ヌーソロジーの目指すものまとめ

 以上、ヌーソロジーについて説明していきましたが、ここで、ヌーソロジーの目指すものというのを、視点別で分けて整理してみようと思います。
 というのも、ヌーソロジーは元が壮大で膨大な情報なため、話も壮大で一般人にも向かないものになりがちだからです。

ヌーソロジーが目指すものをまとめると、以下のようなものが挙げられます。

地上視点>
自己認識のフレームワーク

<上層視点
霊的叡知と物質的知性との接合

<人類史視点

ユダヤ的なものの彼方へ。日本精神の発芽

<究極視点>
素粒子の構造と人間の意識との相関関係の解明

<総合視点>

霊性を先手にした能動的知性の発展

それでは、それぞれについて説明していきます。


<地上視点
自己認識のフレームワーク
 何かと壮大で究極的な話になりがちなヌーソロジーですが、まずやるべきことはこの「自己認識」という所から、だと言うことが出来ます。こういう情報もちゃんと提供しているのがヌーソロジーです。
 「自己」とは何か?という問題について突き詰めることは、一般的な人にとっても、それぞれの自分のためにもなることだと思います。
 ヌーソロジーは先ほど述べた通り、「グノーシス思想」というものと考え方に近いです。グノーシス思想で目指している神性は「アイオーン(Aion)」とも呼ばれていますが、そうした神性に通じている「自己」というのがあり、それはヌーソロジーの目指す方向性にも通じています。日本にある「仏教」も、元々はグノーシス思想が入り込んでるものでもあり、そうした「自己」は「仏性」を持った自分という言い方もできます。仏教ではそうした存在を「仏」と呼んでいます。
 ここで言われている「自己」とは、自分が普段自分だと思ってる「自我」のような意識とは違うものです。人間が普段自分だと思っている「自我」は、「他人にとって見えてるであろう自分」や「客観的に認識できる自分」をベースに構築されているということを、心理学者ラカンが言いました。それは、「鏡に映った自分」でもあり、「鏡像」だと言うこともできます。
 「自己」を発見するには、そうした鏡像が作り出す自分とは違った自分というのを探る必要があります。それは、人間の無意識に潜むものであり、心理学者ユングの言った「Self(自己)」という概念にも該当します。
 この「自己」を発見し、認識することは、ヌーソロジーの目的の一つでもあります。
 人間は、あらゆる「他者なるもの」の要求に答えつづけることで、「自己」を見失う運命というのを持っています。本来の自分を取り戻す為には、こうした運命を変える必要があります。「他者なるもの」に従い続けるような、受動的な生き方をしていると、自分が本来持ってるエネルギーを他者に取られ続けるような人生になってしまいます。それはある意味では安全な生き方と言うことはできますが・・・社会全体が危うくなることで安全とは言えなくなる生き方でもあります。どちらを選ぶかを選択することは重要です。
 社会的な「他者なるもの」を主体とする生き方をするのではなく、「自己」を主体とする生き方をすることで、物質的な常識からは考えれない所からもエネルギーが湧くようになり、「自己」の持つエネルギーやパワーを発揮して能動的に活躍することもできます。
 こうした問題は、「自己」と「他者」の在り方の問題でもあり、「社会」と「自分」を巡る、あらゆる問題の解決にも通じていたりします。自分自身が精神的にも物質的にも充実していながらも、それを他人にも分かち合えるような意識というのがあります。そのような意識がなるべく多い社会の方が、良い社会になると思います。
 ヌーソロジーはこうした「自己発見」もとい「自己探求」を、幾何学や数学を絡めて、明確に定義をしつつ行うことができます。合理的でもあるその方法論は、いわば「フレームワーク」と言っても良いものです。この「フレームワーク」は、数学的な4次元や5次元といった概念と、人間の意識との関連性についてが絡んでる所でもあります。

<上層視点>
霊的叡知と物質的知性との接合
 「自己認識」や「自己探求」の道において、「自己」を追求することは、「霊性」を追求することであり、「物質」に対する見方を変えることでもあります。
 こうした「霊性」に追従したモノの見方を身につけることは、「死後の世界」のモノの見方を知ることになりますが、実際の自分の在り方としては生きていることにもなるので、生きて物質的な世界を見ながらも、死後のような霊的世界にも触れることになります。このように、霊的世界とも物質世界も行き来できるという、両生類的な存在が、ヌーソロジーでは『変換人』と呼ばれます。
 ヌーソロジーでは、『変換人型ゲシュタルト』という思考様式を学ぶという目的があります。それをすると物質の内部と外部の見方が入れ替わる…なんてことも起きると言われています。従来の3次元空間的な物質の見方に加えて、それを「反転」させた特殊なモノの見方というのが身につくようになります。
 こうした変換人形ゲシュタルトの中には、相互了解が取れる「型」というのがあり、そうした枠組みを使って霊性を探求していきます。この「型」は、従来の物質知や、数学を利用することができます。そうやって、霊性を重要視しながらも、理性の重要性も忘れないで取り組んでいくのがヌーソロジーです。
 語られてることとしては、『シリウス』という存在がそういう思想を持っています。シリウスは恒星の名前にもなっていますが、古代の神話の中で語り継がれている神聖な存在でもあります。また、シリウスは物質と精神とを調整する力も持っています。
 人間の世界と霊的世界との関わり方を突き詰めていくと、物質か精神か、あるいは、理想的か社会的か、偏らないことの必要性も見えてくることになります。
 さらに突き詰めていくと、物質主義的なものと、精神主義的なものの主軸というのがあることに気付きますが、その双方を認めることにもなります。こうしたことが、人間の意識進化という道にも通じています。
 人間の意識進化の話は、その背後の宇宙的存在まで含めた意識進化という、壮大な話にもなっていきますが、ひとまずは、身近な所から見ていくべきであり、先程の「自己認識」の話が先になると思いますが、突き詰めるとそういう話の重要性も少しは分かってくるようになると思います。

