引き続き、オタクとは何か?問題について書いていく。
今回は「②」ということで2000年代から先の話を詳しく追っていこうと思う。
これはいわゆる「ゼロ年代考察」みたいな話にもなる。
ゼロ年代に関しては以前にもこのブログでも扱った。
アニメや漫画の界隈だと「セカイ系」「サヴァイブ系」「空気系」の流行あたりが重要である。
作品分析においては、以下のマッピングの中でどこに位置するかで分析してみると良いと思う。
これから、2000年からオタク界隈で流行した代表コンテンツについて、
1987年生まれの自分(Raimu)が気になったものをベースにしつつ、客観的にも重要と思う出来事について書いていく。
岡田斗司夫が「オタク・イズ・デッド」宣言をした2006年までと、その先を追いつつ、さらに2010年代についても考察していきたい。
2000年から出てきたもの・起きたこと
2000年付近やその先の辺りの社会は何が起きていたのか?
社会での大きな出来事だと1999年にアメリカ同時多発テロ事件(911)が起きて、労働者派遣法の規制緩和が実行される。
その後の2000年代に小泉内閣による構造改革があり、非正規雇用や派遣社員の増加が社会問題となり、さらに就職氷河期による過酷な状況があった。
深刻な就職氷河期は2006年ぐらいにようやく回復していったが、社会がそうして不景気ムードになりながらも、その一方でテクノロジーやITの方面はどんどん発展していった。
そうした中、オタクの界隈ではどんなものが出てきて、何が起きていったのか?を見ていこう。
※ちなみに、年ごとに区切っているが、同一年度の場合は時系列順には並べてない方針である
2000年:PlayStation 2
2000年にSonnyが『Play Station2』を発売した。
これは1994年に出た『Play Station』より大幅に進化したものであり、その3Dの画質は驚愕するぐらいリアルに近づいたハイクオリティさを持っていた。
さすがに今現在の技術と比べると微妙に見劣りするかもしれないが、ポリゴンっぽさが目立つ初代の頃と比べると、3Dゲームとして十分に綺麗なクオリティが出せるようになった。
2001年には『ファイナルファンタジーⅩ』が発売された。
この時期にはだいたいこれくらいの映像のゲームが作れるようになったと思ってもらえれば良い。
この時期の3Dゲームはこれぐらいの画質がスタンダードになった。
また、任天堂からは2001年にゲームキューブが出て、それもほぼ同じぐらいの3Dクオリティになる。
2001年:Windows XP
マイクロソフトのWindowsシリーズは世界的に有名で、最初期の『Windows 1.0』が誕生したのは1985年だった。
それから「みんなが使いやすいパソコン」として良い感じのクオリティに仕上がったのは1995年に出した『Windows 95』が有名で、その後に『Windows 98』が出た。
2001年にはさらにそれより進化した『Windows XP』が登場した。
『Windows 95』や『Windows 98』も一般人向けのパソコンとしてそれなりに使えるものだったが、機能が不完全な所があり、下手に負荷をかけると「フリーズ(パソコンが急に止まる現象。電源を切らないと直らない)」することもあった。
また、画質もレトロな感じであり、今見ると「古いパソコン」を印象づけるデザインの見た目だった。
そこから進化した『Windows XP』は、フリーズすることがほとんどないぐらい快適に使えるようになり、メモリも大幅に増えたため十分なスピードが実現した。
また、デザインもそれなりに格好良くなったため、今見てもそこまで見劣りするデザインではない。
思うに、今の時代の状況で突然「Windows XPを使ってください。」と言われても、日常生活で使う程度の用途ならそこまで不便に感じずに使えるのではないだろうか?
(高画質な3Dゲームをやりたいとか、高機能なソフトを使いたいとかなら話は別だが)
マイクロソフトの出してるWindowsシリーズは、この時点でほぼほぼ完成されたものができていた。
2002年:アニメ『ガンダムSEED』
アニメ業界を見てみよう。
昔から様々なアニメがずっと作られているため膨大な量のものがあるが、
自分的には、この時期に出た『ガンダムSEED』は時代の最先端を行ったものとして推したい。
ちょっと前のアニメだと「手描きのセル画で作ったもの」感が強いものが多いが、『ガンダムSEED』を見るとかなり綺麗になっているし、一部のシーンで3DCGを混ぜて上手く作られてる所もちょくちょく見られる。
OPを見ればそのクオリティが伝わるだろうか?
