さて、また心理学者ジャック・ラカンについてですが、ラカンは「シェーマL」という概念を提唱しました。
理解の難しいラカンの概念の一つですが、これも、『次元観察子ψ3〜ψ4』と、他者側の観察子である、『ψ*3〜ψ*4』を使って、解明することができます。
上記の図をざっと説明すると、まず、左下に「自我」とありますが、これは「a」で表記されます。
これは、いわゆる「人間の自我」であり、先ほど説明した、「鏡像段階論」によって、「他者にとっての自分」のイメージから出来上がった「想像的自我」という奴にあたります。これは、観察子では「ψ4」に対応します。「肉体を持った自分」にも該当します。
次に、左上にある「主体」というのは「S」で表記されます。
これは、自分自身の本性のことを言い、ヌーソロジーで言われている「主体」とも非常に近い意味を持ちます。
「自分が自分だと思っているもの」は、「他者にとっての自分」から、「想像的自我」によって形成される・・・というのが、「鏡像段階論」の話ですが、そうした「他者」がいる前から存在した「自分」にあたります。
そこに自分の本性があり、これを「S」と表記して「主体」と呼びます。観察子では「ψ3」に対応します。
右上にある「他我」というのは、「a'」と表記されます。別名「小文字の他者」とも呼ばれます。これは、単に「他者の自我」のことを言います。「肉体を持った他者の姿」でもあります。
適当に、知り合いの顔・姿でも思い浮かべた場合、その人は、自分と同様に、「想像的自我」を成り立たせて、肉体を持った姿でそこにいるものだと思います。そして、自分と一般的なコミュニケーションをしていきます。その姿を持った「他者」が「a'」にあたります。観察子では「ψ*4」に対応します。
最後に、右下にある「大文字の他者」とあるのは、「A」と表記されます。これは、「他人にとっての主体」もとい「他人の本性」のことを言います。
なかなか本性を探るのが難しいものにあたります。
ラカンの「シェーマL」において、一番のキーとなる概念であり、人間は如何にして、自分の主体である「S」と、他人の主体である「大文字の他者(A)」同士での理解を図るかというのが、ラカンの精神分析における重要なテーマとなります。「大文字の他者(A)」は、観察子では「ψ*3」に対応します。
また、「ψ4」と「ψ*4」を繋ぐ矢印に「想像界」とあり、「ψ3」と「ψ*3」を繋ぐ矢印に「象徴界」とあります。
「シェーマL」におけるこれは、別名では、「想像的軸」と「象徴的軸」などとも呼ばれることもありますが、これらを繋ぐ世界に、それぞれの概念が関わっています。
「想像界」は、「ψ4」と「ψ*4」を繋ぐ概念です。これは、一般的なコミュニケーションの領域にあたり、「他人は自分にこれを求めてる」「自分は他人の求めてる話題を提供する」などの意識が交差している領域がそれにあたります。
「ψ4」と「ψ*4」を繋ぐものは『次元観察子ψ10(人間の感性)』にもあたります。
「象徴界」は「ψ3」と「ψ*3」を繋ぐ概念です。これは実に抽象的・概念的な世界で、言語の世界がそれにあたります。簡単に言うと、人間が物事を認識する時は、その背後で「象徴」というのも認識します。そこで、自分にとっての「象徴」と他人にとっての「象徴」というのがあります。そして、「象徴と象徴を繋ぐネットワーク」というのがあり、それが「象徴界」ではないかと思います。
ラカンのこの辺りの概念を説明するには、非常に複雑な説明を強いられる所ですが、重要な所としては、
「想像界」は、「ψ4」と「ψ*4」を繋ぐ概念であり、これは『次元観察子ψ10(人間の感性)』に該当し、「象徴界」は、「ψ3」と「ψ*3」を繋ぐ概念であり、これは『次元観察子ψ9(人間の思形)』に該当するということです。
そして、ヌーソロジーでは、『人間の思形』は、「言語」のことだと言われています。
ややこしい所ですが、同じ「言語」を扱う方向性でも、「言語を作る方向性」と「言語を使う方向性」というのがあります。前者は「象徴界」の話ですが、後者は「想像界」の話です。「言語を作る方向性」は「ψ9」の方向性で、「言語を使う方向性」は「ψ4」の方向性にあたります。
観察子との対応を踏まえて、全体的な流れをまとめると・・・
まず、先天的な世界として、様々な他者がいる世界というのがあります。これは他者の主体が無数に存在している世界ということで、「ψ*3」にあたります。次に、そこに自分が生まれます。生まれた段階では主体としての自分なので、「ψ3」にあたります。そこで、自分自身の知覚正面に、他者の肉体が映ります。この肉体を持った他者は「ψ*4」にあたります。最後に、「鏡像段階論」で述べられてるように、他者の視線によって出来る「鏡像」から、自分自身の自我を作り上げます、これが「ψ4」にあたります。
図の矢印の流れの意味は、そういったことではないかと思われます。