・カバラの「生命の樹」においては、「ホド」に対応する。ホドは、「知性」を司ると言われている。
・精神幾何学的には、それは、「4次元空間」と関係があり、3次元空間から、4次元空間を正しく認識することで、見ることができるものである。
・また、「4次元空間」と同様に、「霊界」とも関係があり、「死の世界」とも関係がある。
・そもそも、自我を4次元空間に持っていくということは、「自我にとっての死」を意味する。そうした、「死の世界」の中で、如何にして自分自信の主体を見失わず、落ち着くことができるかが、『知性の陰影』と関わる上で、重要となる。
・それは、「境界線上の自我」が、「分裂」を起こした時に、最も理想的に「統合」する際に、必要となる方向である。
・この存在を示す場所として、「知性」としているが、それは、対極側にある『情動の陽光』に対する、「知性」である。得てして、「情動」は、誘惑を発しやすいものなので、「誘惑を発するものとの対極」として、存在している。
ここでの「知性」は、まず、「誘惑」や「欲望」に翻弄されない、理性のようなものを指す。
・この場所では、「知性」がいくらか関わっているが、「知性」が一番重要というわけではなく、あくまで、夢の世界での陰側の存在。という点の方が重要である。
・「信仰」とは対立する側面を持つ。それは、「信仰」において信じている「神」とは何か?を問う立場である。この立場は、「ヘルメス主義」の立場であり、よって、カバラにおける「ホド」の知性は、ヘルメス主義のような知性であり、古代ギリシャで発達した哲学のような知性と言われる。
・惑星は、「水星」が割り当てられている。
水星は、ホドと同様に「知性」と「思考」、それから、「コミュニケーション」を司っている。
また、「スピード」もいくらか司っている。『知性の陰影』というのは、「思考の加速」というのと、いくらか関係がある。
・理知的で、知性的な存在ではあるので、男性のようである。それも、男性の中でも、表面的な部分を表している。男性というのは、女性に比べて、理性を重要視する傾向にある。
・カバラにおいて「ホド」は、「受動性」を司っていると言われている。この点に関して言えば、女性的な部分も持っている。
・『知性の陰影』において重要なのは、それは「影そのもの」であるので、その領域においては、「光」と「影」に分けて、物事が捉えられることがない。「影そのもの」であるものにとっては、「光の存在」と「影の存在」があったとしても、そこから「正」と「負」に分けて考えるようなことはしない。
・『知性の陰影』は、何故か東洋の雰囲気や、和風と相性が良い。これは、東洋の思想というのは、「正と負に分けない」という考え方が根付いているからである。
もともとが、「影そのもの」であるという観点を持っていて、光であろうと、闇であろうと、とりあえず「和する」というのが、大和の文化が持っている考え方なのである。
・ヌーソロジー的には、ψ3に対応する。
ψ3とは、ノウス側であり、意識進化の鍵を握る側である。また、ψ3は、3次元空間にいるものが、4次元空間と関わって、意識進化を成すのに、必ず必要なものである。
そして、その必ず必要なものは、「影」側であり、時に「闇」を連想するものである。これはどういうことか?
つまり、3次元空間に住む者が、意識進化を成すには、先に「影」側のものと先に向き合う必要があるかもしれないということである。この課程を飛ばして、「光のキリスト」「光のブッダ」のようなものを目指すことは、危険なことかもしれない。
・「死後の世界」というのは、自分の「主観」によって、世界が作られるといった側面が強い。こうした側面が、ψ3は、「主体」が作るものであるということに対応している。その逆のψ4は、「客体」が作るものであるということが重要であり、「生の世界」というのは、周りの「客観」によって、世界が作られるといった側面が強い。
この「主観」と「客観」の対立関係は、「死の世界」と「生の世界」、「4次元空間」と「3次元空間」に、それぞれ対応にしているという所は、重要な所である。
・幾何的に、4次元空間をイメージすることで、『知性の陰影』を発見し、その認識を強めることができる。
<図>
・4次元空間の代表的なイメージ法としては、通常空間のローレンツ収縮法などが挙げられる。
上図のように、まず、通常空間を円に見たてて、その通常空間の収縮していく。
そして、その直径を最終的に「0」にして、さらに「0」から先に、裏返った方向へ、直径を広げた時、反転空間というのが生み出される。
ここで、通常空間の直径が「0」になった世界は、通常空間を光速度で移動した世界にあたるので、それをイメージする。
この反転空間は、通常空間を「実空間」とすると、「虚空間」にあたる。この「虚空間」は、「タキオンエネルギー」というものが存在する、「タキオン空間」でもあり、また、これが4次元への方向性を持つ。