(OPは4つあるけど、玉置成実の『Believe』が名曲な3つ目のものをチョイス)
キャラデザインも今でも通用するぐらいシンプルに完成されてるし、ガンダムデザインもかなり格好良いのが出来ている。
ガンダムの歴史上でも革新的な作品と言えるものである。
アニメにおいても「十分なクオリティのものを作ることができた」段階にこの時点で到達したため、その後はより洗練されたクオリティへ進んだり、独創的なことを挑戦する方向に向かっていってると思う。
2002年:紅白Flash合戦
企業が高品質なアニメやゲームを作る一方で、2000年代前期はとにかくFlash動画が流行っていた。
『Adobe Flash』はAdobeが作ったツールで、動くイラストを作ったり、プログラムを組み込んだりすることが可能な、ネット公開に適したアニメやゲームが作れる万能ツールである。
ネットではそれを使って面白いネタ動画が作られたりして、2chとかでも盛り上がっていた。
その流行りぶりを象徴する出来事を挙げるなら、2002年に2chで紅白Flash合戦が開幕されたことがある。
趣味でFlashを作れるクリエイターが、無償で動画を上げ合って楽しむネット上のイベントである。
オタクの持つ「一つのことに徹底する」精神が、「Flashアニメをひたすら作る」ことにそそがれることで、こうした文化が生まれるようになった。
ちなみに以下は2004年の作品である。
大きな手間がかかる産業アニメと違って、短編アニメーション程度なら一人で作ることができるのがFlashアニメの醍醐味と言えるだろう。
2002年:「セカイ系」というワードが出てくる
さて、2000年代の作品を象徴するジャンルに「セカイ系」というものがある。
この言葉は2002年10月下旬のあたりに初めて出てきたらしい。
当初の意味は曖昧であり、「なんとなく新世紀エヴァンゲリオンっぽいもの」みたいな使われ方だった。
なんとなく一人語りが激しく、「世界」を膨大に捉えるような、そんな作品に対して使われた言葉だった。
その現象は「ポストエヴァンゲリオン症候群」みたいなものとも重なっていた。
だんだんと定義づけがされるようになって、「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」みたいなものが「セカイ系」と言われるようになった。
そうした作品は文学的要素の強いと見なされたりするし、『新世紀エヴァンゲリオン』の影響を受けていると見なされたりした。
それから、「きみとぼく」+「世界の危機」という構造は、2000年代におけるギャルゲー/アダルトゲームの方によく見られるようになったとも言われている。
ちなみに、2002年に新海誠が初めて作った短編アニメーション作品『ほしのこえ』も「セカイ系」にカテゴライズされている。
「セカイ系」は定義が曖昧な所から波及したジャンルではあるが、オタクの究極の美学を表してるものとして象徴的なものである。
2003年:漫画『DEATH NOTE』
2003年の12月。大ヒットしたジャンプ漫画『DEATH NOTE』が連載開始される。
近年において漫画をヒットさせるには、アニメ化まで実現して宣伝して広めるメディアミックス戦略が定番となるが、そうしたアニメ化なしでここまでヒットしたジャンプ漫画は『DEATH NOTE』が最後らしい。
それぐらい歴史的な大ヒット作品だった。
そして、この作品が象徴するジャンルは「サヴァイブ系」である。
この主人公に迷いはなく、周りを気づかうこともあまり重要ではなく、「とにかく生き残れば良い」というスタイルの作品である。
1999年に『バトル・ロワイアル』という小説が発行されたが、あれも中学生が生き残りをかけて殺し合いをするという凄いインパクトある内容であり、「サヴァイブ系」の先駆けと言われている。
2000年付近から就職氷河期もあって社会の状況が悪くなってきたのと重なって、「生き残ること」が重要なデスゲームものが流行るようになった。
こうした「サヴァイブ系」流行の風潮は、今現在でも続いている。
2004年:漫画『ひだまりスケッチ』
蒼樹うめの漫画『ひだまりスケッチ』。
これは『DEATH NOTE』ほどの知名度はない作品だが・・・
後に登場してくる「空気系」と呼ばれるジャンルの先駆けであるため、その伏線として一応挙げておこう。
