微細な感覚を掴む

 そもそも、ヌーソロジーで言われている『自己』のある世界を掴むというのは、「エーテル体」というのを掴むという話にもなります。

 「エーテル体」というのは、通常の「物質体」とは異なる、精神的な領域にある、何かのエネルギー体のようなものですが、ヌーソロジー的には、エーテル体は、奇数系の『元止揚』である「ψ1、ψ3、ψ5、ψ7」にあると言われています。『顕在化』によって見出せる領域において、『次元観察子ψ5』はその中心にあたります。
 一方、物質体は、偶数系の『元止揚』である「ψ2、ψ4、ψ6、ψ8」にあると言われています。
 「物質体」と「エーテル体」に、この二つを結びつけると、理解を深めることが出来ます。
 

 また、物質を構成する原子の元となっている「素粒子」についてですが、素粒子は「粒としての性質と、波としての性質を持っている」ということが、現代物理学にて分かっています。この「粒としての性質」は「物質体」と、「波としての性質」は「エーテル体」と、それぞれ関わりがあるのではないかと思います。
 恐らく、素粒子を「粒」として捉えた世界が「物質体」の世界であり、「波」として捉えた世界が「エーテル体」の世界なのではないかと思います。量子力学における「不確定性原理」などの働きも、この「エーテル体」の世界との絡みで起きているのではないかと解釈することができます。
 
 こうした「エーテル体」の世界を掴むためには、何か「微細なものを掴む」という感覚が大事となってきます。
 この世界から見た物質体はハッキリとしていますが、エーテル体は物質体と比べて、ハッキリとしていないので、そうしたものを掴む感性や、「妙」なるものを認める意識が大事となってきます。
 ψ3の段階でも、「エーテル体」が出てきますが、ψ5の領域は、それが「定着」しています。

 『自己』は、「エーテル体」のある場所にあり、そこに定着しているものにあたります。