5.中心の存在

・『樹』における、下の端と、上の端との真ん中、丁度中心に存在し、また、中心から全体をまとめる役割を持った存在である。

・カバラにおいて、上の端の点を「ケテル」、下の端の点を「マルクト」とおいた時、その中心の点を「ティファレト」としていて、それとも対応した存在である。

・「魂」というものは、恐らくここに位置させておくのが正しい。その下の『境界線上の自我』に、「心」があり、さらにその下の『地上』に、「肉体」がある。

・ここには、「高次元の自分」と言える、「自己」と呼ばれるものが存在する。それは、「グノーシス主義」において、「叡智の認識(グノーシス)」を目指すべき自分であり、グノーシス主義において、「神性を持った自分」とされる存在である。

・カバラにおいては、ティファレトは、「キリスト中枢」と呼ばれている。従って、ティファレトと対応するこの『中心の存在』は、あのキリスト教のキリストとも関係がある。

・そもそも、キリストは、「油を注がれた者」という意味である。これは、「主から聖霊を受けた者」とも解釈できる。神なる「主」に愛された、清らかな良心を持つ者は、皆、キリストになることができ、そもそも、その良心そのものを「内なる神」として、それを認識し、目覚めさせることが、グノーシス主義におけるキリスト教である。

・仏教における「仏」を、この『中心の存在』に置くこともできる。仏教も同様に、「目覚めた者(ブッダ)」である、「仏」を目指すために、修行をする教えである。

・「仏」も「キリスト」も、古来から、漠然とした「超越した自分」であったが、カバラを使って、このように明確に定義することもできる。
 それは、上端である「ケテル」と、下端である「マルクト」と、中心に位置している「自己」である。

・ユングの提唱した、「セルフ」という元型とも関係がある。それも同様に、全体の中心にあると言われる「自己」である。

・『中心の存在』は、本当の意味での「自己」であり、それを知ることで、「真実の自分」というものを知ることができる。


・ティファレトは、惑星では「太陽」が割り当てられている。
 それは、サンサンと輝く、「自己」としての「太陽」である。
 全体の「中心」であるからこそ、重要な星が割り当てられているのである。  

・それから、カバラにおいて、ティファレトは、「太陽神経叢」と関係があるとされている。
 「太陽神経叢」とは、お腹の胸の中間ぐらいの、みぞおちのあたりの胃の裏側にある、重要な自律神経の束のことである。ティファレトは、この「太陽神経叢」に働いており、ここを落ち着かせることで、ティファレトを認識することができる。

・この「太陽神経叢」に対する意識は、東洋思想における「腹」に対する意識に近い。「腹」も「太陽神経叢」も、人間にとって重要な自律神経が詰まっている所だが、ここを落ち着かせることというのは、案外難しい。しかし、こうしたものに意識を向け、心を落ち着ける秘法というのが、重要となる。
 東洋において「腹」に意識を向ける行為というのは、精神幾何学においての高次元の意識、『中心の存在』に意識を向けることと、方向性としてはほぼ一緒である。


・これが存在する領域は、『知性の陰影』と『情動の陽光』のある、夢の世界の闇を突き抜けた、非常に清らかな領域である。

・夢の世界、異世界の冒険の果てで辿り着く、その清らかな雰囲気から、時には「浄土」、時には「桃源郷」、時には「天上世界」と呼ばれるような世界である。
 しかし、「天上」を、もし「天使の故郷たる場所」と定義するならば、この場所は「天上世界」と呼ぶのは少し違う。「天使の故郷」たる「天上」は、もう少し上の世界に存在する。あくまでここは、天使の故郷を示す場所とは違うということは押さえてもらいたい。

・ここに生息する者は、いわば多神教の神々のような者である。それぞれが一種の悟りの開いており、人間とは違った感覚で生きている。皆、それぞれが強い個性と理念、信念を持って、そこに存在している。
 また、「個」として存在する、天から使わされた「天使」であれば、恐らくここに存在し、個人においての「守護天使」のようなものも、恐らく、ここに存在する。

・ここより上界には、「自他一体」となった世界があり、そちらがまた、こことは違った世界となっている。天から使わされる前の「天そのものである天使」、または、「大天使」というのは、そちらには存在する。そこでは、その存在の魂は「個」としては存在せず、どちらかというと「グループ」「集合魂」として存在する。しかし、『中心の存在』のある領域は、あくまで、「個」でいることが許されてる領域である。


・ヌーソロジー的には、ψ5が当てはまり、ψ5が「自己」に対応すると言われている。ここでいう「自己」は、これまで説明してきた自己にも、ほとんど該当する。

・ヌーソロジー的には、ψ5は、ψ3とψ4を等化した、高度な知覚を顕在化した時に見えるもののことをいう。これまで説明してきた「自己」も、ここでの高度な知覚を持っている存在だと言っても、差し支えない。

