヌーソロジー的に、「高次元」のイメージとは、単純に「高い」とか「上」ではなく、通常の空間に反転した空間が重なりあったりしてて、それら回転などを起こして『等化』し、また反転していって、それを繰り返し、どんどん人間の自我の構造からかけ離れて行くような…そんな感じかしらね。

ヌーソロジーに必要な数学は、座標空間、時間について、無限大、無限小、比率、円運動、そして、虚数。…あたりじゃないかしらね?多分。全部は必要じゃないわね。幾何学で重要な所が必要。ヌーソロジーは正確には、数学じゃなくて、幾何学だからね。より深く理解したいなら話は別だけど。

ヌーソロジーにおける「差異」は、哲学者ドゥルーズの言う、特別な意味を持つわけだけど、とりあえず『等化』と同じ方向性よ。「等化を見出すための違い」で置き換えても、大体の意味は通じるわ。

ヌーソロジーにおける「同一性」という言葉の意味は、『中和』側の意味を持つわ。言葉や表象を、その本質・本性そのものとして捉えてしまうこと。「神という言葉を、神と同一視する」というのが、一番の典型例ね。

存在における「差異」を見出していくっていうのは、ある存在の表象をその本質と認識しないようにするってことだから、要は、表象に捉われるなってことね。目立つものこそが真実じゃないってこと。

また難しい用語が出てきた…。残念ながら、人間の「分からない」というのは、用語の意味が「分からない」ということがほとんどだから、分からない用語を一つ一つ押さえていくしかないわね。逆に言えば、それができれば分かってくるはずよ。だから哲学用語がいっぱいあると、難しいのよね。

「自己にとって無駄なものを省いていく」というのが『ノウス』の流れ、「他者の持ってるものどんどん取り入れていく」というのが『ノス』の流れと言うことができるわね。自分の精神にある二つの働きね。あくまで先手とすべきは『ノウス』だけど、あくまで進化に必要なのは『ノス』。

『ノウス』は、「自己」に絡んでる概念で、『ノス』は、「他者」に絡んでいる概念だということは、必ず押さえておいてね。それぞれ、『次元観察子』の偶数系と、奇数系を追っていく際にも、このことは実生活にも関わってたりするものよ。

ヌーソロジーでは、「イデア」という用語が良く出てくるわ。これは、プラトンの提唱したものであり、「概念の世界にある、理想的な姿・精神・存在のカタチ」って所かしら?『シリウス』のイメージも大体コレ。ヌースでは、これを『次元観察子』によって、具体的に明かすことに取り組むわ。

シュタイナーは、神智学的な「霊界参入」の道を説いてるけど、これは、ヌーソロジーにおいて、「意識をシリウスへ」ということに、ほとんど方向性が被るわ。シュタイナーは、ここで精神性の必要性を説いてるけど、ヌースにはそういうのが無いのが特徴ね。別にこれからできても良いけどね。

瞑想?身体技法?マントラ?そういうのを使うのも、良いんじゃないかしら?コウセンさんは、愛とか勇気とかが何たるかを、ほぼ素で分かってるような凄い人だから…、ヌースの理解も、割と素の力で出来たんじゃないかしら?私達一般人はもっと、何かの技法を併用とかした方が良いかもね。

ψ3は、数式的には、「ミクロとマクロを等しく見ているもの」「時間軸が虚軸となった世界のもの」とか言われてるけど、心の問題としては、実際は生優しいではないかもしれないわ。今までと違うゲシュタルトを作るってことは、今まで見てないものと向き合うということなのよ。

ヌースをやってると集中力がつくんじゃないかしら?反転した空間を作るのに、絶妙な集中力が必要。あと、問題解決が上手くなるかもしれないわね。『等化』というのがそういう意識に通じていると思うわ。

コウセンさんがヌーソロジーを語る時のスタンスは、「こんなツールがあるんだけど、使ってみない?」といったような態度のようね。スタンスは至ってオープン。だから、コウセンさんの言ってることに限らず、どんどん応用してみるのが良いと思うわ。

ヌーソロジーでは、「社会的個」と「精神的個」というのが述べられているわ。「社会的個」は社会を生きるための仮染の自分。「精神的個」は、そうでない本性的な自分ね。前者は偶数系観察子、後者は奇数系観察子と絡んでいて、バランスを持って使い分けてく必要があるわ。

「右脳」の持つ力について知ってるかしら?右脳は並列処理が得意と言われているわ。これが「時間の無い空間での思考」「『人間の外面』での思考」と通じてるんじゃないかしら?いわゆる天才の脳の使い方ね。右脳を上手く扱うことで、問題解決が上手くなるわ。
老荘思想において、荘子は、物事を「分けて捉えない」ことを重要視したわ。これがヌーソロジーにおける『精神』の持つ力であり、『等化』の為のカギを握っている。

これはよく勘違いする人多いけど、ヌーソロジーで重要なことは「思考を止める(能動的に)」ことにあるわ。ψ3やψ5、奇数系観察子の知覚にそういうのが必要。これを、時間軸に虚数を掛けることなどで説明してるのがヌーソロジーね。偶数系観察子に移行すると、また思考が動き出すけどね。

『中和』を敢えて捉えることで、『観察子』の構造がよく見えるようになるという仕組みが、ヌーソロジーにはあるわ。『ノス』側とはいえ重要なものよ。

『等化』とは何か?意外と理屈じゃないかもしれないわ。「主体と客体の等化」などは、主体的自分と客体的自分とのバランスと落とし所を見つけることにあるのかもしれないし、その背後で動いている意識かもしれない。そして、そこに「自己」というものがある

ヌーソロジーの『スマル』はネガティブなものと解釈できるけど、オコツトはあくまで、「意識進化のために必要なもの」のようなことを述べているわ。科学やコンピューターもそうだし、神様にとっての人間もそうよ。

「広告」には気をつけた方がいいわ。それは、ヌーソロジーが「同一性」と呼ぶものの吹き溜まり場所だから。近いものに、ラカンの「話し言葉」というものがある。人間は「話し言葉」というのを受けると、それを本物だと認識してしまう性質があるのよ。

『次元観察子ψ7』のイメージが上手く行くと、余計なことを考えてる暇が一切無くなっているハズよ。それでいて、意識は調和的になっている。これが「無心」というやつなんじゃないかしら?これが「天上世界への入門」の条件であり、「愛」というものなのかしらね?

