==太上老君に捧ぐ=


 『ヌーソロジー』とは、半田広宣という人が提唱した、チャネリングソース「オコツト(OCOT)」の情報が元になった宇宙論・・・なのですが、ここで、古代中国の思想家老子について書いておきます。

 老子とは、古代中国で孔子・荘子・孟子などと並んで有名な思想家です。中国では「儒教」「仏教」「道教」の三つが三大宗教と言われていて、そのうちの「道教」の元となった人物です。
 老子の出生については謎が多いですが、一説によると紀元前6世紀頃に存在していたのではないかと言われています。老子は、『道(タオ)』と呼ぶものを真理として定めて、独自の思想を説いて、自分の思想を書物にまとめて残した後、何処かへと去っていったと伝えられています。
 後に、荘子という思想家が、老子の考え方を誰よりもよく理解し、新たな視点から老子の思想を広めるべく活躍しました。こうして、老子と荘子の思想は合わせて「老荘思想」と呼ばれるようになります。
 さらに後世の人がそれを元に作った宗教が「道教」です。「道教」は仙人を目指すことを主とする宗教であり、純粋な「老荘思想」とはいくらか異なりますが、「道教」において、老子は神格化され、神様のように扱われています。

 たまに見かけるであろう上記のマークは、「陰陽魚」と呼ばれていて、老子の説いた陰と陽の交わりを表現しています。別名で「陰陽太極図」とも呼ばれていて、ほとんどこれは、老子の教えの象徴ともいえるので、「道教」のシンボルとなっているものです。


 さて、老子の思想の内容について書いていくと・・・。昔から、世間一般的で普通な教えというのは、以下のようなものではないかと思います。
(『マンガ 老荘の思想 (講談社+α文庫)』より引用)  

人は強くなくてはいけない、弱くてはダメだ!
人は賢くなくてはいけない、バカではダメだ!

 しかし、老子の教えは以下のような感じです。

人は弱くなくてはならない、強くてはダメじゃ!
人はバカでなくてはならない、賢くてはダメだ!
人は無為無我無欲でなくてはならないし、優位に立たず、自然でなくてはならない・・・

 これは、自分(Raimu)が中学二年生の頃に出会った言葉ですが、今思えば、これが自分の思想探求の道の原点にあったように思います。
 強いものは折れやすく、柔らかいものは保たれる。老子は、柔弱であることの意義を説きました。
 代表的なものに『上善水の如し』という言葉があり、最も尊いものは、水のように下へ下へと落ちる性質や、器によって変化する性質を持つということを説きました。
 もし、成功したい場合は、すべての智力と精神力を一点にしぼり、そのほかのときはバカでいる方が良い。何もかも賢くあろうとしてはいけない。弱ければ争いに巻きこまれることもなく、愚かであれば、華やかさに惑わされず実質をとる。すべては自然のなすままに・・・
・・・・・・など、そんな教えが老子の教えです。
 そうした自然の道理、強と弱、愚と智、有と無、陰と陽の織りなす自然の真理を『道(タオ)』と呼び、自然の道理に適った、柔弱な生き方をすることが『道(タオ)』を守って生きることになります。
 そうした『道(タオ)』の働きについてや、『道(タオ)』を守って生きることの意義について説くのが、老子の思想です。

 自分は決して、学生時代は優れた能力を持っていた方ではない人間でしたが、こうした思想を支えにして生きていたような気がします。

 老子の思想は、東洋思想の究極形とも言えるものであり、東洋全体にも通じています。インドの仏教でも似たようなことが伝承されてるし、日本の神道でも似たようなことが伝承されています。
 また、西洋でも、ユダヤ教神秘主義の「カバラ」においての「神」や、キリスト教グノーシス主義における「キリスト」も、実はその本性はこの老子の態度に近いものです。西洋魔術の界隈でも、こうした東洋思想が注目されることがあります。センスのある西洋人は、皆、東洋の神秘に惹かれていたと言っても良いでしょう。

 下へ下へと下っていく態度を取るようにし、それでいて特別な力を身につけつつ生きるようにする。そうして、老子の言う『道(タオ)』を守って生きることにより、「心」が充足するようになり、「自分自身」が充足するようになる。「自分自身」が充足すると、それを他人に分け与えることも出来る。
・・・以上の思想は、これからの時代に必要なものなのではないか?と自分は思います。
 向上する心が「徳」で、従うべき道理が「道」で、合わせて「道徳」になり、これが人の生き方を意味しています。

 そうした老子の思想ですが、老子の述べていることは、自分はどこまでも正しいように思えました。しかし、同時に、どこまでも脆いようにも思えました。
 人生を生きていると、老子のような柔弱な思想と、世の中を生き抜いていく思想というのが、噛み合わなかったりします。これは、人間の世の中は「物質」で出来ているので、世の中で求められているのは「強固さ」であり、「言葉」や「目に見えるもの」や「明らかに強そうなもの」が重要視されるという性質があるからだと思います。
 この「差異」を埋めるにはどうすれば良いのか?
 ずっとそのテーマを考え続けていたような気がします。

 自分の昔からの武器は数学でした。
 そして、数学を用いてその差異を埋めるために行き着いたのが『ヌーソロジー』のような気がします。

 老子が『道(タオ)』を守って生きると言っていることは、ほとんどそのまま、『ヌーソロジー』で『奇数系観察子』と呼ばれるものや、「自己」を先手とし続けることに通じています。
 加えて、『ヌーソロジー』では、より具体的で、物質世界にも根付いた思想を展開しています。

 先ほども言った通り、老子の思想は、これからの時代に必要な思想だと思います。その思想を現代に蘇らせ、世の中が作る閉塞感を打ち破るためにも、ヌーソロジーについて述べていこうと思います。