<図>
・それから、立方体に対して、垂直な軸を立てる方法もある。
これは、ある雑誌に紹介されていたやり方である。
・上図のように、平面世界に落としこまれた立方体がある。これをまず、3次元世界と考えることにする。
次に、この立方体のある頂点に、印をつけて、その垂直方向に鉛筆を一本立ててみる。そうすると、その鉛筆は、立方体が存在している平面世界に対して、垂直に「直行」していることになる。
1次元に対しての2次元、2次元に対しての3次元・・・などは、必ず、その次元に対して、垂直に「直行」している所に存在する。そして、その「直行」している線そのものが、新しい次元の、新しい「軸」にあたる。
ここで、この上図の平面自体を3次元空間として捉え、そこに「直行」している軸を発見した所に、4次元空間というのが存在することになる。
そして、ヌーソロジー的には、4次元目の軸というのは、「自分の見てる物の対象へ、正面の真っ直ぐ前の方向」、つまり、自分の視野空間を平面と見立てた場合、そこで見てる対象から「垂直」にあたる方向になる。
よって、図での「垂直方向に立てた鉛筆の方向」と、「自分の視野空間の真っ直ぐ前の方向」とを一致させる。こうすることによって、4次元空間発見の糸口を掴むことができる。
・この時、4次元目の軸となるような「真の垂直」というものを立てるのは、少し難しい。微妙な感覚が必要であり、維持しようとしても、すぐに正しい位置からズレてしまうような特徴を持つ。
この「維持するのに必要な微細な感覚」というのは、覚えておいた方がいい。
・こうしたことを実際やってみれば分かることだが、真剣に成功するには、かなりの微妙な感覚が必要となる。
それは、集中力を要する。それも絶妙な感覚を掴み続ける、ハイレベルな集中力であり、それでいて、力を抜く感覚も、必要となってくる。
いわば、「妙」のようなものを掴む感覚そのものが必要となる。
・悟りの境地は、時として、「妙法」と呼ばれるが、この「繊細な感覚そのもの」が重要なのである。
・4次元や、高次元空間のイメージを行う者が、共通して述べることは、「イメージが難しい」ということである。
すぐ、油断すると3次元空間のイメージに戻ってしまう。または、イメージの維持が、元々難しいものなのである。
・この繊細な難しさそのものが、「妙法」であり、それこそが、「真理」に通じているわけである。3次元から4次元への入門は、それを体験することになる。
・「4次元認識」に成功し、「4次元目の軸」を、「自分の見てる物の対象へ、正面の真っ直ぐ前の方向」に発見した時、ヌーソロジーでは、この時に「前に見てる光景そのもの」が、「人間の外面」にあたる。
また、この時に、対象へ「真っ直ぐ前の方向」の無限遠点先に、既にそこにあるかのように「主体」が存在し、これが次元観察子ψ3を作る。
この状態で、目の前の光景を見ている感覚は、「見る」ではなく、「観る」であるということができる。
・この状態においては、「空間」と「時間」を、「分けて考えない」という捉え方で、空間を認識している。これが、ψ1とψ2を「等化」した、ψ3の状態にあたる。
<図>
・さて、『知性の陰影』の奥か、最深部か、その裏側には、『知性の深淵』というものが存在する。これの正確な正体は、分からないが、『知性の陰影』と関係があるもので、『知性の陰影』よりも、より真理に近い、『知性の陰影』より奥へと進んだ先にある、何かである。
・それは、「知性」が重要視される領域の中で、思考を捨てている存在である。思考を捨てることによって、情動もコントロールできるようになっていて、清らかな心の境地を持つことができている。
・仏教における「浄土」と、恐らく関係がある。
・仏教における、「涅槃寂静」とは、こうして思考を捨てて、一切の分別も無くして、清らかで安らぎのある心の境地のことを指す。釈迦は、それこそが、至福の幸せであることを説いた。
・『知性の深淵』は、恐らく、思考を持つ生き物である、人間のみが到達できる領域である。
元々、思考がない存在が、思考がないままでは、この境地に到達することはできない。人間が、思考を捨てることによって、この境地に到達することができる。
・この境地に達した人間は、ひたすらに「分けて考えない」という精神を持っている。これは、人間が意識進化をする上で、必要な思考の在り方である。
・人間を進化させる、「影」にあたる、『知性の陰影』であるが、この「影」に対する、「光」にあたるものが、次元ユニット4にあたる、『情動の陽光』である。
『知性の陰影』が明確に見えるようになってくると、『情動の陽光』との対立関係も、明確に見えるようになってくる。その関係こそ、意識進化において、重要である。