10.真理領域(U)、陽極天

・『X.真理領域』で述べたが、この領域のものは、はっきりした意味を掴むのは、困難極まる。

・しかし、分かっていることだけ述べてみる。


・『陽極天』は『真理領域』の中の「三つの存在」のうち、「陽」を司っているものである。
 それは、この『樹』における「陽」の原理の頂点を司っている。

・カバラにおいて「ホクマー」にあたり、「ホクマー」は「ケテル(1)」に続く、「2番目の存在」となる。

・カバラにおいての「ホクマー」は、右側にあるとされる、「陽」の柱の頂点にあたる。

・それは、ケテルからのエネルギーを受け取り、そこから形成する以前の状態のものを持っている。つまり、形成前の、抽象的な存在を司っている。

・ヌーソロジー的には、「感性」という存在が、ここに対応する。まさしく、フワフワした、「割り切れないようなもの」である存在に該当する。

・「ホクマー」は、伝統カバラにおいて、「知恵」という言葉が割り当てられている。これは、「カバラ」における「ゾハールの書」に、それに相当する単語が書かれているのである。
 しかし、ここで言う「知恵」とは、脳の働きの中でも、微細なものを掴むような、そうした「知恵」の働きのものを指すという側面が強い。それを「叡智」と訳す解釈もある。ここでは「叡智」という言葉を採用する。
 「叡智」というものは、「神の知性」であり、それは直感によって一瞬で解るようなもの、「認識(グノーシス)」するものである。
 ここでの脳の使い方としては、「感じる」「感じたままの思考で行動する」というようなイメージの方が強い。
 「感性」という言葉を当てるのにも近い、「叡智」である。

・数字は、「2」に対応している。点が2つある状態では、少なくとも、何かしらの形は作ることはできず、フワフワと線しか作れない状態で漂うことになる。
 あるいは、片方を中心点とした円運動であったら、形を作ることができるので、その状態で形成を行うか、である。


・「ホクマー」は、カバラにおいて、「男性原理の本質」と言われているが、それは感性的で感情的なものを指すので、「男性」と解釈するのは、なかなか困難である。
 感性的なものを指すが、敢えて「男性」を象徴とするのが、伝統カバラにおける一つの考え方とされるが、この部分を理解するには、一般常識とは違った感覚が必要である。
 どちらかというと、「陽性」と解釈することを推奨する。「ホクマー」は、「陽性原理の本質」と呼ぶに相応しいものである。

・もし、「男性」で解釈するならば、日本神話のイザナギのイメージが近い。
(しかし、イザナギは、正式には、ホクマーでない別のものに割り当てられるという説がある。)

・感性的な要素があるが、非常に力強く、種を持った父親的な要素も持っているので、カバラにおいては、「男性的なもの」として扱われている。
 

・「ホクマー」は、「2」の存在であり、「1」である「ケテル」の力を、そのまま受け取っている存在である。その力は、強い生命力のエネルギーに満ち溢れている。

・色は、灰色とされているが、それは「ケテル」の多様な色を持つ力を、その中に含むことができるので、虹色と解釈することもできる。
 太陽光は、元は白く、見えない光だが、プリズム状に分解することで、虹色を作りだすことができる。丁度、そんなイメージである。

・「ホクマー」は、純粋に「生」を司っていると言われている。「ケテル」のエネルギーをそのまま受け取っていて、この時点においては、その存在に「死」は無く、永遠に行き続けることが可能である。


・「ビナー」と『陰極天』の関係と同様、「ホクマー」はあくまで、「ゾハールの書」に書かれている「ホクマー」である。
 それを人間の側から見た、相応するものが『陽極点』である。


