2022/7/2。
ナチュラルスピリット社から、
待望の新しいヌーソロジー書籍『感性で紐解くヌーソロジー』が発売されました。
筆者はあのnatanさんなので、
良い本に決まってるだろう、ってことで早速読みました。
全部で170ページぐらいなので、
自分のペースだったら2時間かからないぐらいでサクっと読めました。
内容はもちろん良かったし、
感想はどのように書いていこうか・・・と考えた結果、
「補足」みたいな感じでやっていこうと思います。
「自我の崩壊」の話
まずは、序盤は早速natanさんの体験談「自我の崩壊」の話が書かれてました。
自分はnatanさんのYoutubeチャンネル「ろじろじラジオチャンネル」の方もチェックしていたので、
これはそっちで詳しく語られてたな~と思いました。
テキストだとサラっと書いてありますが、
そちらで聞いた方が深々と大変だったことが分かるので、
気になる人はチェックしてみると良いと思います。
ヌースとノスの話
続けて、《ヌース》と《ノス》の説明に入っていきます。
この辺の内容は初見の人はどこまでついていけるのか・・・・
自分も初心者の人の感想が気になる所ですが・・・
ヌースとノス、それからケイブユニバースの話は、
自分の『変換人型ゲシュタルト論』だと以下で書いています。
あと、「洞窟の比喩」の話もありました。
その辺は以下で書いています。
あと、「反転認識が求められる理由」の話もありました。
これはつまり「なんで今の時代にヌーソロジーをやる必要があるのか?」って話ですが、
色々と考えようのあるテーマなので、色んな答えがあると思います。
自分もこれに関して自分なりに考えて、
以下のようなテキストを書いたことがあります。
それから、一般的な現代人は《ノス》が先手で動いているからこそ、
「物質世界という大きな空間にすっぽり包み込まれてる」という風に認識し、
そうした唯物論の世界では「死んだら終わり」な世界観や、
他者を顧みない利己的な精神が育ったり、誰かが決めた社会規範に従う意識が育ってしまうと書かれています。
そんな現代社会の例として、宮台真司の「言葉の自動機械」の話が出てました。
言葉の自動機械はヌーソロジー的にも重要な概念なので引用して説明するのは良いですが、
これは現代人に限らず言葉をしゃべる人にとってすべてに通じる問題であり、
宮台真司自身も言葉の自動機械化してることがあるのも踏まえて理解しておくべきことだと思います。
フラットランドと四次元の話
続けて、フラットランドの話にもなりました。
エドウィン・アボット・アボットの『フラッドランド(Flatland: A Romance of Many Dimensions)』は、
自分もそれをテーマにして書籍を出したことがあります。
あと、4次元の話にもなりました。
4次元については『変換人型ゲシュタルト論』だと以下で書いてます。
それから、以下で紹介している「ネッカーの立方体」の話も4次元が絡んでいるので、
その辺も合わせて理解すると良いと思います。
あとは主観の話とか、光速度突破の話とか、諸々のことが書かれていました。
この辺は『変換人型ゲシュタルト論』の次元観察子ψ3からの話で絡んでるものが多いので
そちらを読んで理解が進んでくれたら嬉しいです。
「等化」について
続けて、《等化》についてです。
これに関しては『変換人型ゲシュタルト論』の『プログラム1 次元観察子ψ3~ψ4 位置の交換の対化』の項で「等化を制するものはヌーソロジーを制する」とまで書いたし、「それでいて理解の難しい概念の筆頭」とも書きました。
ヌーソロジーにおいて一番基本で一番重要なんだけど一番難しい。そんな概念が《等化》です。
なので、これについてはじっくりとやっていく必要があります。
《負荷・反映・等化・中和》の基本については以下で書きました。
《等化》に関しては、「具体的次元で理解する」のと「抽象的次元で理解する」の方向があるような気がしてて、
「具体的次元で理解する」に関しては、natanさんの説明で大体正しいと思います。
他にも、ヘーゲルの弁証法の話が近いということでよく引用されます。
しかしながら、この話をなるべく数学的原理のように理解するのがオコツト情報なので、
「抽象的次元で理解する」の方も押さえた方がよく、
