荘子における「胡蝶の夢」

 『次元観察子ψ5』の境地は、中国の思想家「荘子」の有名な詩である、「胡蝶の夢」と絡めてみると面白いです。
 荘子の「胡蝶の夢」の内容は、以下となっています。
 (「荘子―中国の思想 (徳間文庫) 」より引用)


 
いつだったか、わたし荘周は、夢で胡蝶となった。ひらひらと舞う胡蝶だった。
心ゆくまで空に遊んで、もはや荘周であることなど忘れはてていた。
ところがふと目覚めてみれば、まぎれもなく人間荘周である。
はて、荘周が夢で胡蝶となったのであろうか。それとも、胡蝶が夢で荘周となったのだろうか。
荘周と胡蝶はたしかに別の存在とされる。
だが、荘周は胡蝶となって空を舞う。これを「物化」という。

 

 これは、次元観察子でいうと、以下のように解釈することができます。

「胡蝶の見てる夢」
⇒『人間の外面(次元観察子ψ3) 』

「荘周のいる空間」
⇒『人間の内面(次元観察子ψ4) 』

「荘周と胡蝶は別の存在とされるが、
荘周は胡蝶となって空を舞う。」
⇒『ψ3とψ4の等化(次元観察子5)』


 「モノ」が「即身」になり、「自分」となることが、ここで言う「物化」だと解釈することができます。
 また、この詩は、『次元観察子ψ5』が顕在化した時の、自由になった時の境地を表現していると捉えてみると、なかなか面白いです。
 荘士の思想は、東洋思想の代表的なものにあたりますが、全体的に、奇数系観察子からの視点で見た世界の話が多いです。