不定期連載『変換人型ゲシュタルト論』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇変換人型ゲシュタルトとは?(前編)◆◇
まるで古代ピラミッドを建造した「半神半人」のような存在とも言われるのが『変換人』。
神話に残るエジプトの神々もその名残りなのかもしれない?
さらに、数学・コンピューター・ITが飛躍的に進歩した現代では、
変換人の在り方も古代とはまったく違ったものになっているはずである。
そんな変換人のゲシュタルトである『変換人型ゲシュタルト』とは、
ざっくりとどんなものなのか?をここで説明しておこう。
まず、そもそも「ゲシュタルト」とは何か?
それはドイツ語で、形、形態、状態の意味を持ち、
ざっくり言うと「思考様式」のようなものである。
「空間の認識の仕方」とかもそうであり、ヌーソロジー的に「ゲシュタルト」と言うと、空間の認識の仕方がベースになっている意識のカタチと、それに伴う思考様式のことを指す。
人間には人間のゲシュタルトがあり、一般常識的な空間の認識の仕方がある。これはヌーソロジーでは『人間型ゲシュタルト』と呼ばれている。一般的な人間はそれをベースに生きている。
一方で、変換人のゲシュタルトが『変換人型ゲシュタルト』なわけである。
まず、変換型ゲシュタルト理解のための第一のキーワードは「反転」であり、
それは一般的な物の見方から反転したものになっている。
一般的には、人間には肉体があって、その中に「心」らしきものがある。
肉体の外側は「外在世界」となっていて、外在世界に色んな物があって、それを対象として見ることで物を認識する。
肉体の内側は「内在世界」となっていて、我々の意識や心はそこにある。意識は脳に宿ったり、心は心臓に宿っているかのように解釈されたりする。
ここでは外在世界は「外面」のようになっていて、内在世界は「内面」のようになっている。
こうした普通の空間の認識の仕方は『人間型ゲシュタルト』に該当する。
しかしながら、変換型ゲシュタルトでは、まず「内面」と「外面」の関係が逆になっていて、
外在世界として見えてる空間が「内面」であり、心のような内在世界が「外面」であるとする。
書籍『2013:人類が神を見る日』で『冥王星のオコツト』は以下のように説明した。
「人間の内面とは、あなたがたが外在と呼んでいる世界、人間の外面とは同じくあなたがたが内在と呼んでいる世界のことを指します」
「内面が外在で、外面が内在? 内と外が逆だということですか?」
「本当の外宇宙というのは、あなたがたの心の中の方向にある……とでも言っておきましょうか」
『人間の内面』と『人間の外面』もまたオコツト情報特有の用語であり、
反転したゲシュタルトにおける内面と外面のことを表す。
一見、外在世界にあるようにみている物質(先の図ではリンゴ)は、自身の内面とは無関係なものではない。自身の持ってる心もまた、外面である世界の在り様と無関係ではない。
これがオコツトの言い出した、変換型ゲシュタルトにおける基本的なモノの見方である。
いわば、身体の内側に外在世界(物の世界・宇宙)があり、身体の外側に内在世界(心の世界)があるということ?
うーん・・・そんな感じの感覚が分かるだろうか?
こうした「人間型ゲシュタルト⇒変換型ゲシュタルト」への移行の際には、世界の内と外、物の内と外の関係を一回「裏返す」ことが必要な構造になっている。
だから、表が裏で裏が表とか、内が外で外が内みたいな、そういうイメージが出てくる。
裏側も表側もないトポロジー、内側も外側もないトポロジーといったら、
「メビウスの輪」や「クラインの壺」といった図形がある。
それから、「4次元立方体」といった図形も、回転させると内と外がひっくり返る構造になっている。
そのため、こうした図形は変換型ゲシュタルトの入門部分と非常に親和性がある。
いわば、「異界への門」の象徴みたいになっているわけだ。
それから、反転したモノの見方が分かると、
正八面体と正六面体にも意味があることが分かってくる。
簡潔に説明すると、それぞれ「外在世界(物の世界)として捉えている内面」と「内在世界(心の世界)として捉えている外面」の象徴となっている。
※外在世界(物の世界)として捉えている内面
※内在世界(心の世界)として捉えている外面
以上のようなことについては、パッと見じゃぜんぜん分からないかもしれない。
ひとまず、こういうことをじっくりと理解していくのがヌーソロジーである。
物質は宇宙精神の影
「反転」した世界が分かると、
自身の持ってる心が、外面である世界の在り様と関係してくる・・・みたいなことを先ほど書いた。
これを分かりやすく言うと、外在世界が内在世界を反映しているように見えてくる・・ということになる。
つまり、自身の内在世界(心)によって、自身の見ている風景や状況が変わってくるということだろうか?
