4.情動の陽光

・それは、自我より、無意識へと出た「夢の世界」においての、陽のあたる「光側」の領域に存在する。

・それは、『知性の陰影』のような「死の世界」から見た、「生の世界」である。

・カバラの「生命の樹」においては、「ネツァー」に対応し、「情動」を司ると言われている。それは、喜びを満たす為に必要なものである。

・惑星においては、「金星」が割り当てられている。西洋占星術における、「金星」の持つ意味は「愛情」であり、特に「恋愛」に近い愛を司る。
 『情動の陽光』は、そのような、愛情豊かな、情感の力を持っている。

・その性格から、単純に「女性的」であると言うことができる。女性の持つ力は、他にも、深く見ていくと色々あるが、その中でも、割りと表面的な部分である、華やかで、愛情豊かな性質が、ここで現れている。

・カバラにおいては、「ネツァー」は、「能動性」を司っていると言われている。この点に関しては、いくらか男性的な所も持っている。

・それは、「信仰」とも関わりのある存在である。この辺りは、豊かさを司る自然霊の生息する領域と言われているので、ここで、行われている「信仰」とは、豊かさを守るための、そうしたものに対する信仰である。

・人間は、「信仰」を守ることで、「生」を充足させるという側面を持つ。こうした、「信仰」の力は、『情動の陽光』を捉えるにおいて、重要な所である。

・『情動の陽光』は、人間の「生」を充足するものであり、人間が生き生きと生きていくのに、一般的に必要となるものである。


・『情動の陽光』において重要なことは、「陽が当たっている」ということである。「陽が当たっている」ということは、「陽が当たっていない」ということも生ずる。つまり、「正」と「負」に分かれるのだ。
 この、「陽光」は、「正」と「負」に分ける力を持つという所は、非常に重要な所であるので、押さえておくべき所である。
 
・従って、『情動の陽光』というのは、「正義の味方が悪を倒す。」という、典型的なストーリーや、天使と悪魔が登場するような世界観とは、相性が良い。


・ヌーソロジー的には、『情動の陽光』は、ψ4にあたる。

・ψ4は、意識進化の反映、ノス側であり、意識進化において先手とすべきなのは、どちらかというとノウス側であるψ3である。この観点だと、『情動の陽光』より、『知性の陰影』の方が、意識進化において重要である。

・ψ4は、「自分が「見られている」と想像している空間」と関係があり、その空間は、華やかで見たくれの良いものを飾ろうとするものである。

・ψ4は、女性の「化粧」とも関係がある。化粧とは、「見られること」を意識して行われる行為である。そして、化粧の持つ華やかさや、女性の持つそうした文化もまた、ψ4と関係があり、同様に、『情動の陽光』と関係がある。

・ψ4の、「自分が、見られていると思うこと」は、「見られていることを意識して行う行為」に関係があり、それは「信仰」に関係がある。
 「信仰」とは、集団で、「皆に見られているという意識を持って、皆で一団となって行う」行為であることが多い。(ここでいう「信仰」とは、「宗教」に近いものを指す「信仰」である。)
 ここに、「ネツァー」と、ψ4との関連性がある。

・また、「見られる」ということを成立させる空間は、「明るい空間」である。ここにも、「陽光」と、ψ4との関連性がある。
 ψ4と『情動の陽光』は、主に「昼の意識」と関係があり、ψ3と『知性の陰影』は、主に「夜の意識」と関係がある。


・『情動の陽光』は、「生」を充足するためには必要なものである。
 しかし、あくまで「樹」において重要なのは、それは意識進化において、主体となって働くべきものではないということである。主体となって働くべきものなのは、「死の世界」側にある、『知性の陰影』であるとされている。


・『情動の陽光』は、「喜び」、「愛」といった、華やかなものを司っている。しかし、それらには必ず裏がある。
 「喜び」の裏には、それと対極の存在にあたる「陰り」があり、それは、『知性の陰影』が司っている。意識進化のカギを握っているのは、こちら側である。
 そうした、「喜び」と対極側にある「陰り」も、意識進化の為には向き合う必要があるということを、抑えておく必要がある。


<図>
・『情動の陽光』の、より奥底、またはその裏側を見てみると、そこには、『情動の深淵』というものが存在する。
 それは、日の当たる光の世界とは、逸脱した、血のようなまがまがしさを放つ、地獄のような存在である。

・『情動の深淵』は、恐らく、『情動の陽光』と関係のある、『情動の陽光』の、その先を進んだような存在、あるいは、『情動の陽光』があるからこそ、必ずあり続けるような存在だが、正確な正体はよく分からない。

・恐らく、『情動の陽光』は、これまで華やかなものをもたらすということを述べたが、『情動の深淵』は、恐らく、それらが裏目に出た結果である。

・グリム童話などが、『情動の陽光』の世界観を表した、典型的な物語かもしれない。それは、一方で華やかで可愛らしいものを表しているが、もう一方では、非常に怖く恐ろしいものを表している。

・華やかで、人間が生きていくのに必要な要素のある『情動の陽光』であるが、ヌーソロジー的には、あくまでノス側の存在であり、進化の反映側として働く必然性をもったものである。そうした性質が、この『情動の深淵』を引き起こしている。

・『知性の深淵』もそうであるが、この「深淵」は、恐らく、人間にのみ到達できる境地である。恐らく、元々、肉体を持ったことのない、神や純粋な天使が到達できる領域ではない。

・情動と欲望のみに身を任せたような、絶対的なまがまがしさは、ゾロアスター教に出てくる、「アーリマン」とも関係がありそうだが、正確な所は分からない。

・『情動の深淵』という存在は、いわば情動に翻弄された結果、生まれるものなのだと思われるが、これは思考にも翻弄されている。
 情動にのみ身を任せているようだが、考えや思考を詰め過ぎて、おかしくなっている状態でもある。
 人間は、思考に翻弄されると、情動も制御できなくなるものなのである。

・やはり、『情動の深淵』は、まるで「悪」のようなものではあるが、人間に必要なものなのだと思われる。それは、肉体エネルギーの象徴のようなものであり、生命エネルギーをいくらか司っている。
 また、この生命エネルギーは、恐らく、「龍」の持つエネルギーと関係がある。

・肉体エネルギー、情動のエネルギー、悪のエネルギーを司っている『情動の深淵』は、究極的には、その対極の存在にあたる、『知性の深淵』と合わせて、扱っていくべきものである。
 それは、人間の内に潜むとされている、内なる「ドラゴン」を操るための、鍵となるものかもしれない。


・華やかで喜ばしく、人間にとって必要でありながら、実はまがまがしい一面も持つ『情動の陽光』。意識進化の力を実は持っていながら、世間では陰の存在として疎まれやすい『知性の陰影』。しかし、次の次元ユニットである、『中心の存在』にとっては、その二つは「どちらも必要なもの」となる。




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