不定期連載『変換人型ゲシュタルト論』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇科学の枠外にある存在◆◇
ヌーソロジーについて語っていって、できれば広まって欲しいものだけど・・・
なかなか流行らせるのが難しい(笑)
ヌーソロジーが受け入れられずらい理由について考えると、
内容が哲学・数学くさくて難しいというのもあるし、
語り口の難しさから親しみづらい理由も色々とあるけど・・・
冒頭でも書いたように、シャーマン系の人が多く来るといった理由もある。
シャーマンとは何か?
古代から超自然的な存在と交流する役割を持っていた者。
死者との交流すら可能と言われる者。
あと、「あの世とこの世と繋ぐもの」とか言われたり、
古今東西で職業として存在することもある。
日本だと巫女が該当し、
神社にいる者は本来そうした役割を担っている。
ただ、現代だと「そんなのほんとにあるの?」と言う人も多いだろうと思う。
そもそも、人類が世界を科学的に捉えるようになったのは
ニュートンやデカルトが登場した17世紀あたりが始まりで、
日本では19世紀に黒船がやってきてからなので、
人類史的にはシャーマニズムで生きてた期間のがずっと長い。
まぁしかしながら、生まれる前のことなんて我々は体験してないし、
科学的なモノの見方のが安定しているから、
それが当たり前なのも自然っちゃ自然である。
シャーマニズムは、科学で証明されていない現象について扱うものなため、
必然的に「科学の枠外」の世界についての話が出てくる。
つまり、これを追求するためには科学の枠外に行かなければならず、
そうしたものが現代ではなかなか受け入れられていないのが問題となる。
こうした科学の「壁」を突破しなければならないのがヌーソロジーであり、
現代社会の限界もそこにあるとする。
また、そもそもヌーソロジーの出自は「チャネリング」である。
チャネリングはシャーマンのスキルの中で上級編みたいなもので、
高次の霊的存在・神・宇宙人・死者などの超越的・常識を超えた存在との交信といったら、そのまんまシャーマンがやってることと同義である。
シャーマンがやることはチャネラーがやってることだし、チャネラーがやることはシャーマンがやってることである。
ヌーソロジーを信じること自体、そういうものを「アリ」とするのが前提となる。
こうしたものを扱わなければならないことが、ヌーソロジーの難しさの一つになっている。
(ヌーソロジーをやるなら、チャネリングを行うことも必ずやらなければならない。・・・というわけではないが、それに通じた意識を持つ必要性は出てくるかもしれない。)
「無意識」の設定
「科学の枠外」や「シャーマニズム」と非常に接点のある分野がある。
それは「無意識」!
「無意識」について扱う学問、心理学などは、
掘り下げていくとだんだんと不思議な領域になってくる。
人間には「意識」と「無意識」がある。
言い換えると、普段浮かんでいる意識は「顕在意識」で、沈んでて認識できないものが「潜在意識」。
これは精神分析学とか臨床心理学とかでよく出てくる概念である。
歴史上、「無意識」について始めて精神分析的に着目したのはジークムント・フロイトらしい。
19世紀から20世紀にかけて活躍し、精神分析学の創始者とも言われるフロイトは、
患者が無意識へと抑圧している悩みは、人間が夜に見る「夢」の中で表れてくることに着目し、「夢分析」を臨床治療の主力としていた。
それから、フロイトは無意識の根底には「リビドー」があるとした。これは分かりやすく言うと「性的エネルギー」として説明される。もっと俗っぽい解釈だと「性欲」である。
フロイトはとにかく「性」という分野にこだわっていた。
「人間の悩みの原因は全てリビドーから来る」と言い切るぐらいこだわっていた。
この言説は今でもフロイト派の人に伝わっている。
これは一理あるような気がするけど・・・だいぶ問題視もされていた。
(ちなみにその背景には、キリスト教によって過剰に性を抑圧する文化があったとも言われている。)
フロイトの弟子であり、後に決別したカール・G・ユングは、
「無意識」と「夢分析」に挑む姿勢に共感し、フロイトの傘下に入った。
ただ、ユングは後に人間の無意識には個体が持つ「個人無意識」だけでなく、
「集合無意識」があるということを言いだした。
そもそもフロイトとは全く違った発想を持っていて、それが原因で必然的に離れるようになった。
