「社会的個」と「精神的個」を使い分ける

 ヌーソロジーでは、人間には「社会的個」「精神的個」というのがあるという話があります。

 まず、「社会的個」というのは、「社会においての自分」にあたります。自分が世間や社会を生きてきて、それらとの関わりの中においての自分です。いわゆる、世間的な「肩書き」や「役職」なんかが、よくそれに該当します。
 先ほど出てきた、「ペルソナ」を持つ者としての自分というのもそれに当てはまります。これは『次元観察子ψ4』、あるいは、それ以降の偶数系観察子の関わりが深いものです。

 「精神的個」というのは、それとは違った、いわば、自分の「本性」にあたります。社会的なものを抜きにした、自分の精神とのみ向き合った場合に出てくる自分です。これは『次元観察子ψ3』の「主体」へと向かった時に見出すことができるものであり、また、それ以降の奇数系観察子とも関わりがあります。

 ヌーソロジ−は、こうした「社会的個」と「精神的個」というのがあった場合、「双方を使い分ける」ということ推奨します。このことは、『次元観察子ψ3』と『次元観察子ψ4』の二つを見出し、その二つを使い分けることにもあたります。
 これは、実生活においても、過度なストレスなく「社会的個」を使いこなし、社会を生きていくのにも、有用なことだったりします。