ヌーソロジーの世界観だと、この世界で見える物質は「情報体」のように捉えることができるかしらね。映画『マトリックス』の仮想空間のように。『涼宮ハルヒの憂鬱』の、長門有希や、情報統合思念体の捉えてる世界のように。

「『負荷』側を先手に置いて、『反映』側と向き合う。そうすることで『等化』が見えてくる」…これはヌースの真髄といえる所かもしれないわね。色んな所に使えそうな所よ。

ヌーソロジーが重要視するのは、あくまで「幾何構造」そのものね。『変換人型ゲシュタルト』の「モノの見方の構造」「自己と他者の在り方」みたいなものよ。これは決して理屈だけの世界じゃないわ。「哲学」と絡めるとなると、ちょっと理屈にシフトするけどね。

『涼宮ハルヒの憂鬱』の原作1巻目で、朝比奈みくるは、「時間の流れは、パラパラ漫画の1ページ1ページのよう」って説明してるわ。『次元観察子』では、恐らく、ψ3で「1ぺージのその瞬間」が見えて、ψ5にて、「1ページ1ページの瞬間瞬間」が見えるようになるんじゃないかしら? [35]

睡眠はちゃんととってるかしら?思考はなるべく安定させておいた方が良いわよ。ヌースでもなんでも、構造か何かが「解かれば良い」ものだから、解かるためによく眠れてる人の方が良いわよ。

良いことを教えてあげるわ。『負荷』側が安定すると、『反映』側も安定させることができるのよ。そして、『反映』側というのは、仕事に結構使えたりする。偶数系観察子、ψ4やψ6は、およそ他者の為の思考にあたる。

一度、『負荷』側に入り込んで、その後に、相対的に『反映』側に入り込む。それによって、『反映』側を上手く扱う。ヌーソロジーには、魔法のようなメソッドが存在するわ。ちょっと分裂症的なやり方ね。

現代人は少し食べすぎかしら?これが、「他者」の誘惑に翻弄された結果なのだとしたら、ヌーソロジーと関係ある所ね。

ヌースを魔除けに使う方法があるわ。まずは『人間の外面』の発見をする。次に、『4次元目の軸』を発見し、その感覚を維持する。それで、軸の前側に「自分」を置いて、後ろ側に「悪霊みたいなもの」を置いておけば、一発よ。「汝、破れたり、我が後方へ行け!サタン。」ね。

「メタ認知」というものがある。それは、「認知を認知すること」「自分の認知活動、思考や行動を客観的に把握し認識すること」というものね。この辺について探れば、実用ヌースも探れるんじゃないかしら?

「ヌーソロジー」と「メタ認知」とは関係あるのか?関係あるもなにも、「主体から客体を見る」「自己から他者を見る」「他者から自己を見る」…この辺りは『変換人型ゲシュタルト』そのものなんだけど?むしろ具体的なメタ認知そのままがヌースなんじゃないかしら?

スピリチュアルなんかでたまに、「すべての存在は自己であり、自己は運命や未来なんかも知っている」みたいな話があるけど、「ψ5:自己」にとっては「ψ6:他者」は見えない領域よ。「ψ7」まで行けば見えるようになると簡単に思ってる人は、「ψ5」と「ψ7」の差異が分かってないわ。

ヌーソロジーはぶっちゃけた話、究極的で難しいけど、「嘘を見抜くための思考」というのはやはり必要ね。やはり、数学的に原理から考えることが大切よ。メディアの嘘を見抜く能力は「メディア・リテラシー」と呼ばれていて、知恵のある人間は必ず身につけるべきスキルよ。

理系の思考は、よく切れる。 [46]

『ノウス』と『ノス』は、「天使」と「悪魔」と、大分乱暴に解釈できないこともない。ちなみに、日本神話におけるスサノオは、「悪魔」のリーダー各とも解釈できるけど、決して「悪」として扱われてる訳ではないわ。ここに、日本の意識進化の鍵があるんじゃないかしら?

日本神話とヌーソロジーでは、「オリオン:アマテラス」「シリウス:ツキヨミ」「プレアデス:スサノオ」という対応関係がある。あと、アマテラスは「定質:イザナギ」側で、スサノオが「性質:イザナミ」側ね。この双方が「和する」ことを目的としてるのが、日本神話の面白い所ね。

近代西洋魔術においては、身体を使った高次元参入というのが、結構重要視されるみたいね。これは東洋でも古来から重要視されてるわね。公式ヌーソロジーはこういったものが「皆無」なわけだけど。コウセンさんの専門じゃないだけで、別に混ぜても良いんじゃないかしら?

コウセンさんは、「ヌーソロジーは魔術だ」って言ってたことがあるわ。確かに。やはり、「神の言葉の嘘を暴く」という立場が、一致しているんじゃないかしら?この辺は、ヘルメスやトートとも通じてそうね。

ヌーソロジーの目指すものというのは、結局の所、「冥王星」の目指すものなのかしら?

ヌーソロジーをやっていると、非常識的な問題が発生した時に、強くなるのは確かなんじゃないかしら?それは常識から外の思考を探求するものだからね。ちゃんとやっていれば、そうした思考に通じているハズよ。

結局の所、「人間でないものと付き合うということ」が、ヌーソロジーでは重要視されるんじゃないかしら?まるで、OCOTはその象徴のようね。

「人間でないものと付き合うということ」…、スピリチュアルでは天使で、オカルトでは悪魔。東洋では、妖怪とか仙道とか八百万神とかかしら?加えて数学的知性に、自己探求のグノーシス思想を押さえておけば、ヌーソロジーっぽくなるんじゃないかしら?

