「シャドウ」と「アニマ」と「こころ」の道へ

 カール・G・ユングという心理学者がいます。
 ユングは、人間の無意識を探求するために、「夢分析」という手法を用いた人物です。

 ヌーソロジー的な『人間の外面』の世界への参入を、ユング的に説明すると、それは、常識内の「意識」の世界から、「無意識」の世界に参入することにあたります。そこで、ユングが「元型」と呼ぶものを発見することができます。

 「元型」とは、無意識にある、何かの「型」のことを言います。
 人間の無意識は、とある「型」をベースに、精神的な事象が浮かび上がってくることがあります。
 ユングは、人間の見る夢や、神話や童話の世界に、そういったものが見られるということを発見し、それらを「元型」と呼ぶことにしました。

 「無意識」の世界への参入は、「常識」とは反対側の道へと進むことになります。
 その課程で「シャドウ」というものと向き合う必要が出てくることもあります。

 「シャドウ」とは、ユングの提唱した「元型」の一種ですが、簡単に説明すると、「通常時の自分があまり向き合っていない部分の自分」といった所です。
 つまり、「光の当たっていない時の自分」であり、文字通り、「自分の影」ということになります。
 人間が普通に社会で生活をしていると、「常識を守る自分」というのが、必ずいるものですが、同様に、「その自分が向き合っていない自分」というのも、確実に存在します。
 3次元空間を脱する思考をする場合、こうした自分とも向き合う必要が出てきます。

 また、「アニマ」「アニムス」という概念もあります。
 「アニマ」や「アニムス」も、ユングの述べた「元型」の一つにあたりますが、これも簡単に説明すると、
 「アニマ」は、人間を無意識の世界へと導く女性的存在「アニムス」は、人間を無意識の世界へと導く男性的存在と言うことができます。
 もう少し説明を加えると、アニマは、一般的には男性に出現し、アニムスは、一般的には女性に出現するものです。つまり、一般的に立ち振る舞ってる姿とは、逆の性がそこで出てくるということです。
 これらは、人間が、より本性的な自分へと近づく際に、出現してくるものにあたります。

 そして、「こころ」という概念もあります。
 「こころ」とは、元々は、ユングが「Seele」(英語でSoul)という言葉で呼んでいた概念ですが、これを、日本人のユング派カウンセラーの河合隼雄が、敢えて、日本語で「こころ」と訳した概念です。
 これは、「自分自身が内的に持っているもの」のことをいいます。それは、特別な意味を込めての、自分の「心」ということです。自分の「主体」とも言えるし、潜在的な「自己」と言うこともできます。
 人間は、外的環境に適応し過ぎると、この「こころ」を失ってしまう、と言われています。つまり、外的適応と対極にあるものがこの概念です。
 この「こころ」が、夢において女性像として現れた場合は「アニマ」、男性像として現れた場合は「アニムス」と呼ばれます。
 人間が、失ってしまった「こころ」を取り戻すためには、物質的で明確な外的世界でなく、精神的で曖昧な内的世界へと向かう必要があります。

 ユング的には、通常の「意識」を脱する為には、こうした概念の浮上と、向き合うことになります。