空気系は日常系とも呼ばれ、誰も死なないし誰も苦労しないフワフワした空間で、少女や女子高生みたいな可愛い女の子が日常を過ごすだけの作品である。
「サヴァイブ系」とは対極みたいな内容だが、これも2000年代から普及するようになる。
また、作者の蒼樹うめ先生は、後に大ヒットする『魔法少女まどか☆マギカ』のキャラデザイナーをやるため、その伏線でもある。
2004年:ニンテンドーDS
携帯ゲーム機の界隈で、任天堂から『ニンテンドーDS』を発売される。
タッチパネル搭載で二画面なのが特徴的で、さらに3Dゲームができるスペックを実現。
Wifiでネットに繋げることも可能になった最先端のゲーム機だった。
3Dゲームが携帯機で実現できるようになったのは良いとして・・・
あと、タッチパネル搭載も良いとして・・・
なぜ二画面?と独創的な内容だった。
しかし、これがめちゃくちゃ売れる結果になり、任天堂は相変わらず世界に通用する企業として君臨するようになる。
当時の任天堂は「ゲーム人口の拡大」を基本戦略として掲げていて、その一環としてニンテンドーDSを発売した。
天才と名高い岩田聡社長がプロデュースしていたため、その功績にもなっている。
ニンテンドーDSによってタッチパネルが普及した点が世間に大きな影響を与えたのと、あと、後述する『脳を鍛える大人のDSトレーニング』のヒットが重要となる。
2004年:PS2ゲーム『モンスターハンター』
2004年にカプコンから『モンスターハンター』がPS2で発売された。
このゲームは大ヒットして、めちゃくちゃ有名なシリーズになった。
オンラインゲームのシステムを取り入れて、オンラインプレイも可能なのも特徴的である。
2005年にPSP版が出て、携帯機でできるゲームとしても親しまれる。
「若い人がやるゲームといったらポケモンとモンハン」と言われるぐらい、有名なコンテンツになった。
2004年:mixi, Facebook
2004年に『mixi』が登場した。
自分ぐらいの世代だと大学時代に使っていたため有名だが、若い世代だと知らないかもしれない・・・
簡単に説明すると「友達で繋がった人に見せるための日記を書くSNS」みたいなもので、『Facebook』に近い日本産のSNSである。
Facebookと違って、誰かに招待してもらわないとアカウント作成できないことや、他の人が自分のページをみた時に「足あと」として確認できるように記録が残る仕様などがあった。
コミュニティ機能などもあって昔は流行っていたが、同時期にFacebookが海外でリリースされて、それが日本で普及するようになったり、Twitterなどの他のSNSが登場するにつれて、Mixiを使わない人がだんだんと増えてきた。
今はそんなに流行しないようになってしまったが、株式会社MIXI自体は、スマホゲーム『モンスターストライク』で売り上げを伸ばしていて、存続するようになっている。
Webサービスとしてのmixiはほとんど衰退してしまったが、「Web 2.0」を先駆けした画期的なSNSだった。
一方で、Facebookの方は今も世界的に有名なSNSとして使われている。
2005年:テレビドラマ『電車男』
2005年にオタクが主人公で秋葉原が舞台のテレビドラマ『電車男』が放映された。
これは出自が特殊で、まず、2004年に書籍『電車男』がヒットした。
その内容は実際にあったエピソードが元になった掲示板のログを書籍にしたものだった。
ある日、2chのスレで「電車の中で酔っ払いに絡まれた女性を助けてお礼を言われた」と書き込みがされる。
事情を聞くと、酔っ払いを助けた女性はなかなかの美人であったこと、助けたお礼にエルメスのティーカップが届けられたことなど詳細の話になり、脈ありかもしれないので、カップのお礼に食事を誘うにはどうすれば良いか? できれば仲良くなりたい。しかし、自分は「彼女いない歴=年齢」のアキバ系オタクなのでどうすれば良いか分からない・・・
といった相談でスレは盛り上がり、男は「電車男」、女は「エルメス」と仮名で呼ばれるようになった。
そして、男は2chのスレの住人のアドバイスを受けて、美容院でイメチェンをし、デートのためのノウハウまで伺うようになっていったが・・・果たしてその女性と最終的に良い感じになることができるのだろうか・・・?