「人間でないもの」と付き合いながら、それでも結局、人間でいなければいけない所が、ヌーソロジーの難しさね。人間の難しさでもあるのかしら?「人間でないもの」は、『ノウス』側で『精神』を持っていて、「人間」は、『ノス』側で『付帯質』を持った存在といった所ね。

もしかすると、老子の提唱した「道(タオ)」という概念は、『定質』のイメージするのに、非常に適しているんじゃないかしら?それは、還るべき「真理」であり、従うべき「定められたもの」よ。

老荘思想は「柔弱であること」の重要性を説くわね。『次元観察子ψ3』なんかは、「世間的であるもの」と対極なものにあたるから、いくらか弱者である性質を持っているわ。それから、哲学は元々、弱者の為の思想と言うことができる。ルサンチマンの罠に気をつけてね。

「強さ」とは何か?社会的な強さだったら、「他者」の言うことをずっと聞いていれば、手に入るんじゃないかしら?ただ、「自己」の強さとなると、それとはまったく逆よ。ヌーソロジーでいう奇数系観察子が持っている力ね。

「ヌーソロジーはダイエットに使えるかどうか」について。そもそも、「自分は今、何をすべきか」「自分の理想とは何か?」ということが分かっていれば、これについては、あんまり悩む必要はないんじゃないかしら?

「物質と精神との接合点を見出す」…コウセンさんのこの辺の台詞は、なかなか割と究極的かもね。ψ11〜ψ12か、ψ13〜ψ14絡みなのかしら?ψ1〜ψ5あたりだと、自己発見の為のグノーシス思想に近いわね。この辺のが自我の構造には近い領域で、取っつきやすいと思うわ。

やっぱり、『次元観察子』の構造を理解し、自分の中にあるものだと自覚するということ。これが重要ということに尽きるわね。『等化』と『中和』のイメージも実際に掴めてくるし、それが解かると「これを伝えようとするんがヌーソロジーなのか…」という風にもなるわよ。

ψ3、ψ5、ψ7…と、確実に理解していけば、自分が辿りついた「それ」というものと、誰かが辿りついた「それ」というものは、確実に一致しているハズよ。思考を確実に共有することができるのよ。これが、ヌーソロジーの持つ最大の強みね。

ψ5はψ4を安定させることができるし、ψ7はψ6を安定させることができる。偶数系の観察子は、社会生活での仕事なんかに使えたりするから、この行為も社会的に役に立ったりするわ。これを頭の片隅に置いておくと、良いかもしれないわね。

心配しないで、何とかなるわ。

芸術家、岡本太郎の「今日の芸術は、きれいであってはならない」…という台詞、ここでいう「きれい」とは、ψ4とかψ6とか、ノス側由来のものを指すわね。見たくれを気にしたものとか、大衆迎合的なものとか。そうではなく、芸術はψ3やψ5、自己発見の為のノウス側である必要がある。

「仕事をする」ということは、結局、「相手(他者)の求めている行為をする」ということなんじゃないかしら?大概の場合は、こうすることでお金が稼げるわ。『付帯質』の持つ方向性ね。

ヌーソロジーを本格的に習得するには、やっぱり原理的に考えると『思形』と『感性』の両方が必要ね。「数学」や「芸術」あたりの親しみがある人なんかが強いんじゃないかしら?要は『思形』と『感性』に何処かで親しんでる人が良いのかしらね。

テレビとヌースとは、なかなか相容れない関係になってるわね。それは、実に、受動的な情報媒体で、虚実な情報、大衆向けポップカルチャー、巨大組織の陰謀、誘惑そのものであるコマーシャル、二次元画面…そんな要素があるからかしらね。

ヌーソロジーの世界では、空間というものは意識だから、テレビっていうのは、「意識が勝手に動いてる」ってことになるのね。そういう「意識」にあたるものが、コマーシャルなんかをそのまま垂れ流してたりするわけだから、これは要注意ね。乗っ取られないように付き合っていく必要があるわ。

ヌーソロジーでは、ψ3やψ5を浮き彫りにする、『顕在化』というのを目指していくけど、これは、普段のψ1〜ψ2の自我意識からしてみると、「ヘンな意識が入ってくる」みたいに感じられてくるものでもあるんじゃないかしら?

ヌーソロジーでいう『顕在化』によって、普段とは違う意識が入り込んでくるようになるのは確かだと思うわ。それは、何というか「神聖なもの」も含まれているわけだけど、「神聖」っぽいものばかりではないかもね。どんなものが来るかどうかは、その人によるんじゃないかしら?

ψ3のある世界は、「妖怪」で表現されるかもしれないわね…。それは、非世間的な、主観性重視の世界。『人間の外面』的な、夜の世界。有名所では、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」辺りね。「お化けにゃ学校も、試験も何にもない♪」の世界観ね。

2013年になっても、結局何も起きなかったじゃないか、って台詞は、チラホラ出てきそうね。まぁ、個人差はあるし、境界だって曖昧なものだと私は思うわ。ただ、空間の知覚の仕方が、徐々に変わっていくであろうことは確かよ。それを選択した人なんかは特にね。
結局、2013年になって次元が変わったといっても、自分が何を選択するかで、世の中が変わるんだと思うわ。特に、ヌーソロジーで言われているのは知覚の認識の変化よ。あと、資本主義の末期の最中である今、自己と他者の関係のあり方の変化なんかも、注目すべき所かしらね?

問題は、「誰が悪いか」ではなく、「自分が何をすれば良いか」…ね。前者の意識は他者向きで、後者の意識は自己向き。

「理屈は分からないけど『等化』は解かる」っていう人は、芸術家やスピリチュアルな人に結構いると思うわ。逆に「理屈は分かるけど、等化が解らない」って人も。それから、「理屈が分かるし、等化も解かる」っていう人と「理屈が分からないし、等化も解からない」っていう人もいるわね。

本当に大切なことは、学校やテレビは教えてくれない…これは、『ノウス』側の人にとっては基本となる鉄則なんでしょうね。何故なら、学校とかテレビとか国家とか科学とかの大衆的な教えは、大体は、偶数系観察子から由来してるわ。その逆の奇数系を追求するのが、『NOOS』ね。

『シリウス』と『ヒト』を大体イメージするのに、日本神話である「古事記」が使えたりするわ。「古事記」の始めの、イザナギとイザナミが八百万の神様を生み出すシーン、ここでの八百万の神様が、どうも前の次元のシリウスの『ヒト』のイメージに近いみたいなのよね…

これはジブリの宮崎駿監督の言葉…「基本的に子どもたちに『この世は生きるに値するんだ』ということを伝えるのが、自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきました。」…。ヌーソロジーの『反性質』というのは大体どういう方向性なのかというと、こういうものだったりするのかしら?