<人類史視点>
ユダヤ的なものの彼方へ。日本精神の
発芽
 日本を含め、今の世の中は資本主義が支配していると言っていいものです。
 西洋文明が主な発端となっている資本主義は、ユダヤ人の持つ思想との関連性が強いです。ユダヤ思想とは一神教的思想であり、今日のキリスト教にもそれは受け継がれています。
 ユダヤ人の生き方が「金融」というシステムや、ユダヤ金融資本というのを生んだという話もあります。この「金融」というシステムやユダヤ金融資本が、資本主義において莫大な力を持っています。
 それらの一神教の作り出す風潮のアンチテーゼとして、ユダヤ人の中ではユダヤ神秘主義というのが生まれ、これが後にカバラという思想体系にも発展することになります。また、西洋では今に至るまでにあらゆるアンチテーゼを生み出されており、それが秘教や密議、魔術という形で影で語り継がれています。それから、東洋では、西洋とは逆に、霊的な思想や多神教的な思想というのを持っていて、それが西洋文明のアンチテーゼと合流する動きなどもありました。
 しかし、それらのアンチテーゼは、時代の影で脈々と受け継がれていって機能していながらも、国家や社会の根本を変える程の規模の力を持つことはできなかったという実状があり、大きな力を持つには至らなかったと言うことができます。また、霊的な思想が極端な思想に陥ることや、宗教のように形骸化する展開でなかなか上手くいかないこともありました。東洋の霊的な思想の力には、それはそれで限界がありました。
 西洋資本主義文明に行っても、東洋霊的文明に行っても行き詰まる、このジレンマを克服する道は、西洋の思想と東洋の思想の統合の道でもあります。
 日本という国は、アジア唯一の先進国となった国としても有名ですが、西洋的・一神教的な側面と、東洋的・多神教的な側面とを合わせ持つ文明となっています。神道日本神話の構造を見ると、それがよく分かるようになっています。具体的には、アマテラス神スサノオ神の共存関係がそこに現れており、前者の一派は天津神、後者の一派は国津神と呼ばれています。そして、それらが「和する」ことを目的とする考え方が、日本思想の根底にあります。
 こうした日本思想が表れているのが、「日本語」という言葉であり、この言葉の使い方が特殊なのが日本民族の特徴で、これが新たな可能性を持っています。日本語は、他の言語と比べると「言霊」の持つ力というのが強く、これは「言葉」を、記号ではなく「精神」として扱うという思想の表れとなっています。これこそが日本語本来の力です。
 ヌーソロジーで言われている、物質と精神とを接合するという目的が、そういう道に通じています。また、チャネリングソースの「オコツト」は、日本の神様と思わせる節もあり、その思想を重要視しています。

<究極視点
素粒子の構造と人間の意識との相関関係の解明
 これは、先程の「霊的叡知と物質的知性との接合」にも絡んだ具体的な内容にあたります。
 物理学の世界で、1920年代頃から明らかになってきた「素粒子」の構造は、人間の意識との関連性があるということを「オコツト」は言いました。ヌーソロジーの元となっている「オコツト」と「冥王星」の思想としては、ここに重点を置いてる側面が強く、ここは半田広宣さんがメインで取り組んでいる所でもあります。
 「素粒子」とは「物質」の大元になるものであり、対して、「人間の意識」は「霊」と言えるものであるため、これは、「物質」を「霊」として見ることにも繋がっています。
 ヌーソロジーには、人間の意識の「型」や「構造」にあたるもの突き詰めていく方針がありますが、「素粒子」と「意識」との関連性を追及することは、それらをより精密に記述するということにもなります。
 また、古代からも伝えられている霊的な叡智を、現代人が築き上げた科学的な知識と接合するという目的もあります。これによって、霊的なものは「力」を持つようになり、それによって変革を起こすことも可能となります。
 こうした話は、数学や物理学の中でも特に難関な、量子力学の話にもなり、かなり難しい領域の話となりますが、これによって何か、具体的な発明品など出来上がって、世の中にインパクトを与えれるようになると良いと思います。

<総合視点>
霊性を先手にした能動的知性の発展
 オコツトが提示した情報の中に、『NOOS(ノウス)』と呼んだものがあります。これは「ヌーソロジー(Noosology)」の語源でもあり、コウセンさんは「能動的知性」だと説明しています。「霊性を先手とするための知性」だと言うこともできます。それから、「旋回する知性」とも言われています。精神と物質との間を動き回っていて、そこでどちらかに停滞し、堕落することのない動きをしているものです。
 「ヌーソロジー」の名前の由来がこれなので、ヌーソロジーとは、総合的にはそれを追求するものと言うことができます。この『NOOS』を探求することは、哲学者プラトン「イデア」と呼んだものを認識することでもあります。「ヌーソロジー」は、ギリシャ語の「NOUS(ヌース)」からも掛け合わせてあるだけあり、考え方的にはギリシャに少し近いのかもしれません。
 『NOOS』の逆が『NOS(ノス)』と言われています。『NOOS』を「男なるもの」とした場合、『NOS』は「女なるもの」ということになります。そして、『NOOS』は、こうした『NOS』との関わりがあってこそ、「旋回する知性」としての特性が活きるようになります。
 その為、そうした「女なるもの」ものとの交差であったり、関わり方であったりも、それはそれで大事な話となります。