河合隼雄さんの書籍『ユング心理学入門』を読み直してて、
「これはめっちゃ重要だ」とどうしても追求したくなった概念がある。
それは・・・自我肥大!
この概念は特に近年のスピリチュアル界隈でこそ気をつけるべきものなのでは?
と思うのでしっかりと説明していきたい。
自我肥大とは?
書籍『ユング心理学入門』の説明だと、
自我肥大は「自己(Self)の暗い面」として生じるものであり、
河合隼雄さんは以下のように書いている。
自己も暗い面をもっている。それは、その偉大さのなかに自我が呑み込まれて、その居場所を見失ったような状態とでもいえようか。つまり、心の全体性のほうが無意識のなかに沈んでしまい、無意識の特性である時間と空間の相対性や、部分と全体が等しくなったりするような傾向が意識内に出現してくる。これが端的に生じている場合が精神分裂病の場合などで、その妄想内容のなかにこれらのことを認めることができる。自我が適当な強さをもたぬかぎり、このような危険が存在するわけである。これと似た現象であるが、自我が自己の偉大さにあてられて、同一化の現象を起こす。すなわち、自我肥大 (ego inflation) が生じることもある。
ユング心理学では大前提として「無意識」に注目するし、
時にはその無意識の強大なパワーを引き出して扱うこともある。
それから、その強大なパワーに対して偉大さを感じることもある。
そうした中で「その偉大さのなかに自我が呑み込まれて、その居場所を見失ったような状態」とでも言える状態になることもある。
これはあまり良いものではなく、統合失調症のような妄想癖として現われたり、部分と全体が等しくなったりする感覚や、異なるものを同じものと見なしてしまう感覚が、危うい感情として過剰に表れてしまう状態である。
そうなると、自我が自己と同一化するような現象が起きて自我肥大が生じてしまうわけである。
そして、自我が適当な強さをもたぬかぎりにこのような危険が存在すると書かれている。
つまり、河合隼雄さんのユング心理学は、無意識の力が重要なのは当然として、
加えて、自我肥大を防ぐために自我を適度に育てておくことを重要視している。
自我肥大の図解
以前にも説明した通り、自我と無意識の構造は以下の図のようになっている。
自我(Ego)から無意識の方へ向かうのがユング心理学であり、
それをつきつめると、そこにある自己(Self)の力を得たり、
無意識の力を得たりすることができる。
スピリチュアルも割とそれに近いようなものであり、
スピリチュアル的に高次元に向かうということは無意識に向かうということでもある。
そこにある高次の存在を「SPIRIT」と呼び、スピリチュアリズムはそこに向かう思想だとも言える。
しかしながら、河合隼雄さんはそこで無意識の偉大さによって自我が負けてしまうことがあり得ることに注意した。
理想的なのは「自我が無意識の力を得る」ということで、
以下のように高次元や自己の力を先手にして、
自我が自己の影響を良い感じに受けるようになることだが・・・
河合隼雄さんの言う通り「自我が無意識に呑み込まれる」ようになると、
無意識を含んだ大きな存在ごと、
自我のようなエゴイズムを含んだものになってしまう。
つまり、このような避けるべき自我と自己の同一化が「自我肥大」だというわけである。
スピリチュアルであるある現象
自我肥大の注意点として、河合隼雄さんは続けて以下のように書いている。
これは、つねに自己との対決の危険にさらされる職業である心理療法家や宗教家などの陥りやすい点であって、最も謙虚であるべき宗教家や心理療法家が、鼻もちならぬ高慢さをさらけ出すのも、この点である。意識的には謙虚さを売りものにして、それが無意識的な傲慢さによって裏づけられていることに気づかないタイプのひともある。
あー・・・・・・
なんだか心に痛み入る内容である。
聞いていて耳が痛く感じる人もいるかもしれない。
これはスピリチュアルに関わる身として百回ぐらい読み返したいし、
魔術とかやってる身としても百回ぐらい読み返したい。
『サイキックの研究と分析』的にもこれは大事であり、
サイキックの法則だと「癒着してしまうこと」が「自我肥大」の現象に近い。
自我と無意識の存在との区別がつかなくなり、
視野が極端に狭くなってしまうと、このようなことが起きてしまう。
西洋魔術しかり、スピリチュアルしかり、
その辺りの思想はキリスト教とは別物ということになっているものの、
キリスト教の影響をすごく受けているため、
そうした西洋産の思想は全面的に「召喚」という発想を好んでいる。
天使やらキリストやら悪魔やら精霊やら・・・なにかしらの目に見えない存在を召喚して力を得る「召喚魔術」みたいな技法である。
そうした「召喚魔術」の技法は強いインパクトを引き起こすことに長けているが、
その力の偉大さに呑まれていると、いつのまにか良くなさそうな方向に向かっていることがある。
一時的に神聖なものを感じるのは確かなんだけど、
それを崇拝しているといつのまにか物欲先手でエゴ的なものにすり替わっている感じだろうか?
(上記の分かりやすい図はまるの日圭さんの書籍『神氣と人氣』より引用しています。)
こうしたことは「スピリチュアルとか宗教あるある」な現象であり、
神秘思想と宗教は紙一重で近似しているような存在なので、
「神秘思想⇒宗教」みたいな変異はよくある話である。
河合隼雄さん的には、そういう時に必要なのは「強い自我の力」とされている。
これは単なるエゴを持った自我というよりかは、なんというか・・・
神聖のように見えるものでも疑問を持ち、高い知力で正解を導けるような、
「人間として優れた判断能力を持ってるもの」みたいな自我だと思う。
あと、河合隼雄さんが本当に強調したい「父性原理の力」もそうしたものらしい。
この問題は母性原理偏重の文化に対して必要な父性原理の力とも関係している。
また陰陽の話になる
結局、これもまた太極図みたいな陰陽の関係が重要という話になる。
自我を陽、自己を陰みたいに捉えて、
回転するように統合していくモデルが必要になってくる。
だから、河合隼雄さんのユング心理学では無意識や自己が大事であるとするだけでなく、
太極図のようなモデルで意識と無意識の双方を扱うようにする。
「父性原理と母性原理」においても「中空構造」においてもそうであるため、
河合隼雄さんのそのスタンスは一貫している。
また、哲学的には「差異」という概念が大事になってくる。
この概念は哲学者ジル・ドゥルーズが重要視したものでもあり、
様々な意味を含んだものでもあるが、
意識と無意識の双方の「差異」がしっかりと分かった上で、
統合を果たして「個性化」を実現するという意味でも重要である。
詳しくは以下書籍『ワンネスは二つある』にて説明されている。
※書籍『ワンネスは二つある』では、「同質異体」と「異質同体」の二種類のワンネスが登場する。「同じ」が「違い」よりも先行する「同質異体」だと自我肥大に向かうことになる。
ユング心理学的に理想的な個性化は、
書籍『ワンネスは二つある』に書いてあるような「異質同体のワンネス」に近いものであるし、
「異質同体のワンネス」に向かうためのキーワードは「差異」である。
以上。
自我肥大の話から宗教やら太極図やら哲学やらワンネスやら、色んな話に繋がっていったが・・・
それらは全部繋がっている話だし、スピリチュアルにありがちな問題でもあるので、
自我肥大の危険性については肝に銘じておきたい。
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