そのためには『プログラム1 次元観察子ψ3~ψ4 位置の交換の対化』で書いたように、対称性(Symmetric)を理解しながら《等化》を理解することで、
よりヌーソロジー的な正解に近づくことができると思います。
これに関しては、一生かけてでもじっくりと試行錯誤していくべきテーマになります。
男性性と女性性と、自己と他者
続けて、男性性と女性性についてです。
これは中国の易学でも出てくる陰と陽のような概念にも通じてる話でもあります。
まず、男性性と女性性については、先の『感性に紐づくヌーソロジー』では・・・
男性性:父性、客観、理性、画一性など
女性性:母性、主観、感情、多様性など
と書いてありました。
まぁこれは分かるし、ヌーソロジー的な整合性も取れます。
続けて「男性性を自己」「女性性を他者」として、
その上で以下のように書いてありました。
自己:男性性、時空、社会、自我意識、思考など
他者:女性性、真実の世界、自然界、無意識、感性など
まとめると「男性性:自我・時空:自己」と「女性性:無意識・真実の世界:他者」が同様の概念で対応関係ということになります。
これに関しては・・・よく分かりませんでした。
というか、これはそこまで正しいと言えるのか?と疑問になりました。
テキスト全体の中でこれに関して書いてる箇所が少ないため、スルーしてる人も多いかもしれませんが、説明不足でもあり納得しづらい内容にもなっています。
まず、「自己:時空」「他者:真実の世界」ということなので・・・
これはヌーソロジーで「自己側:ヌース:人間の外面・真実の世界」「他者側:ノス:人間の内面・時空」と説明されるものとは異なる概念を指していることになります。
これは言葉の使い方と説明の仕方の問題ですが、
ヌーソロジーで「自己側」と「他者側」と呼ばれるものとは別の意味で「自己」と「他者」という言葉を使うのは、混乱するやり方だと思いました。
一応、「宇宙を双対構造として見た場合」と書かれていたり、他者側から見たら自己と他者は真逆の関係を持つことについて書かれているのですが・・・
この説明の短さでそこまで理解するのはかなり困難なことだと思いました。
それから、「男性性:自我・時空」「女性性:無意識・真実の世界」の関係についてです。
ヌーソロジー的に考えると、基本的には「男性性と自我意識は別の概念」だし、「女性性と真実の意識は別の概念」と捉えるのが正しいです。
ヌーソロジーのケイブコンパスは以下のようになっています。
ヌーソロジー的な男性性と女性性は、《思形》と《感性》に該当するので、
ヌーソロジーにおいてはそれをベースにして考えるのが正しいです。
それから、《偶数系の元止揚》には時空意識に紐づいた自我、《奇数系の元止揚》には真実の世界に紐づいた無意識があります。
ケイブコンパスにまとめると以下のようになります。
したがって、それらはあくまで別の概念と捉えるのが大前提となります。
別の概念とした上で、確かに《思形》が時空・自我を裏で支える構造にはなっています。
ヌーソロジー的に《思形》は「言語を発する所にあるもの」です。
これは哲学でも言われている言語構造の話にも通じていて、
言語が時空の意識を増長させるという類のことは、ベルクソンやドゥルーズといった哲学者も言ってることです。
時空の意識が増長するということは、それに紐づく自我意識が増長するのも正しいです。
しかしながら、この問題はまだまだ奥が深く・・・
《感性》が赤色(ノスの色)、《思形》が青色(ヌースの色)になっている所が非常に奥が深く、
ψ9~ψ10からは他者側に入り込むことによる反転構造の問題で、
《感性》がヌース側のように作用するようにもなりますが、元はノス側の概念とも言えます。
ヌーソロジー的にも《感性》と《ヌース》の関係は微妙です。
ヌースの世界とはつまり、4次元空間の世界で真実の世界、《人間の外面》と呼ばれる所にありますが、
「《感性》は《人間の外面》に方向を持つ《付帯質》」と説明されています。
《付帯質》というのはノス側の概念です。
ヌーソロジー的な《感性》は4次元性に向かっているけど、本来が3次元性であるという、微妙な概念です。
また、《感性》が自我と関わっていないわけではありません。
言語習得前の幼児期の自我形成だと、《思形》よりも《感性》をベースにして自我形成がされることになります。