優れたヌーソロジストは、スピリチュアル的な要素は優れていたりして、そうした人を惹きつける能力を持っているのに加えて、俗っぽいものと親しむことや、頭を使うことが上手いという印象があるわね。

http://homepage1.nifty.com/metatron/  これは、半田広宣さんの古くからの友人、小野満麿さんこと痴性体トーラスさんのホームページ、『プロジェクト・メタトロン』よ。たくさんの情報が無料公開されてるわ。趣旨はヌーソロジーとかなり似てるわね。

『プロジェクト・メタトロン』では、小野満麿さんが昔書いた漫画が公開されてたりするわ。私はこれが面白くて好きね。 「明珠」:http://metatron.la.coocan.jp/zone-9/maiju/maiju00.htm

「2次元」というものは、「3次元」や「4次元」に比べて、思考が大きく制限されるわ。遊んだり利用したりするのは良いけど、それ単体にどっぷり浸かるには、注意が必要ね。

結局の所、ヌーソロジーは、『思形』と『感性』の両方が大事という所に行き着くけど、この「『思形』と『感性』の両方を持つ」という所に、何か「越えられない壁」みたいなものがあるのかもしれない。

ヌーソロジーをかなり深く理解するには、結局、『思形』と『感性』が必要だったりするから、だから単純に、数学と芸術の両方が優れてる人なんかが、強かったりするんじゃないかしら? あとは、俗っぽい悪知恵とか、スピリチュアルな感性とかも、大事かしらね。

あらゆるすべての個人が、『思形』と『感性』の両方を会得するべきかどうかも、また難しい問題ね。それが簡単に持てるように出来てるほど、世の中は単純じゃないと思うわ。別に、みんなが完璧に両方持つんじゃなくて、協力し合う関係でも良いんじゃないかしら?

数学の中でも「幾何学」という分野は異色のもので、実は、論理的なようでいて、感性を育む力も持っているのよ。だから、より純粋な幾何学は、非常にヌース的なのよ。ヌーソロジーに本当に強い人は、あくまで、既存の数学とも違った、原理的なモノの見方が出来る人なんじゃないかしら?

西洋の儀式魔術の観点からすると、ヌーソロジーにおける『次元観察子』の具体的イメージ作業が、「儀式」として機能させることが出来るわね。この作業の長所は、単純に、「モノがいらない」のと「時間がかからない」というのがあるわ。だから、とても便利で合理的な魔術ね。

コウセンさんは、身体に関しては専門外で、自身は、精神と素粒子の構造とのすり合わせだとか、哲学の概念とヌースとのすり合わせとかに専念してるけど、身体を使った『顕在化』のアプローチというのもあるだろうと言っているわ。重要視はしていて、他の人に任せてるスタンスのようね。

パステル調で落ち着くスピリチュアルな雰囲気っていうのも、別に悪くはないんだけど、ψ1〜ψ2→ψ3→ψ4→ψ5→ψ6→ψ7→ψ8→…といった発展において、ダークなイメージっていうのは避けては通れないと思うわ。それから「狂気」というのも必要かしらね。

この世界には、いわゆる魔法らしい魔法なんてものは、やっぱりあんまり無かったりするんだけど、「空間認識」や「時間認識」というのは変えることができるわ。力の弱い者が強い者に勝つための術というのは、きっとあるものなのよ。

ヌーソロジーにおける『次元観察子』の意識の『等化』が着実に上手くいくと、物事の清濁を併せ呑むのが、上手くなっていくのかもしれないわ。次元観察子ψ5、ψ7と行く程、よりハイレベルに上手くなる。

虚数の直径を持つ微少球をイメージ出来れば、何か「悟り」も手に入るかもしれない?

「虚数」とは何か?考えてみれば、私にもよく分からないわね。2乗するとマイナスになる数。この世には存在しない数。きっと、時空の作る尺度の世界では、存在しない単位ってことになるんだと思うわ。"a+bi"。ヌーソロジーでは、この概念を絡めて思考を行なう。

『人間型ゲシュタルト』は、人間の「常識」とも言い変えることもできるわね。だから、それを脱することは必要だけど、捨てれば良いものではないということになるわね。

政治における「保守」と「革新」の関係っていうのは、「実数」と「虚数」の関係ぐらい深かったりするのかしら?

『反定質』的なものは、鍛えれば鍛える程、強くなる性質を持つ。自分の身を守るものであれば、なるべく鍛えておいて損は無いんじゃないかしら?そっち側を主体として扱うこと、『融解作用』にさえ気をつけていればね。

成功法則なんかで、「人間は無限の力を持っている」なんてことがたまに言われてる。高次の精神の法則としては、それは正しくその通りなんだけど、その力が人間に降りてきたときに、それは必ず有限になるわ。要は、どう上手くやりくりするかじゃないかしら?

『次元観察子ψ6』がよく分かっていると、プライドが高くて大分面倒くさい人とかの対処の仕方も、分かってくるんじゃないかしら?

「スワイソウ」っていう体操が、心身の健康に、確かになかなかよく効くと思うんだけど、これって要は、自分の身体を自然に動かすことが大事だから、散歩とかでも効果あるんじゃないかしらね?ヌーソロジーあんまり関係ないけど。

優れた哲学者は詩を書くのが上手いわね。言葉ではイデアを表現できないことを知っているから。

スピリチュアル的(オリオン的)でいながら、俗っぽく(プレアデス的)も振る舞うためには、「狂気」が必要なんじゃないかと、私は思うけどね。

「長所を伸ばしつつ、短所を克服すること」。ヌーソロジーをやってると、このことの重要性が見えてきたりするわ。「長所を伸ばすこと」は「自己の発揮」、「短所の克服」は「他者への適応」が絡んでくるから。両方とも必要なのは、『等化』と『中和』のバランスにも通じているわね。

ヌーソロジーをやってる人は必然的に目標がとても高いことにもなるから、前途多難なのはしょうがないかもしれないわね。「まぁ、こんなもん」って所かしら。

グノーシス思想の中心にあるのは『ψ5(自己)』で、ビジネス思想の中心にあるのは『ψ6(他者)』なんじゃないかしら? カバラではそれぞれ「ティファレト(太陽)」と「ゲブラー(火星)」にあたるわね。また、それぞれ「ψ7(木星)」と「ψ8(土星)」を上位に持つわ。