・ψ5の時間の感覚としては、一瞬一瞬でそこにある感覚である。従って、「一瞬一瞬の「今」を生きる。」という感覚は、ψ5から来ている。

・ψ5は、あくまでψ6(他者)とは分離している。ψ7からは、「自他一体」が開始する。ψ5は、「自他分離」の領域の中での、「最高位」ということができる。

・精神世界の話では、高次元の自分を表す、「ハイヤーセルフ」というものが存在する。「ハイヤーセルフ」というのは、高次元の意識の中で、集合魂となっている存在である、「グループソウル」も含むとされている。(あるいは、何処から何処までが「ハイヤーセルフ」かは曖昧になっている。)
 この中で、「自他分離」の領域においての「ハイヤーセルフ」が、ψ5の領域に該当する。


・『中心の存在』である自分は、肉体を持っている自分とは違うわけであるが、もし、そこに「今世の自分ではない自分」がいるとしたら、「今世にいる前に自分が何を考えていたか。」を知っているわけである。自分を知るためには、この辺りもカギとなってくる。

・『中心の存在』である自分は、恐らく、「肉体を持つ前」にも、そこにいる存在である。「年を取らない、永遠にある自分」というのを考える時、『中心の存在』について考えてみると良い。
 それは、恐らく、多神教においての、神的な自分である。


・神道のとある教えに、「神人一体」と呼ばれるものがある。人間は、自分の中の神様と一体となることができ、その状態で力を発揮することができるといわれている。「神人一体」は、そうした境地のことをいう。
 ここでいう「神」とは、『中心の存在』にあるような、多神教的な神様のことをいう。人間は、こうした神様と一体になって、自らを体現することができる。


・『中心の存在』は、成功法則とも関係がある。この存在は、非常に物事をよく見通していて、高い知能も持っている。これに従うと、強い力を得ることができ、様々な問題もクリアすることができる。

・ラルフ・ウォルドー・エマソンの「自己信頼」という、自己啓発の著書があるが、ここに書かれている「自己」は、ほぼ、ここでいう「自己」のことを言っている。成功を得るには、そうした「自己」を信頼することが重要となる。

・しかし、この存在にとっても、なかなか上手くいかない存在が、次の次元ユニットである、『赤の勢力』にあたる。ψ5(自己)に対するψ6(他者)である。
 『中心の存在』は、未来を見通す力に優れているが、『赤の勢力』が絡むと、見通すことができなくなる。

・ヌーソロジー的には、ψ5の領域は、時間が存在しないと言われている。従って、ψ5を知覚していると、自己に関する未来に関しては、ある程度の先の予測が可能となる。しかし、ψ6の領域だけは構造的に見ることができない。

・「他者」の未来は予測することができない。これが成功法則の持つ限界なのではないかと思われる。ψ7まで見通すことで、更に先を見通すことはできるが、ψ5においては限界がある。


・『知性の陰影』と『情動の陽光』を超えた存在である『中心の存在』は、錬金術的には、『知性の陰影』と『情動の陽光』を、統合することでも見出すことができる。
 ユング心理学においては、錬金術的に、精神の変容を起こすためには、無意識の中に、『知性の陰影』と『情動の陽光』のように、相反する性質を持つものを見出し、それらを「統合」することを目指す。ちなみに、『知性の陰影』は「水銀」、『情動の陽光』は「硫黄」に、それぞれ対応している。
 この「統合」のために、実際に必要なことというのは、「葛藤」である。あるいは、「葛藤」を引き起こすような、「心の問題」と、向き合わなければいけない。
 それは、いわば、今まで自分が見ていなかった、もしくは嫌っていたものと向き合い、それを自分の中に取り入れること、また、自分の中に見出すことである。そうした行為には、必然的に「葛藤」が生じる。
 やはり、「意識の変容」や「自己の発見」というのは、そうした種の難しい問題が付きまとうことなのである。
 しかし、そうした問題をクリアした時に発見することができる「自己」こそ、人間が本当に求めているものなのである。
 
・こうした「統合」の考え方は、ψ3とψ4を等化するアプローチの一つである。ψ3とψ4、その等化であるψ5は、純粋な幾何構造ではあるが、その知覚は難しいものである。そうした知覚を、自分の中に持つためには、こうした「心の問題」も関わってくる。

・ヌーソロジー的には、「負荷側を意識の先手に置いて、反映側と向き合い続けること」が、等化のために必要なことである。それをし続けることによって、対化を明確に見ることができ、自然と等化を成すことができる。ここでいう負荷側はψ3であり、反映側はψ4である。まず、ψ3の本質を掴み、そこから、ψ4にあたるものを見続けることが必要となる。

・ψ3とψ4の、双方のメリット・デメリットが、明確に見えているように「比較」するような視点で物事が見えてきたら、その時既に、薄々とψ5の意識の位置を発見している。

・ψ5の知覚を会得した人間を、錬金術的に説明すると、右手にψ4的な「硫黄」を持ち、左手にψ3的な「水銀」を持ち、その双方を自在に扱うことができるような存在、といった所である。


・『中心の存在』が、より高次の存在になる為に必要なものが、次の次元ユニットである、次元ユニット6の『赤の勢力』と、次元ユニット7の『青の勢力』である。




戻る