次に、「男性原理と女性原理」という対についてです。
「男」と「女」・・・・。
人間は何故かこの二つに分かれているというのもこの世の真理の一つと言えるでしょう。
これは動物が雄と雌に分かれていることに起因するので、人間に男と女がいるのは、人間が動物だからという話になります。
なので、植物や菌類みたいな生き物の場合はまた事情が違ってきますが・・・
我々は皆、男と女の交わりからこの世の誕生しているため、宇宙論でもその辺は重要なテーマとなります。
ここでは、実際にいる人間の「男と女」の関係というより、その背景にある「男性原理と女性原理」というものについて扱っていきます。
ヌーソロジーでは『思形』と『感性』と呼ばれるものが、「男性原理と女性原理」に該当します。
ネーミング的に、『思形』は思考して形作るものを扱うようなもので、『感性』はフワっとした感覚を扱うようなものとなっています。
実際に論理的思考は男性が得意としていて、感性を使った行動は女性が得意とする
・・・かどうかは諸説あるので分からないとして・・・
その背景には「男性原理と女性原理」というものが何かしらあるかもしれません。
『思形』と『感性』に付きまとっていくのは、「言語」と「イメージ」の関係や、それから、「思考」と「感情」の関係です。
前者の「言語」は思考によって作り出されたもので、後者の「イメージ」は感情によって生み出されているため、「言語―思考」と「イメージ―感情」もまた密接にリンクしています。
また、思考と言語による他者との情報共有を主とするのが「科学」であり、感情とイメージによる他者との情報共有を主とするのが「宗教」とすると、「思考―科学」と「感情―宗教」も関係してきます。
それから、思考や言語といった男性原理の力によって、科学や学問といったものが確立していき、それが現代社会で権威を持つようになりました。
今の世の中を支配しているシステムは、大体は男性が作ったかのように思われます。
したがって、西洋から生まれた科学や資本主義やグローバリゼーションが世界中を支配するようになったというストーリーだと、男性原理の力が現代社会を支配していると言えます。
こうした男性原理の支配から逃れるためには女性原理の力が必要なのか?
いや、女性原理には支配する力がないと言えるのか?
両者の持ってる力の正体とは何なのか?
今の世の中で向かうべき方向とは何なのか?
そうしたことを考えていく必要があり、そのテーマはヌーソロジーにも通じています。
つまり、「男性原理―言語―科学―思考」と「女性原理―イメージ―宗教―感情」はリンクしていて、こうした一連の「原理」について、ヌーソロジーでは扱っていきます。