それから、『ノウス(NOOS)』と『ノス(NOS)』という力があります。
『ノウス(NOOS)』は、『シリウス』においては『定質』と『反性質』、『ノス(NOS)』は、『プレアデス』においては『性質』と『反定質』として働く力、にあたります。
つまり、『ノウス(NOOS)』は『スマル』→『オリオン』向きの力であり、『ノス(NOS)』は『オリオン』→『スマル』向きの力になります。
『ノウス(NOOS)』は、『プレアデス』領域においても、『シリウス』領域においても、常に『等化』の力を持っているもので、『ノス(NOS)』は、常に『中和』の力を持っているものになります。
これは、宇宙で割と根元的に働く、二つの原理にあたります。
『ノウス(NOOS)』は、説明するなら、「能動的知性」と言われ、創造的な神の力を持ち、物質を作った力にあたり、『ノス(NOS)』は、それに対し、「受動的知性」と言われ、その創造の力を受け取っている力…と言われています。
その二つの力は、双方がぶつかり合っていて、そのぶつかった所に、人間の自我や、人間そのものを構成する心などが生まれている…と言われています。
オコツトによると、『ノウス(NOOS)』は女性の性欲、『ノス(NOS)』は男性の性欲と関係があると言われており、これらは、宇宙で働いている、根元的な、男性性と女性性と言うこともできます。
また、『ノウス(NOOS)』は「青の流れ」、『ノス(NOS)』は「赤の流れ」と言われています。
これは、コウセンさんが、『ノウス(NOOS)』・『ノス(NOS)』の流れを説明する時、必ず、「ノウス⇒青〜シアン系統」、「ノス⇒赤〜マゼンタ系統」の色を使い分けて説明しているからになりますが、これには深い意味があります。
恐らく、『ノウス(NOOS)』は青系統に根付いたものを持っていて、『ノス(NOS)』は赤系統に根付いたものを持っています。従って、『ノウス(NOOS)』を追うと青、『ノス(NOS)』を追うと赤のイメージが浮かんでくるようになります。
それは、青は、清浄で知性的で、欲望を鎮めて、意識を深層心理へと導くような、神秘的な蒼色で、赤は、頭に血が登るような色で、欲望を刺激し、顕在意識を強めるような、熱気のある紅色になります。
『ノウス(NOOS)』と『ノス(NOS)』は、正確には、それぞれ、『ノウス(NOOS)』は「奇数系の『観察子』」、『ノス(NOS)』は「偶数系の『観察子』」と呼ばれます。こうした見方の方が、ヌーソロジーの本質的な構造に根付いているので、なるべく、この定義に則った理解をした方が良いです。
この点については、『観察子』の解説の時に、再度説明します。
こうしたものは、「善」と「悪」ではなく、「奇数」と「偶数」のような関係として見る方が望ましいです。
人間は、『ノウス(NOOS)』と『ノス(NOS)』によって生まれるものであり、その双方に挟まれながら、生きていると言われています。そして、魂的な要素は『ノウス(NOOS)』を、肉体的な要素は『ノス(NOS)』を主に持っています。
従って、人間はこの双方の流れの板挟みとなって生きることが、余儀なくされており、魂的な要素を「正義」と言い切ることも、肉体的な要素を「正義」と言い切ることもできず、その複合精神から葛藤が生まれることもあるし、異なる正義が対立することもあります。人間の世界で、絶対的な「善」や絶対的な「悪」が定まらないのは、こうした仕組みがあるからだと思います。
このように、人間というものは、本質的には「善悪の彼岸にある」ものだと、言うことができるわけです。
ここで、オコツトによる、『ノウス(NOOS)』・『ノス(NOS)』についての説明を記述すると、以下になります。
――――ノウスとノスとは何ですか?
「周回作用の対化における核のようなもの。」
――――周回作用の対化とは?
「『タカヒマラ』における意識の流れの核に当たるものです。『精神』の『対化』を生み出すために作り出された『付帯質』の変換を行なっている二つの方向性の力。」