「集合無意識」とは、別々の人が共有する無意識のことを言う。
つまり、肉体上は別に見える我々でも、無意識では繋がっている領域があるということである。
これは科学的にはあり得ないことだ。
しかし、オカルトだとそれがあり得ることになる。
最初から「科学の枠外となるもの」を追っていくものがオカルトだからである。
したがって、ユングはオカルティストとして有名で、
アカデニズムの世界ではほとんど嫌われているが、オカルトの世界では好まれている人物になっている。
「上位存在」の認知
科学の枠外を意識する時、
必ず出てくるのは「上位存在」みたいな存在である。
高次の霊的存在・神・宇宙人・超越的存在・・・
どう呼ぶかは人それぞれだが、
チャネリングでそうしたものとアクセスするということは、
そうしたものが実際に存在するということである。
科学的に言うと、道具を使う人間達に勝てる野生動物はいない。
人間はさらにテクノロジーの発展によって、異常なほどに強くなることができた。
野生動物を武力で制圧できるからこそ、人間の文化は守られている。
だから、地球を支配しているのは人間ということになっているし、
人間がこの世で一番頭が良くて強い動物だと言えてしまう。
だから人類はこの世にあるものを全て支配すれば幸福になれると錯覚する。
しかし、これはあくまで唯物論で考えた場合の話である。
科学の枠外にもし「上位存在」があった場合、その前提が覆る。
人間より優れた存在が科学の枠外にいるかもしれない・・・
ここでは分かりやすく便宜上「上位存在」という言葉を使ったが・・・
人間が「上位」という言葉を使うと、必ずその存在に支配されるイメージを浮かべてしまう・・・
そのイメージが正しいかどうかは怪しいが、とにかく科学の枠外に何かしらの存在があることを認める必要がある。
ヌーソロジーではそうした存在がいる領域を『シリウス』と呼ぶ。
一方で、我々がいる領域は『プレアデス』と呼ぶ。
「シリウスにいる存在が偉いものであり、それに比べて我々は愚かなのだ。」・・・とは別に思わなくても良いんだけど、
敬意を以て接する必要はあるのかもしれない?
ヌーソロジーの出自となる『冥王星のオコツト』は何をしに来たかというと、
『シリウス』についての情報を伝えてきた。
オコツトが言うには、シリウスには『ヒト』と呼ばれる存在がいるらしい。
そして、プレアデスからシリウスへの移行の時に出てくるものが『変換人』と呼ばれる存在らしい。
それは両者の橋渡し役的な存在のようである。
俗説だと、上位存在のイメージは、西洋だと天使とか聖母とか、仏教だと菩薩とか如来とか、
時として偉そうでいけすかないイメージが出てくることもあるが、
ヌーソロジーの場合は『ヒト』や『変換人』である。
偉いのかどうか分からないワードなのがとてもグッドだと思う。
ヌーソロジーではそんな『シリウス』や『変換人』という、
未知なる存在について知っていく必要がある。
人間が「上位存在」というワードを意識すると、
「それは偉い。」と思う者がいるし、
「それは我々を苦しめるものだ。」と思う者もいる。
そして、それを「神」と呼ぶ者もいる。
そこが大きな問題であり、
古代の学問にあった「神学」ではそれがよく研究されていたし、
西洋の哲学でもずっとそれは重大なテーマになっていた。
じゃあ「神」とは何か?という話になる。
どうしてもその問題が出てくる。
人々が「神」という言葉を嫌悪するのは、だいたい宗教のせいである。
これまでの歴史上、あまりにも間違った宗教が多過ぎて失敗することが多かったからだ。
しかしながら、宗教は色々あるものだし、宗教は人間に必要なものである。
それも認めなければならないし、「神とは何か?」という問題にも挑まなければならない。
それは旧約聖書に出てくる創造主のような神であり、全てを司る万能な神であり、人間に試練を与える神
・・・・というわけではなく、神にも色々いるし、日本は八百万の神を信じる多神教の国である。
それらを踏まえた上での「神とは何か?」が大事になる。
ヌーソロジーの初の著作は『2013:人類が神を見る日』とあるが、
ここで言う「神」にはそういう意味が込められていると言っても良いと思う。
↓続き
2013:The Day God Sees God 人類が神を見る日 [ digital edition ]
ヌーソロジーをちゃんと学習するならこれ! |