ここで言われている『自己』や、それに近い「神様」というのは、「与える力」というのを基本の理念として持っているものです。これは、言い換えれば、「シェアする力」「分かち合う力」となります。
これは、恐らく、『シリウス』領域にある『定質』の働きに近いものでもあります。また、『定質』は、植物が、果実や花を実らせる意識にも近いので、そうした植物的な意識とも関わりがあると思います。
こうした力は、ユダヤ人によるカバラである「ユダヤ・カバラ」で伝えられている、「カバラの神」が持つ力でもあります。
『自己』とは、「多神の神様」の一角のような存在にあたりますが、こうした「一神」に通じる力も持っています。
西洋魔術の世界でも、W・E・バトラーのような、まともな魔術師は、「奉仕するために知ること」を、魔術を駆使する目的としています。
これは、カバラの神や、『自己』が、そうした性質を持つからだと思います。
カバラで言われている「与える力」の反対にあるものが、歪んだ「受け取る力」であり、それは「自分だけ受け取りたい欲望」です。これは、カバラの神とは逆に、人間のエゴが持っている力となります。
やはり、世の中が平和に上手く回るためには、エゴを先手とするのではなく、一人一人がなるべく「分かち合う意識」を持っていることが必要不可欠だと思います。
これは、ヌーソロジーの『顕在化』にも通じている課題でもあります。
自身の意識が、『自己』に近ければ近いほど、そうした誠実な信念を持つことができます。