・ヌーソロジー的には、ψ10に対応している。

・ψ10は「感性」、中でも「人間の感性」と言われている。

・ψ7とψ8を中和する存在であり、ψ1〜ψ8の構造のおいて、その力を人間に降ろす役割を持っている。

・それは、いわば、各ユニットに対して、生命エネルギーのようなものを供給している役割にあたる。

・『陽極点』は、各『次元ユニット』のエネルギーを、丁度、色彩のエネルギーにあたるものを配給している。その中で、恐らく、『地上』だけは少し特別であり、それは、また別の手段で、色彩を作り出している。


・「感性」は、ヌーソロジーの世界では、「女性原理」として扱われているものである。
 これは、カバラにおいて、ホクマーが「男性原理」として扱われていることに矛盾する。
 これはどういうことかというと・・・ひとまず、どちらも、「感性」「情感」「夢想」といったイメージのものを持っていることは確かである。
 また、ケテルの力をそのまま受けとった、強い光のようなイメージを持っているので、「陽性原理」と呼ぶのが正しいと言える。

・カバラは、主にケテルからの視点、ヌーソロジーは、主にマルクトからの視点で、構造を見ているので、視点によって、性別の解釈が違うということが考えられる。

・また、「感性」は、男性の持つ精子の構造に対応していると言われる。この点においては、確かに男性原理と呼ぶべき性質を持っている。


・カバラの原典にある「ホクマー」と、ヌーソロジーとの絡みについて説明すると、「ψ10」というように説明してきたが、正確には「ψ*10」である。そして、「ψ*10」→「偶数系元止揚」の流れを作っているものである。これは、「ビナー」の時と同様である。

・「ψ7とψ8の等化」によって、他者側へと交差するので、そのとき、ψ10がψ*10の性質を持つものとして扱われる。

・よって、「ホクマー」は、「ψ*10」としての側面と、「偶数系元止揚」を作るものとしての側面がある。また、その時は「ψ9」の力を持つ。より突き詰めたことを言うと、根元的な作用としては「Ω9」の持つ力である。
 この時、ヌーソロジーで「反定質」の力を作る、「父」なる力として機能する。

・「ホクマー」は、原典によると「存在」を作っているという記述がある。この「存在」とは、カバラの世界では、神(他者)の感性(Ω*10)から受け取るものである。
 従って、カバラの場合は、「ホクマー」の本体は「Ω*10」にあるとするのに相応しい。

・「言語」も同様で、ユダヤ教神秘主義にとって、言葉(ヘブライ文字)とは、神の感性(ψ*10)から受け取っているものだと言うことができる。それが、ψ9として作用するようになる。

・こうして、「ホクマー」は、「ψ*10」に着目されている場合と、「偶数系元止揚」に着目されている場合とがある。
 「ψ*10」に着目された場合、「力」「感性的なもの」「陽」というイメージが浮かび上がり、「偶数系元止揚」に着目された場合、「存在の父」「あらゆる存在を作るもの」というイメージが浮かび上がってくる。

・また、「ホクマー」は原典では、「存在の父」という風に伝えられているが、「ケテルにとっては女性原理である」という記述も、原典にはあるため、一概に「男性原理」というというわけではない概念だと言うこともできる。


・『陽極天』は、惑星では「海王星」が対応している。これは、ヌーソロジーにおけるψ10への対応である。
 しかし、伝統的なカバラにおいて、「ホクマー」は「天王星」、「ケテル」が「海王星」に割り当てられることがある。だが、この辺りは、カバラの中でも考察が難しい領域であり、それとはまた違った説も存在する。
 「ホクマー」を「黄道十二宮」、「ケテル」を「原初の渦巻」とする解釈も有力である。
 特に、「土星」以降の概念についてが、あまり明確に定まっていない。近代魔術カバラの解釈で中核を成す「黄金の夜明け団」の設立時(1888年〜1903年)は、冥王星の発見(1930年)がされていなかった点も大きいことである。