要は「信じる力が物質を変容させることがある」ってことよ。

ヌーソロジーに対して真摯かどうかは、『次元観察子ψ3』と『人間の外面』たりの土台をちゃんと注目してるかどうか。この辺りは基礎なので重要よ。

『次元観察子ψ3』『次元観察子ψ5』辺りの概念を理解した時に、「!」というような、はっきりと何かを掴んだ感覚を持てるかどうかっていうのが大事なのよね。この辺はあくまで、人間の精神構造、モノの認識のゲシュタルトの話を具体的にしている所だから。

ヌーソロジーの入門の辺りを理解したい場合は、『次元観察子ψ3』『次元観察子ψ5』あたりのキーワードを、執拗に追いかけてみるっていうのも良いかもしれないわね。こういうのは、常に意識していると、フォーカスが当たり易くなるっていうこともあるわ。

オコツトは「科学」や「コンピューター」はあくまで「悪」とは言わず、「進化のために必要なもの」として述べていたわ。これは、『スマル』や『反定質』側のもの全般に言えることだと思うけど、それらも同様、「科学」に近い性質を持つ。このことはヌーソロジーの鉄則かもしれないわね。

『覚醒』の他者伝播効果は、偶数系観察子による、伝達能力がカギなのかしら?

「力は有限である」は『付帯質』の話。「力は無限にある」は『精神』の話。どっちもある意味正しいんだけど、人間は両方に挟まれてる存在だから、ここは微妙な所なのよね。

『対化』を『等化』するっていうのは、つまり、対立物の果てというのは繋がっている…と捉えることもできるわね。

食べ物の消化っていうのは、案外思考を使ってしまうわ。特に多量な炭水化物、動物性脂肪、質の悪い油、保存食品、科学調味料など。菓子パンや安物肉やカップ麺なんかのジャンクフードなどね。何か深いことを考えるときは、そこの所も意識した方が良いわね。

「不良と友達になれるエリート」か「エリートと友達になれる不良」辺りは出世する人の中でもイケてるんじゃないかしら? この辺りは自己×他者論的にも重要なナニカがありそうね。

君主制や一神教っていうのは、悪いことが起きた例をあげるとキリがないぐらいのものだけど、元々は、ある特定の他者に対して、「あの者に任せて安心したい」という欲求から、人間達が自ら作ったものよ。だから、否定するのではなく、その問題をクリアする必要があるわね。

オカルトやスピリチュアルはフワフワしたものを扱うけど、それでも地に足がついていれば、特に問題はないのよね。

「自分が言っていることは正しいとは限らないぞ」っと言っている人間を敢えて信用するという行為。これもヌースに通じてるかしら? 「同一性」に注意し、「存在者」なるものが言ってることは正しいとは限らないとし、真実を探り探り見つけていくというスタンス。

『等化』するにはどうすれば良いか?脱線して好きなことでもしてみて、色々経験してみたりする。そして、「世の中には自分と違う変な奴もいっぱいいるけど、なんとなるな」とか思ってれば、自然と等化もできてるかもしれなかったり?

考えれば分かることは考えるし、考えても分からないことは考えない。

『スマル』が「絶対悪」で、その反映元である『オリオン』が「絶対善」なんてことは、あり得ないわ。

ヌーソロジストに必要なのは、「『オリオン』に対する忠義」というより、「『オリオン』と『プレアデス』との落とし処を見つける」というスタンスじゃないかしら? 前者だと結局、一神教とかユダヤ教っぽくなっちゃうわね。

スピリチュアル系な文化に対して一言物申すと、良いのがあってそれを利用する分には良いんだけど、過剰な表現には気をつけた方が良いわよね。

ヌーソロジーの難しさの一つとして、善だと思ってたものが悪になって、逆に、悪だと思ってたものが善になって…、っていうのが見えてくるっていう問題があるわね。世界を2値で見るんじゃなくて、4値で見るっていうのはそういうことよ。

西洋とかに伝わる「魔術」っていうのは、元々、点と線から始まる原理から発祥しているっていう話があるわ。ヌーソロジーっていうのは、教義をそこから直接引っ張ってきてるものなのかもしれないわね。

敢えて色彩で表現するなら…「黒地に青」が『ノウス』っぽくて、「白地に赤」が『ノス』っぽいわね。それぞれ、「暗い場所に知性」「明るい場所に情動」を想起させるからかしら?これがそれぞれ、ノウスとノスに関係があるかもしれない?

神様に近づくっていうのは、へり下れるようになるってことなのよね。神秘の道を志してる人は、ここの所が解ってるか解ってないかが大事よね。と同時に、高次元の視点を持ってる人は、色んな思想で物事を考えることができたりしつつ、一つの物事を極めてることもまた重要だったりする。

「反転」した世界っていうのは、一神教の神様のような「一者」がいなくなる世界と言われてるわね。それって、「誰かが絶対正しいことを教えてくれない」世界でもあるから、結構大変な世界だったりするんじゃないかしら?自分で物事を考えていくのが必要ってことになるわね。

一神教の時代が終わって、4値で思考する時代になった時、絶対に信ずるべき一神っていうのはいなくなるんだけど、多神の中のいくらかの神様を信じるのは良いのよね。あくまで、絶対正しいわけではないということを踏まえつつ。多神教っていうのはそういうものね。

現代というのは、お金を神様とした一神教的な時代で、その一神教の時代がいずれ終わるということだけど、それにしても、お金を信じることが駄目ってわけではないのよね。あくまで、絶対正しいものでは無くなるという話。

人間の世界では、元々「善」だったものが「悪」へと反転してしまうことがある…、ということは、「悪」が「善」へと反転することもまたあり得るって話よ。この世界で生きるのに必要な、「何とかなるさ」っていう姿勢の根拠っていうのは、そういうことかもしれないわね。

最新の2013年ヌースレクチャーで半田広宣さんは、「ヌーソロジーは『宇宙論』ってことになっているけど、本当は『自他論』だ。」って言っていたわね。難しい数式などが出てくるけど、要は大事なのは、「自己」と「他者」の関係性を捉えることだってことね。

