ヌーソロジーの本の新作である、『[2013]世界はグレンとひっくり返った 反転の創造空間<<シリウス次元>>への超突入! いつでも「今」どこでも「ここ」―驚異のScience&Spiritualメタモルフォーゼ情報! 』がありますが、
その中で、自分が「ここが大事だ」と思った箇所を抜粋しておきます。(p336のあたり)
人間というのは常に同一性にこだわるものです。わたしはこうあらねばいけない。わたしはAでなくちゃならない。AとBになんて同時になれるわけない。要するに、何かに同一化して、つねにそうあるようにこだわってしまう。
<中略>
OCOT情報は、アセンションにおいてはこの「わたしという同一性」が分離するんだという言い方もしています。この地上的世界でいわゆる普通の人間として暮らしていくわたしと、天上的な世界へとアセンションしていくわたしにです。
確かに、こうした分離がないと意識進化の話がユダヤ教の審判の思想っぽくなっていきます。つまり、わたしがアセンションするだとか、おまえはアセンションしないだとか。そういうあんたと俺の比較の話になっていっちゃう。これも同一性の発送ですね。でも分離するとしたらあんたとかわたしとかは関係ない。
わたしの中身には人間として残るものもあるし、アセンションしていく意識の部分もある。僕はこうした自分自身を2つに分けるイメージがとても大事だと思ってるんです。常識から考えればトンデモないことを言う半身の自分がいて、一方には、会社の一経営者としてヒーヒー生きてる半身がある。さっき証券会社とか銀行をバカにするような発言をしてしまいましたけど、この現実的世界の中でお金を借りるときはヘイコラ平身低頭やっていますよ(笑)。だって人間的現実は経済世界だからしようがないもの。
でも、それでいいんですよ。地上的世界の中では、半田広宣として会社の経営者としてやっている。でも天上の世界では、名なき者として生きている。この行き物はもう半田広宣ではありません。名を持たぬ、ある一つの宇宙生命体、トランスフォーマーとして生きている内在神です。この両者は完全に分離しています。また分離していていいんです。だからすごく楽です。これは僕の経験から言えることです。そして、人間の世界では、ごく一般常識の中で一生懸命この人間の世の中をよくしようと頑張る。そういう信条で生きています。
下手に天上的なビジョンをこの地上世界で実現しようと思うと、それこそ宗教組織をつくって信者を一つのイデオロギーのもとに洗脳するような一種のファシズムにしかなりませんよ。そうじゃないんです。みんな分身をつくればいいんです。自分を自分という同一性の枠に入れようとせず、自分の一切を否定せず、すべて肯定して、かたや現実にグランディングし、片や自分の内在世界の中で天上世界のビジョンをつくり上げていく。それがOCOTの言う「変換人」の在り方なんです。そして、2013年からはそういう次元両生類的生き方をする人が多くなってくる。そう確信しています。
この本は、割とぶっ飛んだ内容が続くものになっていますが、この辺は割と現実に根付いている所です。