表象の理屈


・物や概念が「表象する」においては、「表象する前の存在」にあたる、『表象元』というのがある。
 この『表象元』は、プラトンの提唱した、『イデア』と関わりが強いので、まず、それについて説明する。

・プラトンの『イデア』は、人間が物を認識する前から既にあるような、「純粋な形」のことを言っており、それは、「最も理想的なそのものの形」であり、「そのものの真の姿」でもある。

・例えば、人間が何か、幾何的な図形を見た時、「その最も理想的な図形の形」というのが存在するはずであり、「その最も理想的な形」が、『イデア』に該当する。

・この時、純粋は『イデア』が、『表象元』にあたり、その『表象元』から、見えるように『表象』し、人間はその姿を認識することができる。

・この『イデア』は、物だけでなく、概念など、抽象的なものに対しても当てはまる。

・『イデア』は、より『真理』に近いものとして、古来から探求されていた。しかし、イデア論においては、人間がその『表象元』や『イデア』そのものを知覚することは、非常に困難だとされ、古来から哲学者は、それそのものを認識することに、非常に頭を抱えていた。

・『表象元』は、ユングの提唱した『元型』とも関係がある。
 ユングの『元型』とは、人間の集合無意識の中に存在する、人類に普遍的に通ずるような、精神構造の「型」「共通に存在するモデル」のようなものである。
 ユングの『元型』も、『イデア』と同じように、それそのものを認識することができるのではなく、『元型』から派生した、『原始心像』と呼ばれる、表象したものを見ることによって、認識することができる。

・また、ユダヤ教神秘主義である、『カバラ』におけるそれぞれの『セフィラー』も、その純粋な姿は、各セフィラーの『イデア』に当たる。
 『カバラ』は、より純粋な真理に当たるものを、独自の数学観、幾何学観を以て、10のセフィラーという要素で解析をしたものであるため、それそのものは、より純粋な『真理』である、『イデア』として存在している。

・『表象元』は、人間にとって、ほとんどの場合、それそのものは認識不可にあたる。しかし、必ずしも不可能という訳ではない。
 如何にして、その『真理』に近い、それそのものに到達するかが、問題となる所である。



・ヌーソロジー的に説明すると、まず、その「真理」「イデア」にあたるもの、それから、いくつかの因子を使って、それを解析した物にあたる、「カバラ」の「セフィラー」は、およそ『大系観察子Ω』にあたると言われている。

・そして、先ほどの説明と同様、それぞれの『大系観察子Ω』から、「表象」が生まれ、その「表象」が、さらに、観測者による「解釈」「認識」にいたるようになる。

・そして、その「表象」とは別にして、『次元観察子ψ』という幾何構造が存在する。

・次元観察子ψとは何にあたるのか?
 次元観察子ψは、ψ1〜ψ8までであったら、その幾何構造はそれなりに浮き彫りになっている。この領域は、人間にとって、幾何構造であると認識しやすい領域にあたる。
 ヌーソロジーの世界では、その幾何構造を元に、ψ1〜ψ13の構造、さらに、ψ7から繋がる、Ω1〜Ω13の構造まで、出来上がっている。

・大系観察子Ωにおいて、「『真理』がΩ1〜Ω13の重要な要素によって分けられている」と言われても、それが何故、1〜13に分けられているのか、どういう風に1〜13に分けられているのかは、具体的には分からないものである。
 しかし、ヌーソロジーにおいては、次元観察子ψ1〜ψ13が、確実に、大系観察子Ω1〜Ω13に対応している。
 ψ1〜ψ8の幾何構造を学ぶことで、それが、Ω1〜Ω8へ対応しているということが、深く分かるようになり、それが、Ω1〜Ω8の本質的理解にも繋がる。
 つまり、ψ1〜ψ8は、抽象的なΩ1〜Ω8の理解にも発展する、割と具体的な幾何構造なのであり、ψ1〜ψ8をより具体的に解明することで、Ω1〜Ω8もまた、より明確に把握することができる。

・大系観察子Ωは、「イデア」に存在する領域にあるものであり、ユングの「元型」は、これと関係がある。大系観察子Ωというものは、極めて「元型」に近い存在にあたる。
 

・ヌーソロジーとは、「具体的イデア論」と呼ばれている。人間にとってのイデアというのは、およそΩ1〜Ω13の領域であるとされているが、古来よりこの領域の本質に立ち還ることに、哲学者は頭を悩ませていた。そこで、ヌーソロジーでは、ψ1〜ψ8の幾何構造、もといψ9〜ψ13の構造を用いることで、その領域に参入することを目指している。
 そのために、ψ1〜ψ8あたりの幾何構造が、ヌーソロジーが特有とする、極めて強力なツールなのである。

・ヌーソロジーは、イデアに近づくための、数学的アプローチを提供している。ヌーソロジー的に、イデアに近づく王道は、ψ1〜ψ8あたりの幾何構造を学ぶことにある。


・ここで提示されている「次元ユニット」と向き合うにおいて、このディスプレイ画面にある「表象」にのみとらわれないことが望ましい。

・ここでの「表象」は、あくまで自分の解釈によるものになる。

・各自が、「表象元」に辿りついて、各自の解釈によって、それを掴めるようになり、各自にとっての「表象」が生み出せるようになることが望ましい。

・その為に必要なものの一つとして、ヌーソロジーが挙げられる。次元観察子を「実際に知覚すること。」は、人間の意識の構造がよく見えるようになり、それに対応した『樹』の構造も見えるようになるだけでなく、「表象元」にたどり着くための強い意識を、自分の中に持つことができる。
 よって、次元観察子の探求が意義のあるものとなる。

・それだけではなく、人間は誠意ある生き方をしていれば、いくらか真理に即しているということがある。
 真理に根付いた、「目指すべき誠意」というものを持っているかどうか。そして、そうした「精神性」を磨いていくようなことも、大事である。
 また、その「真理」とは何か?自分は何を目指していくべきなのか?というのも、同時に探求していく必要がある。
 そうした生き方をしていく為の、頭脳作り、身体作り、そして、精神作りというのもまた、必要である。
 その為の、あらゆるアプローチを試す必要がある。


・最後に、二次元ディスプレイに存在するエネルギーというのは、「飽きること」で、無くなるという性質を持つ。
 本気で、本物のエネルギーが欲しいという場合は、自分でまかなえるようにする必要がある。




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