・「ホクマー」は「海王星」、「ケテル」が「冥王星」に対応するという説も中には存在する。ここではそれを採用する。
 
・「海王星」は、抽象的なもの全般を、司っていると言われている。それは、夢想的なもの、芸術的なもの、サイキック的なもの全般である。

・『陽極天』は、形成前の神のエネルギーを持っている、従って、より抽象的な芸術との関わりが強い。

・中でも、芸術の持つ、生命エネルギーの部分を司っている。


・はっきりしたことは分からないが、『陽極天』は、人間にとって、幻想の元となる、幻想の源泉を作っている存在にあたる。
 この幻想は、時として、人間にとって諸悪の根元ともいえる存在を作り出すものでもある。
 
・『陽極天』は、そうした人間にとっての「悪」と、根深い関わりをもっている。
 それは、ここで説明している『樹』の世界の中では、かなり上級の「悪」にあたる。

・『陰極天』の本当の役割は、その幻想を殺すことにある。
 『陰極天』は、元型の世界では、「死」を司り、まがまがしいものの象徴であったが、人間の世界では、救世主として解釈することができる。


・また、『陽極天』は、「生命力」の元ともなるが、生命力は、人間にとっては欲望となり、特に肉体のそれとよく結びつく。
 「肉体的欲望」は、低次の欲望にあたり、それも「悪」を引き起こす。

・肉体的欲望は、ゾロアスター教における「アーリマン」とも関係がある。
 恐らく、「アーリマン」の存在は、『陽極天』が絡んでいる。


・『陽極天』と『陰極天』が合わさることによって、人間が生まれる。

・『陽極天』の持つ「生命力」と、加えて、『陰極天』の持つ、「自由意志」と呼ばれるもの…、「神を断絶する意識」と、「科学を追求する知恵」、「組織を作る性質」、「信仰する精神」・・・さらに、そこに人間の欲望が加わることで、「サタン」的な要素がでてくるようになり、「サタン的な悪」が生まれるようになる。
 これらは、『陽極天』の情動的側面が主体となっており、そこに『陰極天』が加わってる状態である。

・それに対して、『陰極天』は「メシア」的な役割を、覚醒することで持つことができる。
 『陽極天』と『陰極天』のお互いの要素で、悪転する要素が重なった時、「サタン」的なものが生まれ、逆に、善転する要素を重ねた時、「メシア」的なものが生まれる、と言うことができる。
 この「メシア」的なものこそが、真の人間が持つべき方向性である。

・『陰極天』と『陽極天』の間において、人間の世界と、元型の世界では、こうした物事の調整が行われる。


・魔術カバラにおいて、「ティファレト」は、「低次のケテル」と言われているが、同様に、「ネツァク」は、「低次のホクマー」と言うことができる。
 この二つは似た性質を持っており、関係している。

・ヌーソロジー的には、それは、[ψ10⇒ψ*4]という、「凝縮化」の関係にあたるが、「ホクマー」と「ネツァク」も、同様の関係にあたる。

・また、「ネツァク」に対応する『情動の陽光』は、「陽」の象徴として、錬金術における「硫黄」に関係しているわけだが、『陽極天』は、より高次元の「陽」であるので、より根元的な「陽」の役割を持った、より本質的な「硫黄」と解釈することができる。


・『情動の陽光』が、『情動の深淵』という、まがまがしい裏側を持っているのと同様に、『陽極天』も、恐らく、まがまがしい裏側を持っている。
 むしろ、『情動の深淵』とは、『陽極天』の持ってる裏側であると見ることができるが、はっきりしたことは分からない。

・それは、「Ω10」や「ψ10」が、他者にとっては、「Ω*10」や「ψ*10」になることによって生まれる、「反定質」的な力の作り出すものかもしれない。

・『情動の深淵』的な、絶対的な「悪」は、『陽極天』が絡んでいるということである。
 恐らく、この絶対的な「悪」は、「アーリマン」とも関係がある。

・この辺りの構造は、世界の根幹を司っている所であるため、解読も困難極まるので、よく研究してみる必要がある。




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