ジャック・ラカンの精神分析学においても、幼児はまず「想像的自我」というイメージの中の自我を作ることになりますが、
そのベースは「想像界」という概念で作られることになり、「想像界」はヌーソロジーでは《感性》に対応します。
そして、想像的自我が形成された後は、言語を習得して「象徴界」から自我が作られるようになり、
「象徴界」は《思形》に対応しているので・・・
そう考えると、《思形×感性》の重なりから出来たものが人間の自我だと捉えるのが正解に近いことになります。
また、《思形》が真実の世界と関わっていないわけでもありません。
これもヌーソロジーをつきつめるとそういうのが分かってきます。
したがって、自我と真実の世界、男性性と女性性は別の概念ということで、
自我と女性性、真実の世界と男性性が結びつくパターンもあるのでは?と思います。
この問題は「自己×他者」論の中でどの視点で考えるかにもよりますが、そういう視点もあるはずです。
さて、しかしながらnatanさんの言いたいことも分かります。
「男性性:自我・時空」「女性性:無意識・真実の世界」の対応関係に関して、
「男性性と自我、女性性と真実の世界が結びついた概念がある」なら分かります。
自分(Raimu)もずっとヌーソロジーをやっていて、そういうのを認識してないわけではないので、そういう概念で論を展開したいという理屈があるなら分かります。
ただそれは・・・・完全に男性性と女性性とは別の概念なので、
「男性性と女性性」と呼ぶべきではない概念です。
それはもはや神の世界の概念であって、人間の世界の概念ではない。
男性性と女性性は、あくまで一般的には「男らしさ」「女らしさ」とも捉えられる概念であり、
一般的で人間的なものとして捉えられるものだし、言葉にするととても抽象度と汎用性の高いものになります。
だから、「男神性」と「女神性」といった名前がついていたなら分かりました。
(他に良い名前が思いつかなかったけど・・・)自分の中でそういう言葉に置き換えてみたら、「男性性と女性性」よりずっとしっくり来ました。
あるいは、ユングの「アニムス」と「アニマ」のような独自名称をつけるのも妥当だと思います。
そもそも、男性性と女性性といった言葉をうかつに他の概念結びつけるのは、
「男らしさ」「女らしさ」をうかつに他の概念結びつけることと同義になるので、
ジェンダーバイアスの増長になるのでは?
ジェンダー論をつきつめる立場としてもそれはどうなんだろうか?とも思いました。
こうした「名前づけ」の持つ力は非常に強力なので慎重にやらねばならず・・・
まぁ要するに、この件に関しては名前のつけ方や説明の仕方の問題が大きいので、
改善点があるとしたらそうした問題です。
natanさんのテキストやYoutubeチャンネルはずっと見ていますけど、
これはヌーソロジーの話というより、
natanさんのオリジナル論である『コスモライフォロジー』の話に近いです。
「男性性と女性性」という言葉を主に使うのはコスモライフォロジーの話であって、
ヌーソロジーの話ではないので、ひとまず置いておきます・・・
総評
以上で書いたように、男性性と女性性の話に関してはちょっと引っかかりましたが・・・
その他に関してはそんな問題ないと思ったし、
ヌーソロジーの本としてとてもよく出来ていると思いました。
理論と知識の部分はサラっとやった上で、
あとは各自の体験の中で色々と感じていきましょうという方針は、自分的にも妥当なやり方だと思います。
あと、ネット上で『Noos Egg』を書いてるからこそ、
テキストは薄めにして続きはそっちで・・・というのも良いと思います。
また、自分の『変換人型ゲシュタルト論』で理解を深めるという展開にも繋げやすいです。
さて、自分とヌーソロジーは2010年代の始め頃からずっとやってたような付き合いですが、
当初から「深刻な書籍不足」の問題がずっとあるように思ってました・・・
川瀬統心さんの『ワンネスは2つある』が出ていくらか解消して良かったし、
『奥行きの子供たち』が出たのも良かったですが、
まだまだ力が必要だとも常々思ってました。
自分も尽力したけど力が及ばず・・・
そんな中、商業出版として本を出すことができたのはすごい快挙だと思います。
自分もヌーソロジー伝播役の身として頑張っていきたいです。