今回のテーマは「内向タイプと外向タイプ」について。
これはユングの『タイプ論』で出てくる基本的概念である。
これについてはずっと考えていたことなので、
『社会不適合者の能力特化論』シリーズでも書いたことがある。
◆社会不適合者の能力特化論 ~前置き~|Raimu|note
内向タイプと外向タイプは「性格診断ツールMBTI」でも扱われていて、
「I」(内向,Introvert)と「E」(外向,Extravert)と呼ばれているので、
その中に出てくるものとしても割と有名である。
◆MBTIとは (エムビーティーアイとは) [単語記事] – ニコニコ大百科
そんな内向タイプと外向タイプについて、
河合隼雄さんの本を引用しつつ、改めて考えてみよう。
内向タイプと外向タイプの基本
まず、河合隼雄さんの書籍『ユング心理学入門』に書かれてるユングの言葉だと、
内向タイプと外向タイプについては以下のように説明される。
世のなかには、ある場合に反応する際に、口には出さないけれど「否」といっているかのように、まず少し身を引いて、そのあとでようやく反応するような一群のひとびとがあり、また、同じ場面において、自分の行動は明らかに正しいと確信しきって見え、ただちに進み出て反応してゆくような群に属するひとびとがある。前者は、それゆえ、客体とのある種の消極的な関係によって、また、後者は客体との積極的な関係によって特徴づけられている。 ・・・・・・前者は内向的態度に対応し、後者は外向的態度に対応している。
それから、河合隼雄さんによる説明だと、以下のように書かれている。
新しい場面に入るときの行動によって、両者の相違が特徴的に出てくる。こういった場合、外向型のひとはつねに適当に行動できるのに対し、内向型のひとはどこか、ぎごちない感じがつきまとう。外向型のひとは、それほど深く考えないのに、適当に話しかけ、適当に黙り、まるでその場面に前からずっといたかのように、全体の中にとけ込んでふるまうことができる。内向型のひとは、当惑を感じ、こんなことをいっては笑われるかもしれぬと思って黙り、ときには、「こんなときは、にぎやかにしなければならない」などという考えにとらわれて、馬鹿げた行為をしてしまって、あとで一人後悔してみたりする。
内向タイプと外向タイプがそれぞれどんな性格に該当するのか、なんとなく分かっただろうか?
集団に対して考えずにすぐにとけ込める者と、よくよく考えた上で行動する者という感じでもあり、
この両者の違いはとても奥が深い。
原理的には「意識のベクトルが内側に向くか」「意識のベクトルが外側に向くか」によって発生する性格の違いらしい。
そこから具体的に色んな行動パターンが生じ、その性格傾向が二つのタイプみたいになっているのが「内向タイプ」と「外向タイプ」なわけである。
河合隼雄さんの本の説明をもう少し読んでみよう。
外向タイプについては以下のように書かれている。
外向的なひとは、一般的にいって社交的で、多くのことに興味をもち、交友関係も広い。 その適当な考えと行動は、多くのひとがスムースに関係をもち、実務を遂行してゆくための大きい基礎となっている。しかし、外向的なひとの考えは、とかく皮相的になることも多く、月並なことになりがちである。他のひととのつながりを背景として、適当に自信をもって行動しているが、ときどきは少しの外的障害につまずいて、もろさを示すこともある。
外向タイプの利点と欠点を的確に言い当てているような内容である。
続けて、内向タイプについては以下のように書かれている。
この点、内向的なひとが過度に自己批判的で、自信なさそうに見えながら、いったん思いこむと少々の障害にはたじろがない態度をとるのと好対照をなしている。内向的なひとは、親しい自分の領域以外では、とかく客体との関係がスムースにゆかない点に特徴がある。なかには、自分自身の内的な充足にのみ心がけ、それを外部に伝えることに無関心になっているようなひとさえある。
内向タイプの人にとっては特に「わかる」と感じる内容ではないだろうか?
特徴をまとめると以下のようになる。
この二タイプの関係は奥が深く、他にも河合隼雄さんが思うことがいっぱい書かれているので、
気になる人は書籍『ユング心理学入門』を読んでみよう。
あと、これはあんまり解明されてないけど、
内向タイプと猫、外向タイプと犬はぜったい関係してそうである。
犬と猫の進化の過程にも実は二タイプが関わっているのではないだろうか?
