『自己』を目指す道について説かれている書籍の中には、その道を志すにおいての警告が書かれているものもあります。
それを実現するのは、人によっては容易ではないかもしれないし、『自己』の観点から「今の自分の境地」を捉えて、ショックを受ける者などもいます。
ヌーソロジーにおいても、これまで、そうしたことを抜きにして説明してきましたが、やはり重要となります。
そもそも、ヌーソロジーの場合は、構造を見ると、自然と分かってくるものです。『次元観察子ψ3』『次元観察子ψ4』においては、「主観的見解」「客観的見解」の落とし所が必要となってきます。
『次元観察子ψ5』が分かると、今度は、『次元観察子ψ6』に対応する、「真の他者」と向き合わなければならないという問題も出てきます。
それ以降となると、更に難しい対立関係が絡んできます。
また、『次元観察子ψ3』から高次元に接続することも大事であれば、『次元観察子ψ4』から『次元観察子ψ1〜ψ2』に接続し、日常生活を送り続けることも大事になります。
潜在的な「自己(Self)」である「こころ」と、今の自分の「自我(Ego)」がおかれている「社会的な境遇」との落とし所も見つける必要もあります。
その上で、自分にとって必要だが劣っている機能があれば、育成しなければいけないかもしれません。
それから、「主観的見解」とは、即ち、「物質主義に限らないもの」です。
その世界に入ると、曖昧な精神世界が入り込んでくることになります。その時に、一般的・物質的・客観的な見解に頼らない「ビジョン」が出てくるものですが、それと同時に必ず出てくるものが「妄想」になります。
この「ビジョン」と「妄想」を扱いながら、物質世界を生きる必要性も出てきます。
ルドルフ・シュタイナーなんかは、自身の著書で「霊界参入」をすることや、神秘の学問を学ぶにおいて、精神面における注意点をいくらか述べていますが、それらのほとんどはヌーソロジーにも当てはまると言っても良いです。
(しかし、ヌーソロジーの場合は、霊視を積極的に使わないので、そうした点などには違いがあります。)
また、必要となってくるのは、単に、仏教でいう「煩悩」を押さえることかもしれないし、執着しているものを捨てることかもしれないし、身体のバランスを取るためにも、生活習慣を地道に改善していかなければいけないかもしれません。
失敗をすることもあるかもしれませんが、大事に至らないようにすることが重要となります。
逆にいえば、それらを改善する哲学を自分自身が持っていれば、なんとかすることができる問題でもあります。