不定期連載『サイキックの研究と分析』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇一神教系のものと多神教系のもの◆◇
これまで、『天』『人』『地』の3区分とか
『術』『信』『智』『体』の4区分とかの説明をしてきました。
それに加えて、カテゴリー分けとして重要そうなものに
「一神教系」と「多神教系」というのがあるので、
今度はそれについて説明していきます。
この二つは、ハッキリと分けずらいこともあるので、
それぞれ「一神教よりのもの」と「多神教よりのもの」を意味するということにしておきます。
「一神教系」のカテゴリーについて
「精神世界」にあるジャンルを色々と述べると以下のようになると、以前に書きました。
この中で「一神教系」に近いものに該当するのは、大体この辺です。
この辺はオカルトを扱うにおいて、特に注意したい所です。
より偉く、より高度で、より高次元で、より絶対的な「創造主」や「一神」や「真理」や「原理」を追うほど、
難易度も上がってくると思っておくと良いです。
理解も難しいし、「騙し」や「騙され」も発生しやすいです。
このあたりのジャンルでは、「霊性進化論」みたいなものが絡んできます。
「霊性進化論」というジャンルは、人間の性質を「神性」と「獣性」に分けて捉えるものであり、
自分自身の中にある動物としての人間の性質(=獣性)だけでなく、
「神性」というものに気づいてそちら側の道に進むことで、
「霊的な進化」を行うという趣旨のものです。
ここで「神性」と「獣性」の本質がよく分からず、
「神性」を「偉くて善なるもの」で、「獣性」を「下劣で悪いもの」と捉えてしまい・・・そのせいで大変なことになったということは、世界各地でよくあったことだし、日本の宗教の世界でもありました。
「霊性進化論」は、そうした難しさのともなうジャンルです。
普通の人は、人生の前半で「社会的な自分」というのを確立させて、
人生の後半にてちゃんと挑むべき神秘思想・・・というのがあり、
「一神教系」に近いものほどそれに該当します。
一神教派生のジャンルで代表的なのは「カバラ」です。
これは元々は「ユダヤ教神秘主義」と言われているものです。
12世紀ぐらいに明るみになってきたカバラの思想は、
「黄金の夜明け団」などの主要な西洋魔術の結社にまで導入されることになります。
なので、西洋魔術ではカバラのように厳粛な態度が要求される所があります。
(そんな中で「混沌魔術」のようにそうでもないジャンルも出てきます。)
神秘思想家として有名なルドルフ・シュタイナーは、
その辺のジャンルを探求するにおいて、大体正しいことを言っています。
シュタイナーがまず第一に言ってるのは「畏敬(いけい)の念を思想生活の中に受けいれること」です。
神々や高次の世界と向き合うためには「おそれ、うやまう」姿勢が大事になっていきます。
あと、シュタイナーは神秘との関わりを持ってそっちの世界にいくことを「霊界参入」と言い、
そのための心がけを色々と書いています。
それから、オカルト界隈で有名な心理学者であるカール・G・ユングも、
「アニマとの対峙は人生の後半以降」ということを言っていました。
「アニマ」とは、男性が無意識の世界に参入する時に出てくる女性的存在のことを言います。
(女性の場合は「アニムス」という男性的存在が出てきます。)
これが出てくるということは、本格的に「無意識の世界」や「目に見えないもの」と対峙することになります。
(男性は、)一般には、男性としての強さや判断力などがまず期待されるので、このような外的な期待にそえる「ペルソナ」を作り上げることが大切であり、このような「ペルソナ」を人生の前半において築いた後に、「アニマ」の問題との対決は人生の後半(三十五~四十歳以後)になされるのが普通である。
<中略>
ただ、例外として、芸術家、宗教家や、前述したように心理療法家なども、若いときから「アニマ」の問題と取り組まねばならぬ宿命を背負った特殊な人であると思われる。
(河合隼雄著『ユング心理学入門』より引用)
これは、人生の前半ではしっかりした「自我」を育成することが大事であり、
人生の後半においてそれとは違った道に進むようなことに取り組むことが望ましいということです。
本格的な神秘思想を学ぶとなると、確かにそれが正しいのだと思います。
