また、『自己』と向き合うにおいて、「自己欺瞞」というのにも気をつける必要があります。
『自己』からパワーを得たとして、それそのものは「善」なるものだったとしても、それを「エゴ(自我の欲望)」のレベルで何かを実行した場合、別のものとなることは簡単に起こりえることです。
あるタイミングで『自己』と一致したとして、そのタイミングでは、確かに利他的で崇高な状態となったとしても、別のタイミングでエゴのレベルとなった場合、それは本当に単にエゴの所行となります。
それから、エゴが『自己』の偉大さにあてられ、「エゴ」と『自己』が「同一化」している状態になり、自分が『自己』だと思っているものが、実は「エゴ」が肥大しているだけという状態になることもあります。そして、その状態で『自己』の持つ「確信する力」が働いた場合、それは単なるエゴの所行よりも厄介なことが起こりえます。
その為、『自己』の境地に至ったとしても、むしろ、『自己』の境地に至ったことがある者こそ、優越感に浸らないよう、慢心とならないように、注意する必要があります。
自分が間違っている場合は、他者の意見、冷静な思考、身勝手でない視点から、ちゃんとそのズレに気付き、修正するように努めなければいけません。
また、『自己』の力により、確信めいた「ビジョン」か、「妄想」が出てくることがありますが、その妄想は、低次元の「自分のために」という感情が多い場合、自分にとって都合の良い所だけ、信じる場合もあります。それは、単に自分の心が引き起こす、『自己』の欺瞞であり、悪い方向へと向かっています。
人間は、『自己』と「自我」を反復して生きているので、こうしたことに気をつける必要があります。