まず、『天台小止観』とは何なのか?
『天台小止観』とは、西暦6世紀頃、中国の『天台宗』の創始者である『智顗(ちぎ)』
(538年~597年)という人物がまとめた、入門向けの「座禅の講義録」であり、特に『止観』という瞑想方法について詳しく扱っているものである。
その内容は、昔に書かれたものなのにもかかわらず、今の時代の瞑想法としてもためになることまで書かれているため、これをRaimuなりにまとめたものをこのページに記すことにする。
まずは、「止観」
という瞑想方法について詳しく説明する。
「止観」は、元々は、仏教の原点に近い『阿言経』にまで書かれている瞑想方法である。
「止観」という瞑想方法は『止』と『観』という二つの行為に分けられるものである。この二つを簡単に説明すると、『止(サマタ)』は思考を止めるということであり、『観(ヴィパッサナー)』はそこから目の前のものを「観る」ということである。
書籍『「止観」の源流としての阿含仏教』に書かれている『阿言経』の内容を引用すると、以下のように説明されている。
修行僧らよ。これらの二つは明智の部類に属する法である。
その二つとは何であるか?
「止」と「観」である。
修行僧らよ。「止」を修したならば、いかなる目的を体現するであろうか?
心を修するのである。では、心を修したならば、いかなる目的を体現するであろうか?
いかなる貪欲でも断ぜられるのである。「観」を修したならば、いかなる目的を体現するであろうか?
「智慧」を修するのである。では、「智慧」を修したならば、いかなる目的を体現するであろうか?
いかなる無明でも断ぜられるのである。修行僧らよ、貪欲に汚された心は解脱しない。無明に汚された「智慧」は修せられない。
修行僧らよ、このように、貪欲を離れることから心の解脱が起こり、無明を離れることから「智慧」の解脱が起こる。
中国の「天台宗」の創始者である「智顗」は、『法華経』の研究と並行しつつ、この「止観」という瞑想方法にも着目し、『天台小止観』や『摩訶止観』といった講義としてまとめた。そして、この「智顗」の講義を、弟子が講義緑として残し、それが「座禅マニュアル」として後世に伝えられるようになるわけである。
この内の『摩訶止観』は、「止観」について細かい部分を扱いつつ、「止観」から発展する思想まで深く掘り下げた、難しめな「詳細版」だが、『天台小止観』は、初心者でも分かりやすい部分をまとめた「入門向け」
のものである。
従って、ここでは一般向けのものである『天台小止観』についてまとめることにする。
『天台小止観』は、元々は中国のものであるため、漢文で書かれているものであるが、広く伝えられている座禅のマニュアルであるため、現代語訳も出ている。
このページでは、『現代語訳
天台小止観(訳:関口真大)』の内容を主にまとめることにする。
ここではいくらか省略している箇所もあるため、より詳しい内容を知りたい場合は、以上の書籍を参照してもらいたい。
『天台小止観』の内容としては、一から十までの項目がある。
その内の「一~五」は「前準備編」、「六」は「実践編」、「七~十」は「成果編」として区切ることにした。
それから、このページでは、一般人でも分かりやすそうな所を抜粋するため、筆者(Raimu)の判断で元のものを削った内容をまとめている。また、表現もなるべく分かりやすいものを用いている。その辺りの改訂については、あらかじめご了承願いたい。