スピリチュアルとかで言われている「自己の想ったことは現実になる」というのは、確かに正しいんだけど、「他者」にとっても同様のことが起きるから、「他者の想いに巻き込まれる」ってこともあるのよね。つまり実際問題の現実は、自己と他者の想いのせめぎ合いの場ってことになるのよ。

メディアリテラシーの話になるけど、情報を見た時はまず、それを「事実」と「意見」に分ける。そして、なるべく「意見」のズレに注意し、「事実」を元に考えるようにするのよ。「事実を元に自分の頭で考える」と「他者の意見をそのまま鵜呑みにする」の二つの方向性があるのよね。

書籍『シリウス革命』p320、「誰でも自分自身の創造性や行動に自信を持っていれば、優越感や劣等感を持って他者を攻撃したり、批判する理由はなくなる。ほとんどの攻撃や批判は前節でも見た通り、『反映』側、つまり他者への依存が作り出すものなのである。」……ふむふむ・・・

コウセンさんの話をよく聞いてると、「大事なのはArtだ。」っていうのがたまに伝わってくるわね。そう、大事なのはArtだと思うわ。

『ボーカロイド』。合成音声で人工的に歌を作ることができる作曲ソフトウェアね。2007年生まれの「初音ミク」が一番有名。まるで「水瓶座の時代」の象徴のようね。これによって、個人の音楽作家・アーティストでも歌が作れるようになって、活躍し易くなったわ。

ある時期から、音楽が動画サイトなどでネットに上がっていて、無料ですぐ聴けるってことが少なくなってきたわね…。まぁそれは別に良いとして、ボーカロイドによって作られた作品は、ニコニコ動画とかでタダで上げることを想定して作られてるものが多いから、簡単に聴けるものが多いのよ。

ボーカロイドを扱う作曲家は、名前の後によく「P(プロデューサー)」の文字が付くわ。パソコンとネットとDTM環境さえあれば凄い天才が育って、発見されることがあるわけだけど、気に入った作家がいたら、追いかけてみるのも良いかもしれないわね。いくつか紹介してみようかしら?

『千本桜』(作者:黒うさP)ボーカロイド伝説級の名作。人気過ぎてAKB48も歌うことになったわね。「大胆不敵にハイカラ革命」。今の時代はこういう動画が海外中でも出回ることになって、人気が出ることになるわね。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/18305.html

『炉心融解』(作者:iroha&kuma)ニコニコ動画で一時期かなり有名になった作品。「死」に向かってるような綺麗な曲だけど、CGとテーマが格好良いから、人気になったわね。解釈すると深い歌詞が良いわね。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/3438.html

『ぼくらの16bit戦争』(作者:sasakure.UK)sasakureさんは物凄いアーティストよ。この曲は、ある日、「ヌーソロジー・ロッジ」で紹介してみたら、半田広宣さんが直々に気に入ってくれた曲なのよ。なかなかロックな雰囲気。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/5869.html

『アンチグラビティーズ』(作者:sasakure.UK) またsasakureさんの曲。重力の法則が変わっているかのような不思議な世界の曲ね。恋愛に少し絡めてる所もささくれさんらしい。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/29971.html

『裏表ラバーズ』(作者:wowaka)wowakaさんは単純なモノクロのグラフィックが合う、独特の曲を作る人よ。これは「反復」を何となく感じる曲ね。早い口調の歌い方。ボーカロイドはこういう曲が合ってるかもしれないわね。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/6361.html

『ワールドエンド・ダンスホール』(作者:wowaka)wowakaさんの曲をもう一つ。独特なはっちゃけ感を持ちながら、楽観的な思想を感じる曲よ。やっぱりこのダンス感は、「反復」っぽいわね。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/10005.html

『0』(作者:cosMo)cosMoさんはなかなか特徴的な人で、初音ミクを生き物のように扱うのが上手い人よ。フザけた曲も作るけど、無機物に生命を与えるのが上手い人みたいね。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/556.html

『さよなら常識空間』(作者:cosMo)またcosMoさんの曲ね。なかなか直球なコンセプトのスーパーポジティブソングね。ピコピコサウンドを使った非常識な曲は、この人の得意分野。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/11302.html

『猪突猛進ガール』(作者:れるりり)ジャンルは多分和風パンク。初音ミクでパンクっぽい曲を聴きたい人はどうぞ。めちゃくちゃだけど言葉と音楽のセンスがズバ抜けてるわ。この作者の曲はもっとハジけてるのがある。https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/27293.html

『神のまにまに』(作者:れるりり)「猪突猛進ガール」の作者の作品。この作者にしては割とまともなやつよ。なんとポップで可愛い日本神話よ。こういう日本らしい雰囲気は好きだわ。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/28383.html

『化物宇宙』(作者:ピノキオP)ちょっとレトロっぽい優しい雰囲気の曲。「宇宙」っていう表現も出てくるけど、何となく現代の状況っぽい歌詞ね。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/19482.html

『Hexe〜垣根の上の人〜』(作者:頑なP) 「Hexe」は、ドイツ語で「魔女」の意味。しっとりとした雰囲気の良い曲。目に見えないモノと生きる人の曲のよう。こういうのは『変換人』のテーマとしても重要かしらね? http://www5.atwiki.jp/hmiku/pages/26914.html

『複素数ネットワーク』(作者:サイオナP)「複素数」「i」「クジラ」などのキーワードが散りばめられてる、これまた不思議な曲ね。かなりヌーソロジーっぽいかも。地球の外側にでも行けそうな、どこか神秘的な雰囲気。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/26675.html

『有理数プラネット』(作者:サイオナP)次いでサイオナPさんの曲。「複素数ネットワーク」と対になってそうな雰囲気で、曲が似てるけど、こっちは割と『中和』寄りの視点っぽいわね。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/26674.html

『The Arc』(作者:sushi)スペースチックに綺麗な曲ね。何となく、宇宙の輪廻や、何処か『シリウス』っぽい雰囲気を感じるわ。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/53691.html

『ミズノトシ』(作者:Yossy) 涼しげな曲と思いきや、ドラムベース多用の全力疾走な感じの曲でもある。まるで、エーテルの世界の表現のようで、激しくも神秘的でオススメよ。 http://www5.atwiki.jp/hmiku/pages/2986.html