(自分みたいなタイプはつくづく例外なんだなぁとちょくちょく思ったりします。あと、今の時代はまた違う流れが来てるかもしれないって説もあると思います。)
それから、違う種類の魔術や魔法同士を「混ぜる」というのも、「一神教系」のあたりになると難しいです。
異なる流派で言われていること同士を混ぜたり、MIXさせたりするには、
ベースとなる「原理原則」まで正確に理解していないといけません。
あと、ある種の「呪文」が混ぜにくいこともあります。
例えば、「ヘブライ文字」と「梵字」と「ルーン文字」とかを混ぜて、護符みたいなものを作るなんてことをすると・・・上手くいく気がしません。
全然性質の違う神様同士が喧嘩してしまうようなことが起きます。
特に「ヘブライ文字」は一神教を信じる人達が使ってる言語なのでなおさら難しいです。
このように、「混ぜにくい呪文」と「混ぜやすい呪文」というのがあるので、
その辺を区別できるようでないと、こうしたものをMIXさせるという発想は推奨できません。
「多神教系」のカテゴリーについて
一方で、「多神教系」のジャンルのものは、大体以下のあたりが該当します。
より高度で、より絶対的な「一神教系」を理解することは難しさがともなうということを先ほど述べましたが、
逆に、多神教系のジャンルになると、一神教系ほど厳しいかどうかは微妙で、
多少はなんとかなるかな?という所があります。
まぁ、これに関しては、「多神」の中で「信仰する対象の神様」とか
「扱う対象の性格」みたいなものがあるので、
気をつけるべきこと信仰する神様の性格次第ってことになると思います。
「多神教」と言うだけあって、多神の数だけルールがあるぐらいに思っておくと良いです。
一神教系の場合は、厳格な「正しさ」を求められ、「神とは何か?」「正しいとは何か?」「原理原則はどうなっているのか?」・・・といったことを、
シビアに問い続けないと道を誤ってしまうような難しさがありますが・・・
多神教系の場合は、「地上を生きてくのに役立つこと」とか「普通にみんなの役に立つこと」などが
「良いか悪いか」の主な判断基準になってきます。
つまり、ごく一般的で常識的な感覚を大事にしていけば良いです。
人間というのは大体協力して、共同体を作ったりして生きるので、
「みんなで楽しく生きる場を作る」ことは、優先的に考えるべきことになります。
そんでもって、多神教系の基本理念もそんなようなものです。
あと、異なるジャンルにあるもの同士を「混ぜる」場合は、
一神教系ほどシビアではないのもこの辺のジャンルの特徴になります。
世の中の「役に立つもの」が大事ということで、
「役に立つもの」同士で混ぜることができれば良いと思います。
注意点として、多神教系にあるものの中には、
ジャンルによっては「現世利益」に繋がるものがあり、この辺に関しては厄介な部分だとも言えます。
中には現世利益の力が「非常に強い」ものもありますが、「強い力を得ると代償を払わなければいけない」ものでもあります。
そこに縁を持つようになると、「借金を借りたらちゃんと返さなければならない」みたいな道理を守らなければなりません。
このように、多神教系の中でも、大きな現世利益を得る系に関しては「騙し」や「騙され」の関係が発生しやすいです。
ただ、堅実に努力してお金を稼ぐような姿勢であれば、そもそもそういうのと関わることはないので、
やはり、この辺も地に足の着いた発想が大事になると思います。
「天」「人」「地」と「一神教系と多神教系」
前々回で説明した『天』『人』『地』の3区分と、
多神教系と一神教系との絡みについて着目すると…
『天』系は一神教系と絡んでいて、
『地』系は多神教系と絡んでいます。
天上ほど「天」の原理原則に忠実なものがあり、地上ほど多様な種類のものが出てくる・・・
この辺はだいたいそんなイメージでOKです。
『人』系は多神教系に近いかもしれませんが、ちょっと微妙なものということで置いておきます。
いろんな人の「身体」の在り方は多神教系に通じてそうですが、
究極的に全てに通じている「身体」の在り方の話だと一神教系に通じていそうです。
「術」「信」「智」「体」と「一神教系と多神教系」
続いて、前回で説明した『術:Mageia』『信:Pistis』『智:Nous』『体:Soma』の4つの区分と、
一神教系と多神教系との絡みについて着目してみます。
この中で、主に「一神教系」と絡んでくるのは『信:Pistis』系と『智:Nous』系になります。
