不定期連載『サイキックの研究と分析』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇素粒子の歴史について◆◇
さて、今回からは、
前回でも触れた「量子力学について」というテーマを主軸にして書いていくことにします。
まずは、量子力学が出てくる前の19世紀に大まかに起きたシナリオからです。
19世紀はイギリスが起こした産業革命の影響をヨーロッパ全体が受けるまっただ中の時代でした。
イギリスがまず工業化によって圧倒的な経済力と軍事力を持つようになり、
それを追うようにしてヨーロッパの国々が工業化を成し遂げるようになりました。
他国が発展するものだから、負けじと全体が発展するようになります。
こうした工業化や近代化を支えるべくして、学問もそれにともなって発展するようになり、
それらを扱う「近代理性」が至上かのようにもてはやされていました。
それは男の得意分野こそがその社会で有利なものなのだ、というようなものです。
およそこの頃は「近代理性至上の時代」と言っても良い時代でした。
日本もその影響に巻き込まれることになったわけで、イギリスからの黒船来航が1853年にあります。
(ちなみに、日露戦争が1904年あたりです。)
そうやって産業の成長がめざましい中で、
「科学」こそが諸々の問題を解決してくれることが期待されていましたが、
当然、公害などの新たな問題も出てくるようになりました。
(それから、科学に対するアンチテーゼで逆にオカルトや神秘思想が影で流行ることもありました。
従って、19世紀はオカルト復興期としての側面も持ちます。)
そして、20世紀に入り、1914年に第一次世界対戦があり、
発達した科学が戦争の道具に使われてしまうという大きな悲劇も起きることになりました。
そうしたことが色々とあった中で、
19世紀が過ぎた20世紀の初期頃に、物理学史に残る発見が出てくるようになりました。
始めに、1905年にアルベルト・アインシュタインが「光量子仮説」という
「光」って波の一種として考えられてたけど、「光子」っていう粒の一種なんじゃね?みたいなのが提唱されたあたりから、
素粒子やミクロ世界の研究がより進んでいきました。
その研究が進むことによって、1920年代に「素粒子」の性質が明らかになってくることになりました。
「量子力学」の骨格が出来上がっていった時期です。
そうした中で、物質をひたすら細かく刻んでいった先に出てきた素粒子は、
従来の物理学の法則に当てはまらないことが分かってしまいました。
「科学」は「物理学」が元で発展するものであり、物質の原理を解明し、
それを扱うことが科学であるが、その物質がよく分からないということが分かってしまいました。
これでは科学じゃ物質の謎は解明できない!
「科学は万能なものであると思われた。」
⇒「けれどそれは欠点も多く、全ての謎を解き明かしてくれるものではなかった。」という流れは、
19世紀から20世紀にかけてで既に起こっていたというわけです。
量子力学発展のきっかけを作ったアインシュタインも、
どちらかというと量子力学の考え方に対しては保守的で、
その後に出てくる素粒子のワケの分からない性質に対しては、
あまり納得がいっていなかったことは有名です。
アインシュタインの提唱した、かの有名な「相対性理論」も、
「時間」と「空間」が相関関係を持つことを証明した・・・と言うと、
まるで不思議な話のようですが、
あくまで物質が光の速度に近づいた時の物理現象としてそれが起きるというスタンスでした。
どちらかというと、アインシュタインと双璧をなす物理学者と言われるニールス・ボーアが、
量子力学に対しては斬新なことを提唱していました。
ボーアの言っていたことに「コペンハーゲン解釈」といったものがあります。
Wikipediaから引用すると以下です。
量子力学の状態は、いくつかの異なる状態の重ね合わせで表現される。このことを、どちらの状態であるとも言及できないと解釈し、観測すると観測値に対応する状態に変化する(波束の収縮が起こる)と解釈する。
・・・パッと読んだ感じでは難しいですが・・・これについては、後ほど詳しく説明します。
あくまで、ここで言われている「波束の収縮」というのは完全に証明された物理現象というよりかは、
量子力学を説明するための「解釈」になります。
以上のような解釈から、
「月は我々が見てない時は状態が不確定なものとして存在しており、我々が見ている間だけ存在する」・・・などといったことが言われるようになりました。
このような、量子力学で言われている原理について、後ほど詳しく述べていくことにします。