「止」から「イメージ」へ

 これまで、「仏教」で伝えられている「止観」の話をメインにしてきた。
 この「止観」によって得られるものは、簡単に言うならば、主に「自分の中にある仏性」に目覚めることである。ここで、「自分とは何か?」という問題について突き詰めるのが、「止観」の特徴であると言っても良いと思う。

 一方で、「西洋魔術」といったものは「イメージ」を重要視することが多い。
 西洋では「イメージ」を駆使することで、潜在意識にある霊的な通路を作り出したり、「イメージ」によって霊的な世界観に入り込んで、その内部を探索したり、さらには、そこから霊的な存在を召還することもある。
 それから、成功を「イメージ」することによって、成功を手に入れるというやり方もある。
 これは、「仏教」でもそうした手段が用いられることがあるが、西洋の場合は、特にその傾向が強い。

 しかし、この時、あまり「イメージ」の世界に没頭し過ぎることは、それはそれでリスクのあることである。「イメージ」の世界はそれだけ強力なものでもあるため、自分自身の心にそれを扱う「器」があまりできていないまま、その世界に没頭すると、そちら側の意識に呑み込まれてしまい、危うくなると日常生活に支障をきたすことまで出てきてしまう。
 それこそ、「天台小止観」で言われている『魔事』のようなものごとが発生することになるというわけである。
 それを防ぐためには、やはり、ここで言われている「止観」の「止」の瞑想が大事となる。

 逆に言うと、「止観」の「止」の所を着実にやることによって、その後の「イメージ」の技法のリスクが軽減されるため、「止観」の「止」から「イメージ」の技法へと発展させることもできる。
 従って、「止観」の「止」を着実にやることによって、その後の「イメージ」の技法を活かすという考え方もアリである。

 このように、「止観」を修習することによって、仏教的な手法に限らず、他のあらゆる技法に応用することができるわけである。
 


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