『信』系は『天』系と大体似ているので、その話は通じているということで深い説明は省きます。
次に『智』と一神教の関係について。
『智』は、学術的なアプローチによる真理探究がメインであり、
「数学」や「科学」みたいに「原理原則」を追いかけてく所が、
『智』と「一神教」とで絡んでいます。
「ユダヤ教神秘主義」の「カバラ」も、元々は「数」や「幾何学」に対する霊学から出てきているものと言われているので、
一神教を追求していくにおいて、「数」や「幾何学」のようなもので構成されてる、この世の原理から追求していくことは凄い重要です。
一方で、『術:Mageia』と『体:Soma』は、「多神教系」に近いということになります。
『術』系のものは、多神教系のものと相性が良いです。
・・・とはいえ、一神教系の中で『術』系のものが使われることもあるし、あと、『人』系が微妙なように『体』系も微妙な所だったりします。
それから、多神教的な『信』とか、多神教的な『智』とかもあり得ます。
「信仰」は大衆が行う行為でもあるし、多神に対する信仰もあります。
あと、「哲学」というのは、ある側面はとても人間くさいものであるし、人の数だけ答えがあったりします。
ということで、『術』『信』『智』『体』の4つに関しては、
一神教系か多神教系で分けると、『智』『信』と『術』『体』で分けれそうだけど、一概に分けれなそうなものでもある・・・ということになります。
仏教や西洋魔術にある「一神教系と多神教系」
以上のような「一神教系」と「多神教系」の区分けする方法とても便利で、
色んなジャンルで使うことができます。
例えば、「仏教」なども多様な宗派があることが特徴的ですが、以下のように分けれると思います。
仏教も、それぞれ「一仏教」と「多仏教」の二つの側面があると捉えても良いかもしれません。
そんでもって、「西洋魔術」のジャンルになると、以下のようになります。
「テウルギア」「マゲイア」「ゴエティア」とは、
古代ギリシャ時代などにあったと言われる魔術の種類であり、
それぞれ、「テウルギア:降神術・高等な魔術」「マゲイア:普通な魔術」「ゴエティア:妖術・下等な魔術」というように扱われていたものです。
なので、以上のように分けるとスッキリすると思います。
あと、これは「ヌーソロジー」を知ってる人向けの話になりますが、
ヌーソロジーの用語「オリオン」「シリウス」「プレアデス」と、
「一神教系」と「多神教系」とを絡めると、大体以下のようになります。
とりあえず、これは分かる人は分かっといてください。
この3大原理はこういう区分けに非常に便利です。
以上のように、「一神教系」と「多神教系」で分けて整理することは、
魔術や魔法を扱うにおいて重要だと思います。
この二つは、どちらが良いかとか優れているかとかは、一概には言えないし、言うべきではないと思います。
とはいえ、やはり一神教系の方が高難易度と思っておいた方が良いかもしれません。
高難易度なものを理解してるのは確かに凄いことだけど、
「分かったつもり」になった時の危険性も大きくなります。
あと、高難易度なものほど、一般的な実用方面とは離れがちになり、
わけのわからない方向に行きがちになるので、その辺も悩ましいです。
高難易度なものを理解している天才のようでなくても、
より色んな人に役立つように活躍できているのであれば、それは凄いことだと思います。
全体を多角的な視点で見ると、どのジャンルも人間にとっては甲乙つけがたいものなので、
「精神世界」や「魔術や魔法」にあるジャンルを追いかけていくにおいて
そういう視点が大事だと思います。
■次へ
文系の私にとっては材料物理数学再武装なんかも神様級の出会いでしたね。今流行りのChatGPTなんかの人工知能のアルゴリズムが数学の苦手な私にも理解できたので。ものづくりにも数学は重要でその方面にも興味が広がりました。内容も科学哲学というか多神教的内容。マルテンサイトって色々なところで役に立っているんですね。
材料物理数学再武装というものがよく分かりませんが、人工知能のアルゴリズムを理解することは重要ですし、数学理解に役立つものがあるんですね。
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムにんげんの考えることを模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。