四. 調和をはかれ

 いまここで「調和」と言っているのは何か?
 それは、次の五法を整えることである。
 一には飲食を調節すること。
 二には睡眠を調節すること。
 三には身を整えること。
 四には気息を整えること。
 五には心を整えること。
・・・以上の五つが「調和をはかる」ということである。

 何故、それが必要なのか?
 今、身近な例えを借りてそれを説明してみよう。
 世間の陶芸家が様々な器を作ろうとするとき、なによりもまず先に泥を整え、硬すぎないように柔らかすぎないようにして、そのうえでロクロにかけるようなものである。また、琴をひくには、その前にまず弦を整え、そこで曲をひき始める。そこで妙曲が演奏できるようなものである。われわれが座禅を修習するときも、これと同じことである。

第一、食を整える
 第一に、食を整えるというのは、食事は本来は身体をたすけて道に進ましめるためのものである。それなのにもし食べ過ぎているような状態でいると、気はあせり体はだるく、全身の具合が悪く、心もとざされふさがりがちで、座禅をしても心はやすらかになりにくい。だが、もし食べることが少なすぎて足りないと、体は疲れ心はうつけ、思うところも考えることもしっかりとしない。この二つはどちらも『禅定』を得る道にはならない。
 また、もし、けがれたものや汚いものを食べていると、人の心を暗くし迷いやすくする。もし、体によくない刺激物ばかり食べていると、かねてからの病が動いて来るし、体の調子も悪くなる。だから、『禅定』を修得しようとするなら、その初めに深くこれをつつしまなければならない。
 
第二、睡眠を整える
 第二に、睡眠を整えるというのは、眠とは、暗闇に心が覆いかぶさるものであるからこれを欲しいままにしてはならない。もし、眠り寝ることが必要度を過ぎて多いときは、それだけ仏法を修得することが失敗するだけでなく、努力の心も失われがちで、しかも心を暗くして善い心を沈没させる。まさに人生が無常であることを悟り、睡眠をよく制御して、気分を精白に、心を明るく浄からしめると良い。

第三、第四、第五について
 第三には「身」を整え、第四には「息」を整え、第五には「心」を整えるのであるが、この三条件はまさに合わせて行うべきで、別々に説明することができない。しかし、その初めと、中ごろと、終わりとで方法が同じでない所がある。すなわち、座禅に入る、座禅に定住する、座禅から出るという所に相違点があるからである。

座禅に入るときに三事を整える
 第一に、座禅に入るときに三事を整えるとは、まず、「身」をよく整えるということである。座禅を始める前から、歩くにも立ち止まるにも進むにも止まるにも、動くときも静かにしているときも、なにかをしているときも、一つ一つが皆注意深く綿密であると良い。そのように用心をしておいて、いざ座禅を始めようとするときには、なおよく身も心も落ちつけるような所をえらぶようにしなければならない。
 初めて座るべき場所についたら、その場所にしっかりと落ち着くと良い。
 次に、まさに脚から姿勢を正しくすべきである。もし、『半跏坐(はんかざ)』と言われる座り方ならば、左の脚を右の脚の上におき、それを引きつけて身に近づけ、左脚の指と右の太モモとをそろえ、右足の指と左の太モモとをそろえる。もし、『結跏趺坐(けっかふざ)』と言われる座り方をしようとするなら、さらに下にある右の脚も持ち上げ、それを左の脚の上に置く。
 次に、服の帯を解きゆるめる。しかし、周りを正しくして、座っているときに脱げて落ちたりすることがないようにする。
 次に、手を落ちつける。左手のてのひらを右手の上に置き、両手をかさねて相対してこれをおちけ、ともに左脚の上に置き、ひきつけて身を近づけ、下腹に当てて落ちつける。
 次に、身を正しくする。まずその体ならびに手足や手足の間接をゆり動かすこと。七八反ぐらいするがよい。『按摩(あんま)』のやり方のようにして、手足にしこりを残さないようにする。
 次に、頭・アゴを正しくする。鼻とヘソとが垂直線上にあるようにし、面を平らにして正しく座る。
 次に、口を開き、胸中のけがれの気を吐き出す。そのとき体のなかの具合の悪いものをことごとく放ち、それが吐く息にしたがって出ていくと観想する。出し尽くしたら口を閉じ、鼻から清気を入れる。このようにして三度ほど繰り返す。もし身息が調和しさえすれば、一度だけでも良い。
 次に、口を閉じる。唇と歯をそっと上下合いつけ、舌は持ち挙げるようにして上アゴに向ける。
 次に、眼を閉じる。わずかに外の光を断つ程度でよい。
 それが終わったらひたすら正座をすること。身や首や手足をこまかく動かすようなことがあってはならない。
 これが初めに『禅定』に入るときに身を整える方法である。要点を挙げるなら、ゆるやか過ぎず、急過ぎないこと。これが身体の整った相である。

 第二に、初めて座禅に入るときに「息」を整える方法について述べよう。
 呼吸にはおよそ次のような四種類の相がある。一に『風(ふう)』、二に『喘(せん)』、三に『気(き)』、四に『息(そく)』という。この中の前の三種は整わない相で、後の一種である『息(そく)』だけがよく整った相である。
 まず、『風(ふう)』と言われるのは、座禅のとき、鼻のなかの息に出入の音があるのが、それである。
 『喘(せん)』の相とは、呼吸に音はしないけれども、息の出入にリズムの乱れがあって、なめらかでないことをいう。
 『気(き)』の相とは、座禅の時、音もなく、また、リズムの乱れもないけれど、出入りがなめらかでないことを言う。
 『息(そく)』の相といわれるのは、音もなく、リズムの乱れもなく、荒くもなく、出入りが綿々としていて、息をしているのかしていないのかよく分からないようになり、身が落ち着いて安穏に、よい気持ちになる。これが『息(そく)』という。
 つまり、『風』『喘』『気』の三種の相があるときは、これを整わない呼吸といい、座禅には患いのもととなる。心も定まりにくい。