『DYE/Re:flection+』(作者:Treow,原曲:AVtechNO!)これも一応ボーカロイドね。「DYE」という原曲をリミックスしたみたいよ。やたらとハイセンスなPV付きミュージックね。何か幾何学的な生命体を感じるわ。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/8584.html

『イニシエーション』(作者:渋谷慶一郎&東浩紀)東大卒で思想家・作家などをしている東浩紀という人の作詞と、渋谷慶一郎という作曲家との話題のコラボ作品よ。歌詞の最後の方は『等化』の表現とも解釈できるわね。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/34048.html

『THE END』(ボーカロイド・オペラ)作曲家・アーティストの渋谷慶一郎という人が主導で行われた、ボーカロイドを使った前衛的なオペラよ。「イニシエーション」も収録されてるわ。 http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/13_end/index.html

『終末シリーズ』(作者:sasakure.UK)天才sasakureさんの代表作品で構成される「終末」をイメージした4作品よ。「ぼくらの16bit戦争」もそのうちの一つ。sasakureさんのセンスの高さが伺えるわね。 http://hatune.net/osusumedouga/syuumatu.html

『イ―ハトーヴ交響曲』冨田勲さんという伝統的で有名な作曲家が、宮沢賢治の世界観を表現しつつ、なんと初音ミクを起用したという、異色のコラボで有名な交響曲。動画内容はその紹介よ。 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/24

色々と初音ミクの曲を紹介してみたけど…。この辺りは「2000年代後半辺りからの文化」の特徴が強いわね…。70年代の音楽カルチャーとか、80年代90年代とかゼロ年代とか…。その辺りの文化の変遷を追いつつ、人間の意識の変化とコンピューターとの関わりも追いつつ、ヌーソロジーも考察すると良いかもしれない?

ユング派分析家の河合隼雄さんは、著書「ユング心理学入門」で、「ユング派分析家がユング心理学を語る時は、それぞれ独自の心理学を持っているものだ」のようなことを言っているわ。それが「個性化」だからね。これはヌーソロジーでも言えるかもしれない。現に今そうなってるわけで…

ヌーソロジーを語る者は、それぞれ自分にどんな惑星の守護がついてるかによって、そのアプローチの仕方や雰囲気が違うのかも。ちなみに私のメインは射手座だから、「木星」ってことになるわね。 コウセンさんは蠍座だから「冥王星」、そのまんまね。

例えばその人がどんなジャンルの音楽を好むのか、によって、その人が権威に挑む際の趣向が大体決まるんじゃないかしら?ヌーソロジーを語るにおいても。コウセンさんの場合は「洋楽」や「ロック」あたりみたい。私の場合は、大体「ゲーム音楽」ってことになるわね。だからそれっぽくなる。

どんなジャンルでもそうだけど、教祖に万能感を期待しない方が良いわね。ヌーソロジーのコウセンさんのことも「専門家」として見た方が良いと思うわ。万能な人が何でもしてくれる、みたいな考え方は、ヌーソロジーでは好まれないから。そこの所は注意しておいてね。

人間はつい「様」を付けたがる性質を持つ。これは、特定の他者である人物を「存在者」として崇拝したいという欲求からきてると言えるわね。あるいは、ビジネスの場合は、人付き合いはとりあえず持ち上げとくのが無難だから、って所かしらね。

「趣味」には奇数系観察子のものと偶数系観察子のものと2種類あるわね。まず、偶数系のものは、社会的にも人付き合いがし易いからという点と、快楽的な要因が強い。奇数系のものは、誰が何を言おうと自分が好きなものであり、意識進化の方向性を持つもの、にあたるわね。

「仕事」というのは、『付帯質』による「物質創造」ということができるわ。または、その管理、運営などを行ったり、言葉を扱ったり、他者を引き込んだりすることも含むわね。「仕事」というのは大体、「他者」を中心に回っている。だから、のめり込むと「自己」を忘れやすいということに。

割と当たり前のことを言うと、自分の考えを言葉に変換することで「本」や「書籍」が出来上がる。印刷機やネットの力で、それは絶大な影響力を持つ。『覚醒』による伝達効果において、このことは重要かもしれない?

「時間」は何にとって代わるのか?「思考するためのリソース」ではないかしら?

相手が何か不可解な行為をして何かを考える場合、「自分だったらこういう動機だろう」みたいなイメージをベースにして考えることが多いわね。本当はその自己と他者の「差異」の認識が必要。人間は自己は他者を同一のようなものとして捉えがちだからそうなってしまう話ね。

自分と考えの違う人間は、自分と違う能力を持っている。組んで上手くやることもできれば、敵にすることもできる。意識の分かれ目というのはそこかもしれないわね。

数学には「実数」しか使ってないものがある中で、「虚数」を使ってるものもある。恐らく、非数学者が「数式」と聞くと、実数しか使ってない、冷淡で物理的なイメージであることが多い。そうではなく、虚数を使うと量子力学の領域に入るので、これは結局の所、理屈の世界ではなくなるのよ。

次元観察子ψ1〜ψ5の段階でも、4次元認識によって幾何学的に神聖なエネルギーを感じ取るための、大体のイメージが掴めると思うわ。この辺は素粒子の「光子」の波動関数が解かる次元でもあるわね。

「幽霊」とは何か?ヌーソロジーだと、ああいう姿の生命体が「そこにいる」というより、何か得体のしれない領域に得体のしれない精神エネルギーがあって、それを感知して、ホログラム的に幽霊像を作るから「そこにいる」風に見えるという理屈になると思うわ。
「国家」や「政府」はある意味、物質的思考の象徴とも言えるわけだけど、例え反政府で意気投合したとしても、他人の批判をしたり、他人の不安を煽ることに執着にするような人達は、天使とか本来の精神主義とは違う種族だから、気を付けた方が良いわ。

唯物論的にしか考えられないことは、何処かで限界が出るものだけど、唯物論的に考えてみること自体は別に悪いことではないわね。
政治的「保守」の勢力も、政治的「革新」の勢力も、どっちが善でどっちが悪とか、簡単に断ぜる問題じゃないから、どっちかが善でどっちかが悪みたいな話になると胡散臭くなるんじゃないかしら?

