不定期連載『変換人型ゲシュタルト論』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇エーテル空間を知覚していく◆◇
今回は神智学や人智学に出てくる概念と
ヌーソロジーとの絡みについて説明していく。
「エーテル体」について
ヌーソロジーでは『次元観察子ψ3』からの概念を理解することによって「エーテル空間」が開けてくると言われている。
これによって「エーテル体」が分かるようにもなる。
「エーテル体」とは何なのだろうか?
これは19世紀にヘレナ・P・ブラヴァツキーが確立した神智学において出てくる概念で、
「物質体とは違った、目に見えない意識エネルギーのようなもの」を「○○体」という呼び方をしたものである。
東洋だと「氣」とか「プラーナ」とか呼ばれているものに近いと理解すると分かりやすいと思う。
この概念はルドルフ・シュタイナーも引き継いで使うことになり、
シュタイナーが確立した人智学においても「エーテル体」という用語がよく出てくる。
特に、ヌーソロジーは『シュタイナー思想とヌーソロジー』という書籍が出ただけあって、シュタイナーの人智学と絡めた説明がよくされている。
ちなみに、スピリチュアルの界隈だと、こうした「目に見えない意識エネルギーのようなもの」は18世紀の魔術師エリファス・レヴィの提唱した「アストラル・ライト」という用語から、「アストラル」という呼称が使われることもあるのだが・・・
神智学や人智学の文脈だと、
ヌーソロジーでまず初めに出てくるものは「エーテル体」とするのが正解なので、その呼び方で統一する。
意識の反転とエーテル空間
ヌーソロジーでは「意識の反転」の先には「エーテル界」があるとも言われている。
書籍『シュタイナー思想とヌーソロジー』でも以下のように書かれている。
この図はオイラーの公式とエーテル界の関係についてであり、「虚数軸:エーテル界」と書かれている。
さらには素粒子の挙動を表す波動方程式はオイラーの公式を基礎に持つということで、素粒子との関係についても書かれていて、「オイラーの公式の虚数部分がエーテル界、実数部分が通常の時空認識の形成を表す」と書かれている。
ここにある「虚数軸」は「奥行きの軸」と同義でもあるし、
『人間の外面』や「前」の方向とも同義である。
そもそも、書籍『シュタイナー思想とヌーソロジー』では、シュタイナーが目指す意識進化の道と、ヌーソロジーが目指す意識進化の道は通じているのではないか?ということで、シュタイナー思想とヌーソロジーについてのすり合わせが行われていた。
したがって、シュタイナーの人智学の入門の際に出てくる概念の「エーテル体」も、ヌーソロジーの概念と一致してくるわけである。
さらには、ヌーソロジーでは「素粒子の正体は意識である」という世界観の通り、「エーテル体は素粒子である」といったことまで言われているので、素粒子の構造からエーテル空間の仕組みを明らかにすることまで目指している。
シュタイナー思想におけるエーテル体
さて、シュタイナーがエーテル体についてどのように説明したかを軽く見てみよう。
書籍『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』から引用する。
人間のエーテル体の各部分はたえず活動している。無数の流れがエーテル体をあらゆる方向へ導いている。 人体はこのような流れを通して、その生命活動を保持し、 制禦しているのである。すべての生物はこのようなエーテル体を持っている。 植物、動物もエーテル体を持っている。それどころか鉱物にも、注意深く観察すれば、エーテル体の痕跡が認められる。
エーテル体は人間が持っているものでありながら、いたるところにあると書かれている。
そして、シュタイナー思想においては、エーテル体は意識進化のために開発するものなため、
瞑想や集中を用いて、宇宙の法則と調和していくように扱っていく。
神秘道を修行していくと、人間世界の進化と法則に対して調和的な在り方を示す流れや動きを自分のエーテル体にもたらすようになる。行法は常に世界進化の偉大な法則のエーテル体の行模像であるように考えられている。前にふれた瞑想(メディテーション)と集中(コンセントレーション)はまさにそのような行であり、これが正しく実践されるなら、今述べたような結果をもたらしてくれるであろう。
なんとなく目指していくべき方向性が分かるだろうか?
シュタイナーはこうした神秘な修行を含んだ学問に挑む者を「神秘学徒」と呼び、神秘学徒について以下のように書いている。
神秘学徒は毎日、わずかの時間でもよいから、日々の仕事とはまったく異なる事柄のために費す時間を確保しなければならない。時を費す仕方もまた、日常の他の場合とはまったく異なっていなければならない。とはいえこの特別の時間が対象とすべき事柄と日々の仕事の内容との間にまったく何の関係もないかのように考えるべきではない。反対である。正しい仕方でこの特別の時間を費す人は、やがてこの時間の中から、日々の課題のための充実した力が受け取れることに気づくであろう。
もしこの規則のために費すべき時間が本当にもてないというのなら、毎日五分間だけで十分である。むしろどのようにこの五分間を使用するかが大事なのである。
この時間の中で、人は完全に自己を日常生活から隔離する。思考と感情のいとなみは日常の時間における場合とは異なる色合をもたねばならない。
ここに書かれていることは、『変換人型ゲシュタルト論』に出てくる構造のイメージを修行やトレーニングのノリでやっていくためにも適した心構えだと思う。
書籍『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』は、シュタイナーが出したものの中で一冊は持っておいた方が良い本だと思う。
もはやヌーソロジーの学習と一緒に読んだ方が良いのでは?と思えるバイブルのようなものなので、特にオススメである。
以上。「エーテル体」と「ヌーソロジーの反転」の関係について書いていった。
ヌーソロジー外の分野で「エーテル体」の扱いについて学んでいる人は「ヌーソロジーの反転」が理解しやすいかもしれないし、
「ヌーソロジーの反転」が分かった人はヌーソロジー外の分野で「エーテル体」を扱うことができるかもしれない。
そうなると、色んな応用が考えられるのでは?と思う。
そして、次元観察子ψ3は、まだ「エーテル体の糸口を掴んだ」ぐらいの段階になり、
そこにどっぷりと入り込むのは次元観察子ψ5から・・・という話になるので、
引き続き『変換人型ゲシュタルト論』を進めていこう。
↓続き
2013:The Day God Sees God 人類が神を見る日 [ digital edition ]
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