 もし、これらを整えようとするなら、まさに次のような三種の方法を試みると良い。
 一には、精神を体の下のほうに落ちつけて、そこに精神を集結する。
 二には、体を大らかな放つようにイメージする。
 三には、気があまねく全身の毛の孔から出入していて、それを妨げるものがないと想像することである。
 もしその心を静かにしていれば、息も微々自然となり、息が整えば、わずらいは生じないし、その心も定まりやすい。
 要点を上げていえば、渋くなり過ぎず、滑らか過ぎずというのが、息の整った様子である。

 第三に、初めに座禅をするときに「心」を整えるということには、おおよそ二つの意味がある。
 一には、乱れがちな心をおさえて、外の余分なことに向かってかけだりたりしないようにすること。二には、まさに『沈(ちん)』『浮(ふ)』『寛(かん)』『急(きゅう)』をほどよく得させることである。
 『沈(ちん)』とは、座禅をしていて、心が薄暗く、記憶もはっきりせず、頭がどうしても低く垂れがちになることである。そういうときは、精神を鼻の頭に集中し、心を常に一つのことのなかに集中して分散させないようにする。これが『沈(ちん)』を治す方法である。
 『浮(ふ)』というのは、座禅をしていて心が好んでゆれ動き、体もまた落ちつかないで、つい他のことを考えたりしてしまうことである。これを『浮(ふ)』という。そういうときには、心を上下に向けて落ちつけ、精神をヘソに集中し、乱れがちな心を制するようにする。心が定まって落ちつけば、心は安静になる。
 要点をあげてこれを言えば、『沈(ちん)』ならず『浮(ふ)』ならず。これが心が整った様子である。
 次に、『寛(かん)』と『急(きゅう)』についてである。
 心が『急(きゅう)』となっている相とは、座禅の時に座禅の心の働きの全体を急いで集めすぎて、『禅定』に入ろうと努力することに原因する。それ故に気が上方に向かいがちで、胸が急に痛むようになることがある。そんな時には、一度その心をとき放した上に、気はみな流れ下るものだという風に想うと良い。それだけで、わずらいは自然に治る。
 心が『寛(かん)』となっている相とは、志がだらけ、体が斜めにのめり込むような気持ちがしたり、あるいは、口からヨダレが流れたり、ある時は心が暗くなったりする。そのような時には、まさに姿勢をきちんとし、心をひきしめ、心を一つのものごとの中に集中し、身体をしゃんとする。それで治る。

 『禅定』に入るのは、原則的に言えば、荒いものから細かいものの順に入る。身は荒いもので、息はその中間にあり、心は最も細静なるものである。荒いものを整えて細かなものにたどり着き、心を安静にする。これが『禅定』に入るときの初めの方法である。

座禅をしている時に三事を整える
 第二に、座禅をしている時に三事を整えるとは、一回の座禅の中で、時間の長短に応じて処置する。一二時間やるとする中で、そのうちの一時間や二、三時間行う。この中で、よく、「身」「息」「心」の三事の調子を整えるべきである。
 座禅するとき、一度はすでに身を整え終わっていても、この身が『寛』や『急』の相であったり、偏っていたり、曲がっていたり、体勢が低かったりとしていたことに気づいたら、すぐに正す。
 また、座禅の中で身は調和していても呼吸が不調和なこともある。呼吸が不調な相とは『風』『喘』『気』・・・といったものであるが、それに気が付いたら、前に述べた法を用いて、これを治すべきである。
 それから、呼吸までが整っていても、心が整っていない場合もある。『沈』『浮』『寛』『急』がほどよく整っていない場合である。これも同様に、前に述べた方法を用いて治すべきである。
 このように、座禅中に三事を整えることには、別に前後の決まりはない。整わないものがあるのに気がついたら、そこでそれを適当に整えて、一回の座禅の中でいつも『身』『息』『心』の三事を調整して、乱れることがないようにするのが大事である。
 もし、これらが調和し溶け合って、一つになれば、かねてからのわずらいさえも除かれて、障害や妨げは生じないし、『禅定』の道も我がものとなる。

座禅を止めて定を出ようとするときに三事を整える
 第三に、座禅を止めて「定」を出ようとするときに三事を整える方法である。
 もし、座禅が終わって定住の状態を出ようとするときは、まず、今までひきしめていた心をとき放って気持ちを楽にし、次に口を開いて気を放ち、息が全身から意志に従って外に散らばっていくと想うと良い。そうした後で、微々に体を動かし、次に両の足を動かして、みな柔軟にする。
 それから後に、両手であまねく全身の毛孔を摩擦する。次に、手のひらを摩擦して暖かくして、それをもって両眼を覆い、その中で眼を開く。そして、体の熱い汗がやや止むのを待って、そこで自分の必要に応じて動くと良い。
 もし、それらに注意しないと、座禅はある程度上手くできたとしても、それを止めて禅を出るときにこれらの注意を欠くと、細かい要素がまだ散らずに体の中に残っていて、頭の痛いことがあったり、体の節々が痛むことがあったりする。それでは、後の座禅の中でも心がざわついて落ち着かない。それ故に、座禅を止めて、定住した状態を出ようとする時は、常にこれらにはよく注意しなければならない。
 要するに、細かいものから、荒いものへと出るべきだからである。
  


戻る
次へ