さて、これまでの「次元」という概念と、『観察子』の関係を見てみると…、ψ1〜ψ2が3次元空間、ψ3〜ψ5が4次元空間、ψ5〜ψ7が5次元空間と関係あり、ということになります。
そうなると、単純にψ7〜ψ9が6次元…ということになりそうですが、それについてはまだよく分かりません。ヌーソロジーでは、これまでの話のように、「軸の数」という定義で捉えるならば、4次元時空と4次元空間と、その対称性である5次元対称性という言葉が出てきますが、それ以降、ヌーソロジーにおいて、6次元以上の言葉が出てくることはあまりありません。
人間の視点からでは、「軸」をベースに次元を捉えるのは、恐らくこの辺りが限界であり、それが分かっていない状態で、それ以上の「6次元」や「7次元」という言葉を記述したところで、それはあまり意味がないのではないか?と思います。
そして、それ以降の説明をするために出てくるのが、オコツトの言う『次元観察子』という概念であり、そこからは『対化』や『等化』といった概念で説明され、『次元観察子』ベースでの高次元の世界観が展開されています。また、それらの『次元観察子』の世界は、4次元時空と4次元空間においての『対化』と『等化』が、大元のベースになっていると言うことができます。
そして、オコツトの言う『次元観察子』は、素粒子の構造との関連性があるため、より複雑な世界観を数学的に描写するには、量子力学や量子論の世界に入り込む必要がある…ということになるのではないか?と思います。
(この点に関しては、複素空間における虚軸の世界にあたるものが4次元空間、実軸の世界にあたるものが4次元時空…と捉えると分かりやすいです。)
さて、これより深い領域に入るにせよ、入らないにせよ、ここでの4次元時空と4次元空間の認識、それから、5次元対称性の認識は、人間による霊的世界への参入や高次元参入、あるいは、そうしたものとの関わりにおいて、「足腰のようなもの」ではないか?と思います。武道やらスポーツやらの世界では、身体の基礎ということで「足腰」が重要視されるかと思いますが、そうした「足腰」ということです。
4次元時空と4次元空間の対称性の認識の重要性は、そのまま、物質世界も精神世界も大事だという認識の重要性へと繋がっていきます。こうした認識は、日常生活の中で固めておいた方が良い、ということになると思います。
それから、3次元空間から進んでいくにおいて、1つでも次元を飛ばして進もうとすると、ヌーソロジーで『迷化』と呼ぶものによって、進化と反対の方向に行ってしまう恐れというのもあります。
センスのある人は高次元からのが入りやすいケースもあるかもしれませんが、やはり、浮わついていると3次元の感覚から離れていってしまうようなものでもあると思います。
このようなことから、浮わついた人間にとって避けたいものにこそ、堅実な高次元参入の道というのがあるのではないか?と言うことができると思います。