その結末に至るまでがとても良い話で、皆が感動する内容だったため、書籍化されるようになって、ベストセラーにまでなった。
そして、その後の2005年にそれをテレビドラマとしてアレンジされたものが放映された。
原作のヒットもオタク史において重要だが、このテレビドラマも、地上波の有名番組として「オタク」を題材にしたエンターテイメントが放映されたので、一般人に「オタク」を印象づけた作品としてかなり重要なものとなった。
ドラマの内容は原作に忠実・・・なんてことはなくて、かなり好き勝手にアレンジされたものという方が正しく、主人公は「テレビドラマを作ってる奴が勝手なイメージで作ったようなオタク像」感バリバリな作風で作られ・・・
「さすがにこんなオタク実際におらんやろ(まぁテレビドラマなんてこんなもんか)」と思いたくなるような、よくも悪くも「テレビドラマらしいエンタメ作品」なので、リアルに忠実なことを期待してはいけないのだが・・・・
(代表的なエピソードとして、ドラマの中でオタクが実際に「萌え~~~」と発言して喜ぶシーンがあるのだが、「オタクは実際にそんなこと言わない」と岡田斗司夫が書籍で指摘していた。)
「いらすとや」にあるオタク像↓も、そんな感じにとても近い。
そんなわけで、原作とは全然違うテレビドラマ版『電車男』は、リアルとは解離したオタク像がそこで描かれていた面もあるが・・・
一方で、オタクと言うと「なんか変だけど面白いことをする人達」というイメージを印象づけた面もあった。
それ以前のオタクイメージとなると「変質者」とか「犯罪者予備軍」とか、ほんとうに差別的で酷いものだったので・・・・・・・
2000年代後期は「犯罪者予備軍のようにネガティブなオタクイメージ」が払拭されていった時期でもあり、テレビドラマ版の『電車男』もそれに絡んでいるわけである。
2005年:DSゲーム『脳を鍛える大人のDSトレーニング』
さて、オタクのイメージをさらに好転させるものを任天堂が出してきた。
ニンテンドーDSのゲーム『脳を鍛える大人のDSトレーニング』である。
「脳を鍛えよう」という斬新な発想によって作られたこのゲームは「ゲームはやると馬鹿になるもの」というこれまでの常識を180度覆し、ゲーム好きのオタクみたいな人以外も関心を持ち、ゲームを手に取るようになった。
脳の老化を防ぐということで、お年寄りにまで推奨されるほどのゲームになった。
売り上げ的にも実売本数は国内で400万本近くになり、DSの普及を牽引するキラーソフトの一つになったし、「脳トレ」が流行語大賞になるほどの社会現象にもなった。
これによって「ゲームはやると馬鹿になるもの」というネガティブな印象を社会から払拭させた影響は大きいだろう。
任天堂の「ゲーム人口の拡大」の戦略は大きく成功するようになった。
2005年:アーケード版『THE IDOLM@STER』
さて、この時期にアーケード版のアイドルマスターが登場する。
有名シリーズ「アイドルマスター」の発祥であり、通称アイマスと呼ばれる。
ゲームの内容自体は育成シミュレーションゲームだが、CDやグッズの販売、さらにはライブイベントも行うメディアミックスのシリーズとしても長く続いていくようになる。
特徴的なのはバーチャルアイドルコンテンツの人気の火付け役となったことで、後にアイドル育成ゲームが多数出てくる中でも、その元祖のアイドルマスターは有名所として君臨している。
また、モーションキャプチャー技術が使われたのも特徴的だと言える。
3Dのキャラクターを動かすには、従来はクリエイターが手作業でそれっぽく動かすしか無かったが、モーションキャプチャー技術によって、センサーを付けて実際に踊っている人の動きをキャプチャーし、それを元に3Dの動きを作ることができるようになった。
モーションキャプチャの技術自体は、1994年に出た3D対戦型格闘ゲーム『バーチャファイター2』で初めて使われたが、アイドルのダンスに使われてヒットしたのは画期的な現象である。
アーケード版から始まったアイドルマスターシリーズは、2007年にX-box版、2009年にPSP版が出て、どんどん進化していき、バーチャルアイドル文化の礎を作っていった。
