「精神」と「付帯質」。それから仏教用語

 続いて、『精神』『付帯質』という用語があります。

 まず、『付帯質』から説明すると、まず、オコツトによると「『付帯質』とはあなたがたが物質と呼んでいるもののことです」と説明されます。また、「プレアデスとは『付帯質』が作り出されている場のことです。」という説明もあります。
 つまり、『付帯質』とは、ひとまずの意味としては、物質であるということができます。
 また、正式な意味としては、「対化を『中和』する力そのもの」にあたります。これは、『中和』は物質を作っているということであります。また、『ノス(NOS)』も総体的に、『中和』の力を持っているので、『ノス(NOS)』にもかなり近い存在にあたります。

 ここで少し仏教から考察すると、仏教には、「識別することが、目の前の現実を作る」といった教えがあります。また、中国の思想家「荘子」の思想の中でも、人間の「識別する心」が、あらゆる想念や、人生に関わる心の変容を作り出しているといった趣旨の教えがあります。そして、「すべては、認識したものによって映し出されていて、そして、作り出されている」というような意味である、「唯識」という仏教用語があります。
 ここで、「識別することによって作られた物質」を、『付帯質』と解釈すると、しっくりきます。
 同様に、物事を「識別する」という意識は、『中和』に該当します。よって、「対化を『中和』する力によって、物質が作られる」という理屈が、整合性の取れるようになります。

 次に、『精神』という用語があります。
 
 ここでいう『精神』は、ヌーソロジー的な『精神』であり、一般的に使われる「精神」とは違う、特別な意味を持つものですが、これは、『付帯質』とは逆に、「対化を『等化』する力そのもの」にあたります。
 よって、『ノウス(NOOS)』にかなり近い存在にもなります。

 これは、『付帯質』と逆ととると、「識別しないこと」となります。

 仏教において伝えられている概念として、「空」という言葉があります。この「空」の意味については、色々と言われているので、より詳しい長い説明をすることもできると思いますが、簡単に言うと、「識別しないこと」をずっとしていった先にある境地のことを言っていると解釈することができます。

 つまり、これは、ヌーソロジー的には、『等化』をし続けることであり、また、『等化』をずっとしていった先にある境地と関わりがあります。
 また、これは「対化を『等化』する力」を持つ、『精神』そのものにもあたると見ることができます。

 『等化』とは、なかなかイメージのし難いものであり、他にも様々な説明の仕方ができるものですが、仏教的には、「分けて捉えない(しかし対称性は見えている)」「あるがままを捉える」「許す」「統合した視野」などといった言葉で説明することができます。

 このように、ヌーソロジーの概念とは、仏教的な概念とも通じているということになります。