2.境界線上の自我

・そこには、まず、人間の「自我」が存在すると言われている

・意識の領域も司るが、無意識の領域も司る。それは恐らく、意識と無意識の境界に存在する。意識の番人であるが、無意識の番人でもあり、夢の世界への通路ともなっている。

・「心」そのものと言える。ここでいう「心」とは、「魂」といえるほどのレベルは高くない、普段、我々が「心」だと思ってる「心」である。

・そもそも、「自我」とは、普段、主に我々が「自分」だと思っている「自分」を指す。

・それは「エゴ」とも呼ばれ、正直、あまり、性格は良い方ではない。自己を形成するもの全体を表す、心理複合体の中では、低次元な方で、自意識過剰でプライドの高い性格を持つ。

・肉体的な欲望とも、よく結びついた性格を持つ。自分の無意識の中には、高次元の自分と、低次元の自分がいるとされるが、肉体的な欲望というのは、低次元の自分が宿る所とされる。

・また、「自我」は、「ペルソナ」とも関係がある。「ペルソナ」とは、「仮面」のことを言っており、「他人に向けた自分」のことを言う。人間は、社会的に生きる時、必ずこうした自分を持っている。
 社会的に上手く生きるためには、この「ペルソナ」は、むしろ強化した方が良い。

・しかし、人間の意識進化を視野に入れると、ただ、「ペルソナ」を持って生きるだけではいけない。それは、人間が本質的に持つ精神を、無視する方向性にあたる。
 時に、必要な時には、この「ペルソナ」を解体し、見直し、また新たな自分を作りあげる必要がある。そうして、「ペルソナ」としての自分が絶対ではないという視野から、再度、「ペルソナ」を見直す必要がある。

・それから、「自我」を疑うにおいては、「シャドウ」を見つめる必要性も出てくる。
 「シャドウ」とは、ユング心理学において出てくる用語であるが、簡単に説明すると、「普段自分が見ていない自分」のことを指す。割と「ペルソナ」とは反対のものである。
 「シャドウ」には、「自分にとって嫌な自分」であったり、「社会的には必要とされなかった自分」「自分と認めて付き合うのが面倒くさい自分」であったりするものが存在する。今まで直視することを避けていたものである。
 そして、時にはそれと直面せざる負えない危機がやってくるのである。
 こうしたものに立ち向かわなければならない勇気も、意識進化のために、人間が持っていなければいけない勇気となる。

・「シャドウ」との向き合いは、難しい人にとっては難しい問題である。
 そこは自分の問題なので、自分のペースでやっていけば良いといった所である。


・「自我」が「分裂」を起こすと、夢の領域へと突入する。これは、「ペルソナ」の解体ともなる。

・夢の世界の中では、「他人に向けた自分」というものは必要なく、「自分の思い通りの自分」というものが重要となってくる。

・「境界線上の自我の分裂」は、強く強力な、夢の世界への参入である。

・「境界線上の自我の分裂」は、その印象は、まるで「ホラー」である。それは、自分というものの、死の可能性を持っているからである。自分というものを、生まれ変わらせるには、人間は、「自我の死」の恐怖に、立ち向かわなければいけない。

・そもそも、意識進化には、「自分を変える為の勇気」というものが必要不可欠である。「境界線上の自我の分裂」においては、自我が死ぬ危険性のある恐怖というのが浮き彫りにされる。そして、それを克服するための勇気の必要性というのも、明らかになる。

・「境界線上の自我の分裂」は、恐れを感じるものではあるが、確実な成長の道にも繋がってくる。まるで、良く効く毒薬のような魅力を持つものである。

・「狂気」というものも、「分裂」と似たような力を持つものである。あるいは、それらはほぼ一緒のものとも言える。意識進化を視野に入れて考えると、人間は、多少の「狂気」を持つようにプログラムされているぐらいが丁度良いのである。

・夢の世界においては、陰側の世界と、陽側の世界が存在する。これを、ここでは、『知性の陰影』と、『情動の陽光』と呼んでいる。

・ここで味方につけるべきは、どちらかというと陰側の世界である『知性の陰影』の方である。これについては、詳しくは『知性の陰影』の項目にて記述する。


・「生命の樹」において、この部分に対応する「イエソド」は、惑星においては、「月」が割り当てられている。月は、時に太陽的な作用とは対称的な作用により、「自我」を司ることもあるが、一方で、人間の無意識を司ることもある。

・「月」は、時期によって形が変化することのある惑星であり、「移り変わり易いもの」の象徴としても扱われることがある。
 それは、「無意識の万人」としても作用するが、「自我を司るもの」としても作用することもある。


・『境界線上の自我』に対応するものは、ヌーソロジー的には、ψ2にあたる。

・ψ2は、マクロによって発生するとされる。マクロは、想像的宇宙空間、つまり、「単純に宇宙を想像したような中での宇宙空間」を表す。

・ヌーソロジー的には、とりあえずの「∞」に対応する。この「∞」が指す無限遠点は、「大体こうした形」と想像した無限遠点を指す。

・ψ3とψ4の位置を表す、「+∞」「−∞」は、もう少し深い意味合いを持つが、ここでの「∞」は、宇宙空間の果てを無限に見立てた、「想像的な無限」程度の無限である。

・宇宙空間、時空間がこそが絶対である・・・と世界を捉えていると、人間は、宇宙空間の果てを無限に見立てた、単純な程度の無限しか想像できず、それは、時空間が絶対であるという常識と結びついている。

・ここで作られる「常識」が、「自我」と結びつく。

・ここを脱するには、「常識」を脱しなければいけない。

・ヌーソロジー的には、ここでの「常識」が、「人間型ゲシュタルト」とも言われる「空間常識」と結びついている。ヌーソロジーでは、空間常識の打破とは、同時に、自我の持つ今までの「常識」を、打破することにも結びつく。

・ψ2は、ヌーソロジー的には、「ノス」側になる。よって、「境界線上の自我」も、意識進化の反映側となる。「自我」や「ペルソナ」に依存すること、そちらに主体を持っていきることは、意識進化の妨げとなるということである。


・こうした「自我」の働きは、「時間」とも関係がある。
 「時間」に対する執着も、「自我」と結びつく。
 「自我」というものは、過去から未来に流れる時間しか、認識することができないからである。
 「自我」を脱するにおいては、こうした「通常の時間の感覚」というのも、疑う必要がある。


・カバラにおいて、普段の生活習慣は、「イエソド」たる「自我」に溜まるとされている。
 カバラでは、「イエソド」をコントロールすることで、生活習慣をコントロールするという秘法がある。
 よって、ここを上手く扱うと、生活習慣も上手く変えることができる。


・「自我」の解体をし、夢の世界へと参入した時に、自分を見失わないためのキーとなるものが、次元ユニット3の、『知性の陰影』である。




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