河合隼雄さんがよく話題にするもので、
身近な出来事に通じるものであり、かつ、普遍的な抽象概念として自分が気に入ってるものがある。
それは・・・「父性原理」と「母性原理」!
これはユングが直に提唱した概念ではないけど、
河合隼雄さんがとても強調している原理である。
この二つの原理については色んな書籍でちょいちょい出てくるけど、
書籍『こどもと学校』に書いてあるものがよくまとまっているので、
それをメインに説明していこうと思う。
父性原理と母性原理とは? その一例
書籍『こどもと学校』では、主に学校教育を巡る問題の中で、
父性原理と母性原理についてが書かれている。
まず、学校で生徒が悪いことをした場合、
どのように対処するべきか?となった場合、二つのものの考え方が存在するということで、
導入として以下のように書かれている。
ここにもうひとつ特に取りあげたいのは、私が父性原理、母性原理と呼んでいる、対立するものの考え方である。この呼び名はわが国では、ときに誤解されるのだが、欧米の人たちに言うとよく通じるようだ。それは、ここに言う父性原理は、後でも言うように西洋に発達してきたものなので、そもそも日本人にはわかりにくいのである。これらの原理はどちらが正しいとか誤りである、というのではなく、まさに一長一短であると私は考えている。
例として「生徒が悪いことをした場合」について考えてみよう。
高校や中学校や小学校で、
生徒が何か校則を破って悪いことをした場合はどうなるのか?
服装が乱れていたとか遅刻をしてしまったとか、大したことない違反なら良いとして、
万引きをしてしまったとか、暴力沙汰が起きたとか、大変な問題が起きてしまった場合、
深刻なものほど「ルール違反として罰を与えて、それは悪であると認識させるべきだ」となるが、
その一方で「悪いことをした者を皆で包み込むように許して、更生させていくべきだ」という考えも存在する。
そうした時、前者は「善悪」を明確に区別する原理に従っているのに対して、
後者は全員が包まれて一体となっていく原理に従っている。
こうした二つの原理を河合隼雄さんは「父性原理」と「母性原理」と呼んで、
重要な二元論のように扱うことにしたわけである。
父性原理、母性原理と私が呼んでいるものは、端的に言うと、父性は「切る」、母性は「包む」機能を主としている。父性は善と悪、できる者とできない者、固いものと柔かいもの、何でも明確に区別してゆく。それに対して、母性はすべてを全体として包みこんでゆく。この原理のどちらが正しいというのではないが、片方の原理が正しいと思うと相手を攻撃したくなってくる。
端的に言うと、父性は「切る」原理で、母性は「包む」原理だということで、
その原理はどちらかが正しいものではないことが強調されている。
書籍『こどもと学校』にある表では以下のようにまとめられている。
父性と母性、西洋と日本の関係
先ほどの引用では、父性原理は「西洋に発達してきたもの」と書かれていた。
だから、欧米の人たちに言うとよく通じるが、日本人にはわかりにくいらしい。
端的に言うと、西洋は父性原理、東洋は母性原理を強く持つようになっている。
そして、日本は東洋諸国の一つなので、やはり母性原理を強く持つようになっている。
これは世界全体の文化や歴史の流れを読むと見えてくるものである。
西洋はユダヤ・キリスト教を中心に一神教を信じる人間が多く、
科学技術を生み出せる頭脳によって世界中を支配できるほどの勢いを持っていた。
対して、東洋は多神教を信じる人間が多く、西洋の優れた文化を輸入する立場になった。
河合隼雄さんがこうして「西洋」と「東洋」の関係で思想を捉えるのもまた、
ユングをベースにしている考え方である。
ユングはスイス生まれの西洋人でありながらも、東洋の考え方に強く惹かれる性格を持っていた。
河合隼雄さんもまたそこに共感して、西洋の考え方の真髄を捉えた日本人として、
それをベースにした原理で物事を捉えている。
日本は東洋の一種ということで母性原理を強く持っていながらも、
アジアで一早く先進国となった国でもあり、父性原理の文化を輸入して発展した国でもある。
これについて、書籍では以下のように書かれている。
割り切って言えば、日本は欧米に比して母性原理が強い国であったが、国際交流が活発で、かつ欧米の文化を輸入している間に、父性原理の方も大分輸入しつつある。そして、頭で考えるときは特にインテリは父性原理に近いのだが、実際行動や感情的な面では、まだまだ母性原理によって生きている、というところである。
このように、日本人はインテリ中心で父性原理で生きていることはあるが、
実際行動や感情的な面では、まだまだ母性原理によって生きているとのことである。
そこそこインテリなサラリーマンとして生きていると、
それをよく実感することも多いかもしれない・・・
つまり、現代の日本人は父性原理で動いてるのか母性原理で動いてるのか、
とても微妙な環境で生きるようになっているわけである。
他にも、以下のようなことが書かれている。
西洋化していると言っても、日本はまだまだ基本的に母性原理で動いている。そのよい方を述べると、全体としての一体感のようなものに支えられ、欧米人の味わうような凄まじい孤独感を体験することが少ないことや、能力が低くても全体によって支えられている傾向があるので、犯罪や非行が欧米先進国に比して、きわめて低いということであろう。家庭内暴力などと言っても、日本とアメリカではその烈しさが全然異なっている
これは母性原理の良い所を持っている日本の側面について書いたものである。
やはり、犯罪や非行となると欧米先進国の方がずっと大変であるらしい・・・
しかしながら、日本は母性原理が強いからこその欠点や弱点も持っている側面もある。
このように、双方の原理の問題を探りつつ、
色んな物事について考えていくのが「父性原理と母性原理」という概念である。
この概念は掘り下げれば掘り下げるほど深い・・・・
河合隼雄さんは、こうした原理を深めることについて、以下のように書いている。
原理を深めるとは、自分のよって立つ原理に対立する原理にも意味があることを認め、その葛藤のなかに身を置いて、右に左に、それを繰り返しながら、自分のよって立つ原理をできる限り他と関連せしめることによって、ものの見方を豊かにしてゆくことである。言うなれば、二つの原理を梯子の両側の柱のようにして、その間を一歩一歩と下ってゆくのである。 そのようにして深めてゆくとき、足が地に着いて、ここを基盤にと感じるところ、そこに、その人の個性が存在していると思われる
なんだか深い・・・。これはあらゆる原理に通じていそうな問題である。
掘り下げれば掘り下げるほど深いテーマということで、
次回も引き続き、父性原理と母性原理について書いていこうと思う。
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