誰か研究して明らかにして欲しいテーマである。
ちなみに、内向タイプを推したい猫好きの河合隼雄さんは、
猫についての本も出している。
これも気になる人は読んでみると良いと思う。
変動しやすい法則
内向タイプと外向タイプ。
特定の人をどちらに判定する場合、
内向タイプと外向タイプのどっちなのかの判断が難しいことがしばしばある。
そうした中で、生まれつきの個人的資質としてどちらかの判断をしていく。
河合隼雄さんもその判断の難しさについては書籍で強調するように書いている。
これら二つの一般的態度は、もちろん完全なかたちでは存在せず、普通は、これら両方の態度を共に持ち合わせている。しかし、大体はどちらかの態度が習慣的に現われ、片方は、そのかげに隠れている場合が多い。このため、ある一人のひとを、外向型とか内向型類別することも可能になってくる。
以上のように、完全でない感じで絡み合いつつも、
結局はどっちか判断することは可能である。
したがって、かげに隠れている本質的なタイプに注視しつつ、
「内向,外向,外向よりの内向,内向よりの外向」
ぐらいの区分は最低限想定した方が良いかもしれない。
あと、外向と内向の割合が雰囲気5.5:4.5とかだと、ほとんどどっちか分からないかもしれない。
それから、両タイプが変動することもよくある。
特に、内向⇒外向の急変動はよく起きることであり、それはだいたい躁鬱の症状と併発したりする。
内向・外向・躁鬱の変動が激しく、
さらに神経症・分裂症の変動も激しくてメンタルも不安定の場合は、
境界性パーソナリティ障害にカテゴライズされてくるだろう。
育った家庭環境の不安定さによって、性格の変動が過剰に激しくなるケースもある。
とはいえ、「変動」自体は必要性があって生じてくることかもしれない。
それは、外界からの圧力の場合もあれば、
無意識の奥底から生じる衝動の場合もあるかもしれない。
自身の外向と内向の性格の要因が
他者からの影響によって後天的に生じたものなのか?
自発的に生じるべく出てきたものなのか?
そうした考慮もタイプ判断において重要である。
陽キャと陰キャは外向?内向?
外向タイプと内向タイプに近そうな概念がある。
それは、陽キャ(陽キャラ)と陰キャ(キャラ)である。
これらは確かにそれっぽいかもしれない。
しかしながら、厳密にそれを意味してないかもしれないし、
こういうスラングは、使った人が何を意図して使ったかによって意味が異なってしまう。
それっぽいながらも雑に解釈されてる可能性があることにも注意が必要である。
とりあえず、外向≠陽キャと内向≠陰キャであるならば、
外向タイプの陰キャや、内向タイプの陽キャもいるはずである。
それぞれについて考えてみよう。
外向タイプの陽キャ:
生粋のパリピ。それから体育会系とかヤンキーとか。
あんまり考えないでそれっぽく成功してるように見える。
分かりやすいので特に言うことなし。
外向タイプの陰キャ:
おそらくゲーム好き。いわゆる一般的なオタクやライトなオタクはこれが近い。
何かしらの理由でコミュニケーションが苦手で陰キャみたいに見えるが、
根が合理的なので、攻略法が分かれば力を発揮するかもしれない。
引きこもりを好むようだけど、信念よりも承認欲求が大事で一般的な成功を望む。
内向タイプの陽キャ:
なかなか想像しずらいけど・・・不思議キャラだけど明るい奴。
信念で動いているようだけど、周囲の印象は悪くはない。
あるいは、ADHDの系統もこれに該当することがあるかもしれない?
一番可能性あるタイプだけど、完璧な人は少ないかもしれない。
内向タイプの陰キャ:
生粋の引きこもりであり、陰キャ中の陰キャであり、ヘビーなオタクだが、
内向タイプの度が強ければ強いほど信念が強く、
哲学者とか科学者とか芸術家とか仙人みたいな孤高の魅力を持つ存在になってくる。
こうして整理すると、
印象が明るいのが陽キャで、印象が暗いのが陰キャ。
それから、信念がある人=内向タイプってことで良さそうである。
しかもその信念は、お金とか地位とか人気とか承認欲求に基づくものではない。
4つに整理してみたけど、先ほども書いた通り「外向・内向、混ざってるのが基本」なので、
色々といるんじゃないだろうか?
内向タイプの可能性
そもそも「内向タイプ」と「外向タイプ」に判別する分析は意味があるのだろうか?
こういう分析は「レッテル張り」みたいなリスクがある。
言ってしまうと、一般的な学校とか社会だと「外向タイプ」の方が有利であり、
「内向タイプ」は不利なことが多い。
「先見の明」を想定すると決してそんなことはないのだが、
逆に言うとそこまで考えない場合はどうしても「外向タイプ」が有利に見えてしまうのが世の中というものである。
(特に、学校のように状況がずっと変動しない環境においては外向タイプが有利なことが変わらないとも言える。
対して、社会はそれと違って変動することがあり得るので、変動を想定すると内向タイプが有利なこともあると言える。)
特定の人を「外向タイプ」か「内向タイプ」かで決めつけ、
優劣まで決めつけることも、やろうと思えばできてしまう。
これはタイプ論の本来の使い方ではない。
そもそも・・・「外向タイプ」の人はこういう分析を必要としないのでは?
タイプ論の考案者であるユングは生粋の「内向タイプ」の人なので、
これは「内向タイプ」のために作られたようなものかもしれない。
そして、ユングのその発想は後にMBTIでも応用されるようになった。
「内向タイプ→I」「外向タイプ→E」と言い換えられるようになって、
「I~~~」「E~~~」などのタイプが話題に出しやすくなった。
これの良い所は「内向タイプ同士で結束しやすい」ということなのではないだろうか?
なんとなく集まってる者同士が、内向タイプ同士だったりすることは多く、
その理屈が分かるとより納得できるようになる。
それが結果として理に適った集まりになっているのかもしれない。
先見の明があり、長期的に物事を考えることができ、
信念で動くことができ、自分軸がしっかりしてるのは内向タイプの方なので、
どうにか結束して上手くやっていきたいものである。
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