政治の問題を突き詰めていくと、結局、「他者の考えていることが分からない限りは分からない」という所に行き着くと思うわ。分からないものを善か悪かで何かしら断ずると問題が起きる。まぁ、だから余計な発言をしないのが無難になるんじゃないかしらね?

次元観察子ψ5:自己先手で自己に関心あるけどわりと利他。次元観察子ψ6:他者先手で他者に関心あるけどわりと利己。

「良い人と思われたいから良いことをする」と「良い人と思われなくてもいいから良いことをする」は別物で、外的な「法」と内的な「法」というのがあるわね。後者は、内側から湧き上がる「道理」に従って動いているもの。

絶対的に万能な人間っていうのはいないものだけど、万能度や完成度がいくらか高い人間っていうのはいるわね。完全が有るということと、完全は無いけど、完全に近いことはあるということの違い。前者だと一神教の価値観になってしまうのかしら?

もともと地に足がついていない人とか、人によっては高次元の奇数系観察子ばかり追いかけても、なかなか逃避にしかならないっていう人もいるかもしれないわね。そういう人は逆に、低次元の偶数系観察子の方が大事かもしれないわ。偶数系観察子で一番手近なものが『次元観察子ψ4』。

数学とヘルメス主義の歴史を追いかけてみると…、ユークリッド幾何学と、それを使った魔術に関しては、紀元前にほぼ完成しているわ。しかし、数学はそこから進化している。ヌーソロジーは、ニュートン,デカルト以降の数学と、非ユークリッド幾何学を使った魔術と言うことができるわ。

半田広宣さん一時期ハマってた音楽ユニット『Baby metal』。『Baby metal』はオコツトのガールフレンドみたいだと、半田さんが言ってたことまであるわ。それは、資本主義の混沌の女神でいながらも、日本神性を持っている存在だからかしらね? その辺の音楽カルチャーも面白そう。

ユングの提唱した元型という概念の中に「アニマ」と「アニムス」というのがある。中でも「アニムス」は女性にとっての無意識参入の際に出てくる男性的な存在。ヌーソロジーが女性に人気があるのは、アニムスの機能をしていると捉えるとしっくりくるみたいね。
オコツト情報というのは、「これが真実だ」ということとして扱うより、「果たしてこれはどう解釈できるのか?」という風に扱うのが望ましいんだと思うわ。

『シリウス』という存在について。それは「意識進化」と「狂気」の双方に近いと捉えることもできる。何故なら、それは一神教的な世界観と、地上的な世界観の真ん中に位置していて、双方にとって「曲がったもの」というポジションだから。「魔」であり「間」である存在かもしれないわね。

「反転」は「半天」とも書けるのかもしれない。半分天使でいること。あるいは、天の力を借りることね。

2次元のものを3次元で、3次元のものを4次元で考えてみると、思考の幅が広がることになる。

『奥行き』が理解できない?・・・。踊ってみたら?

自然の法則や幾何学の法則みたいなものからルールを導いて作るのがヌーソロジーとも言える。だから「これを守れば良い」という律法みたいなものはないけど、強いているなら、「負荷側を先手において反映側を向き合う」というのが鉄則として重要な気がするわ。
プレアデスの方向性は火が上がるようであり、オリオンの方向性は水が落ちるようである。

「良い人に見られようとする意識」というのは、『次元観察子』で言うと『ψ4』辺りの働き。これは良くも悪くも働くことがある。生活と自我形成には必用だけど、人間が物質文明に偏りやすいのはその働きが原因としてあるから、そこを見直す必用があるってこと。

精神側を先手にすることは、オコツトも言ってるようなことだし良いんけど、間違ってもそのまま物質側を滅ぼそうとか、そういうのは明らかに違うから気をつけてね。

『タカヒマラ』における『定質』は「植物」と「太陽」、『性質』は「動物」と「月」あたりでイメージしとくのとか良いと思うわ。なんにせよ、善も悪もない陰陽原理っぽいものでイメージするのが良い。

『タカヒマラ』の『反定質』は物質先手、『反性質』は精神先手と言うことができる。「科学」と「芸術」の関係とかも結構合ってる。科学は便利だから普及するし、芸術は不安定だから普及しにくい道理があるけど、科学の弊害が露骨になってくると、だんだんと逆のものが求められてくるわね。

ヌーソロジーの『次元観察子』と電子空間との対応。3D静止画と2Dゲームがψ4、3Dゲームがψ6、オンライン3Dゲームがψ8。ψ4は4次元時空の認識までで、4次元時空に完全に身体が入るのがψ6、それが集まって世界ができるのがψ8、ここで一旦完結ということになる。

ヌーソロジーの『次元観察子』と電子空間との対応を、そのまま霊的空間や『等化』の構造へと応用した時、それは意識進化側の構造となるわね。

『次元観察子ψ3』と『次元観察子ψ5』の違いは重要な所で、どっちも反転した空間は知覚してるんだけど、その中で「身体性」まであるかどうかがポイントとなるわね。ψ3はまだ身体性まで達していない。だから妖怪のイメージとかが浮かび上がってくるのかもし
れないわ。

ヌーソロジーの「変換人型ゲシュタルト」と、ユング心理学の「個性化」の方向性は概ね一致していくのかもしれない?と考えると、それぞれ独自の個性によるやり方で反転のやり方を編み出すことになり、それは生まれ持った肉体や長所短所によって異なることになってくるかもしれない?

現代日本において世代分析は重要。例えばヌーソロジーたん作者はだいたい2000年代で10代を過ごした人間だし、半田広宣さんはだいたい1970年代を過ごした人間。だから思想や生き方にもその辺の影響がありながら生きてることになるし、その上でヌーソロジー探求やヌーソロジー情報のアウトプットがあるってことになるわね。

ヌーソロジーとメタ認知の関係。メタ認知する時に高次元の関与がいるからそこでヌーソロジーと絡んでくるけど、そこから実用のための思考をするとヌースで無くなる感じかしら?

引き寄せの法則とヌーソロジーの関係も、引き寄せの力で高次元的な力の関与が必要になるからそこでヌースと絡んでくるけど、実用のことを考えるとヌースと離れる感じになると思うわ。

三角の本質は奇数。四角の本質は偶数。円の本質は回転で、回転は奇数と偶数の等化も意味する。