古代・・・例えばエジプトなんかでは、普通に「魔法」と呼ばれるものがありました。
それは現代のファンタジーで描かれているような、空を飛んだり、炎を起こしたりというのとは異なるかもしれませんが・・・
この時代は、「目に見えない存在」や神々は、今よりずっと身近に感じる存在だったので、そうした文化の遺産が、歴史的資料としても残っています。
また、「数」を単に物理法則を記述するための道具として扱うのではなく、「霊」が宿るものとして捉える考え方もあり、独自の数学や神聖幾何学といったものも発達していました。それが、ユダヤに伝わって、「カバラ」や「生命の樹」へと発展したり、ギリシャに伝わって、ヘレニズム数学と呼ばれる数学が発展したりもしています。
エジプトのピラミッドもそうした時代に作られたものです。ヌーソロジー的にいうと、「霊」と「物質」は、元々一つのものが表と裏のように、別の位相として存在しているものであり、ピラミッドに使われている石も、鉱物という「物質」であるので、これは「霊」が別の姿になった結果、出来たものだと言うこともできます。
従って、我々が想像もつかない方法で作られていたのかもしれません。
(ちなみに、オコツト情報によると、この当時のエジプトは、ムー・アトランティス時代のような「前次元の時代」にあり、ピラミッドを作ったのは『変換人』だということが言われています。)
古代でなくても、色んな文化にシャーマニズムというのがあり、神々との交流を行っている民族はあちこちにいます。
日本にだって、こうした古代から伝わる不思議な文化というのはあり、巫女だってそうした存在です。
現代の科学技術による文明は、そうしたものを無いものとして追い込むようになりました。
古代や、人間の文化が根付く前の自然には、現代の科学的価値観では認識することができないものがたくさんあります。
もちろん、科学技術によって人間の衣食住が簡単に手に入るようになったのは、それはそれで成功だと思います。今からそうした自然の文明に完全に立ち戻るのが良いかは分かりません(したい人はしてみても良いかもしれませんが・・・)
我々はこれから、それらの「良いとこどり」をすることになるのではないか?と思います。
ヌーソロジーの思想を追いかけていくと、必然的に、自然的なものと人工的なものの双方を追いかけていくことになります。ヌーソロジーでは、そうした背反するものを対称的に見て、旋回していくやり方で捉えるからです。
古代文明の完成度が例え高かったとしても、それらは完全に正しいと捉えるに相応しいわけではなく、現代文明との兼ね合いというのも、これから必要になってくると思います。
ひとまず、その知恵の良い所は存分に受け取り、古代文明の「ロマン」を持って、現代文明を生きていくのが、良いのではないかと思います。