この辺は「引き寄せの法則」みたいなものにも通じてる発想と言える。
それから、オコツトは「あなたがたが物質として見ている存在は、宇宙精神の影のようなもの」と言っていた。
そもそも宇宙には「宇宙精神」と呼べるような壮大な意識があって、
その影が、我々が見ている外在世界(物質)になっているということである。
「我々は影しか見えていない」という話は、古代の哲学者プラトンによる『洞窟の比喩』に近い内容である。
「洞窟の比喩」では、以下のようなシチュエーションを仮定する。
地下の洞窟で生まれた時から縛られた人がいるとして、その中の一方にだけ光があって、様々な形の像(例えば、色んな種類の道具や木や石などで作られた人間や動物)が運ばれていくが、それは縛られた人には見えないようになっている。しかし、縛られた人にはそれらの像の「影」だけが見えている。
その場合、その人にとっては「影」が「実体」であるかのように認識する。
プラトンが「洞窟の比喩」で言いたかったのは、それと同様に、われわれが現実に見ているものは、何かものごとの原型となる存在(プラトンがイデアと呼んだ存在)の「影」に過ぎない・・・ということだった。
オコツトが言っていたことは、プラトンがそこで言っていたことにもかなり近いのかもしれない。
このように、オコツトの世界観はそもそもの「外在世界」の捉え方が根本的に違うのである。
一般的な科学における宇宙創造は、まず「ビックバン」のような現象があって、
それはもちろん我々の心とは全く関係のない物理現象であり、
そうした物理現象から始まって[宇宙⇒岩石の集合⇒星⇒海と陸⇒自然]といったプロセスで「地球」が出来上がっていき、
そこに生き物が登場するようになって、ダーウィンの進化論のように動物が進化していき、
高度な知能と心を持った我々が生まれてきて、世界を見るに至ったみたいな考え方である。
しかしながら、ヌーソロジーではビッグバンの話は、
「そもそも誰も見たことが無い」ということで否定する方向にある。
また、変換人型ゲシュタルトにおいては、むしろ「我々が世界を見る」ことこそが「世界の創造」になる。
そうすると、「物質は宇宙精神の影」という発想の方が自然になってくるのである。
以上のように、「我々が見ていることで世界が作られている」みたいな発想は、
「人間原理」と呼ばれる考え方に近い。
人間原理とは、「宇宙があるべき姿をしているのは、人間が観測することによって、初めてそうであると知った時からだ」みたいな、人間ありきで宇宙を捉える考え方である。
ヌーソロジーはその辺に近いことを取っ掛かりとして覚えておこう。
点の内部に入り込む意識
内在世界と外在世界の反転みたいなことが起きると、
「点」と「全体」の関係も反転してくる。
変換人型ゲシュタルトの初歩で出てくる「反転」の感覚に近いのは、
「点」の中に入り込む感じであり、
さらに、点の中に世界がある感じである。
我々が普通に「景色」を見ている時は、ざっくりと「全体」が見えてる感じであるが、
そうした中で、いわば「点になる」みたいな感じなってくるのだ。
ここで「仏教」をちょっと引用した話をしよう。
仏教には「刹那」という概念があり、それは時間の概念の1つで「きわめて短い時間、瞬間、最も短い時間」を意味する。
もっとも短い時間は、もっとも小さい空間とも接点を持つので、
そうしたミクロな概念を掴むために、仏教にはそうしたワードがあるわけである。
仏教は長い歴史の中で悟り専用の瞑想法が開発されている。
「座禅」が有名だが、中国で生まれた天台宗に伝わる「止観」もまた、
変換人型ゲシュタルトみたいなことを理解することにとても適している。
そうした瞑想法を用いて、一点に集中しつつも、全体を観るような・・・そんな感覚を開発していく。
点の中から世界を観れるようになると、
今度は世界全体で「点」が無数に広がっていて、全体から「視線」が出てくるような感覚にもなる。
そうした空間認識の仕方が、変換人型ゲシュタルトの基本であり、ヌーソロジーの基本にもなってくる。
二つの円と回転の関係
さて、「点になる」みたいなことを書いていったが、
自身が点になった場合、「自己」と「他者」が以下のような関係になってることがさらに見えてくる。
二つの点と、それを中心とする二つの円が交わっている図だが、
この図から何が分かってくるのだろうか?
左側の点を点A、右側の点を点Bとしよう。
そして、点Aが片方の点Bを中心に回っていたとしよう。
その場合、点Bを中心に点Aが回っているのは客観的に見たら事実だとしても、
実は点Aにとっては点Bが自身を中心に回ってるようにも見える。
したがって、片方を中心にもう片方が回っていると、実は二つの円運動が存在してることになる・・・・??
ということがヌーソロジーで言われている。
これもまた、ヌーソロジーを理解するにおいてとても重要な原理になってくる。
点Aは「地球」、点Bは「太陽」の関係だと理解すると分かりやすい。
こうしたことをじっくり考えていくのもヌーソロジーの特徴である。
以上。長くなってしまったので、
『変換人型ゲシュタルトとは?(後編)』に続く。
↓続き
2013:The Day God Sees God 人類が神を見る日 [ digital edition ]
ヌーソロジーをちゃんと学習するならこれ! |