2006年:PlayStation 3
2006年に『PlayStation 2』よりさらに進化した『PlayStation 3』の登場した。
2でも良い感じのクオリティだったが、さらに洗練された画質の3Dゲームが動かせるようになった。
もはやここまで来ると今現在出てるゲームとほとんど変わらないレベルになっている。
言い変えると、ここから先のゲームは画質が明らかなほど変わることがほぼなくなった。
これよりもさらに洗練させるとなると、3Dモデルや画像を細かく作り込むための時間がかかる。
ビジネス視点だとお金がかかってしまうため、リアルさを目指すとコストとの兼ね合いになる。
ファイナルファンタジーシリーズの新作がPlayStation 3で出るのは少し時間がかかり、2009年に『ファイナルファンタジー XIII』が発売される。
『ファイナルファンタジー X』の画質と比較してみるとより洗練されているのが分かるが、この辺りが2006年以降のゲームの最高画質の基準になる。
これ以降はゲームのリアリティは二つの道に進む。
一つはそのままバーチャルリアリティを目指すように、よりリアルに近いように洗練された3Dゲームを作ることである。
プレステの方は割とそういう方向に進んでいると思う。
もう一方は、後述する『Nintendo Wii』の方向で、画質は十分ということで、ゲームの遊び方を工夫する道である。
2006年:Nintendo Wii
『PlayStation 3』とほぼ同時期に任天堂が『Nintendo Wii』を出す。
こちらもかなりの高画質が可能になり、画質に関しては今出ている『Nintendo Switch』とほとんど変わらないほどである。
任天堂は新ハードをただの3Dゲーム機にすると、先行きが怪しくなると考えたのか、『Wiiリモコン』で操作できるようにするという斬新なアイディアを導入した。
このアイディアによる成功は上々で、『Wii Sport』のようにWiiリモコンを使用するゲームが売れた。
また、加えて『バランスWiiボード』を使用する『Wii fit』も売れた。
これは「ヨガ」「筋トレ」「有酸素運動」「バランスゲーム」などを行い、健康を目指すゲームという、画期的なものである。
任天堂の試みはまたも成功し、その精神は今にも通じていると言って良いだろう。
他、2006年付近に出たWebサービス色々
そして、他にも2006年付近に起きたこととして、2005年と2006年には以下のWebサービスが登場した。
どれも「オタクにとって革命的」と言えるものである。
- 2005年:Youtube
- 2005年:Pixiv
- 2006年:Twitter
- 2006年:ニコニコ動画
Youtubeは言わずと知られた世界一有名な動画サービスだし、
Pixivはイラスト交流を活発にさせたWebサービスだし、
Twitterも言わずと知られたSNSで、主にオタクが利用することが多い。
それから、ニコニコ動画が2006年に登場した。
これは2chのノリを動画サービスにしたような、オタクによるオタクのためのWebサービスで、後述するボーカロイドや初音ミクの人気はこれで火がついたし、これによって盛り上がったコンテンツも多い。
2006年はアニメだと丁度『涼宮ハルヒの憂鬱』や『コードギアス 反逆のルルーシュ』が放映された年でもあるので、そのあたりのヒットと一緒に盛り上がった。
そして「オタク・イズ・デッド」宣言へ
そして2006年に岡田斗司夫が「オタク・イズ・デッド」(オタクは死んだ。)というイベントを開いた。
なぜ、彼はそんなことを言いたくなったのだろうか?
大まかに説明すると、そもそも「オタク原人」や「オタク第一世代」のスタンスに憧れをもつ岡田斗司夫だが、オタク第二世代から「萌え/幻想によって虚構へ行くタイプのオタク」が増えていき、さらに第三世代以降はコンピューターによるデジタルコンテンツによって一層「虚構」へ行くオタクコンテンツが盛り上がっていった。その結果、昭和の時代にいたような研究者としての強度が高いオタクや、古き良きオタクの結束がほとんど見当たらなくなってしまった・・・からである。
2000年代はコンピューターやITが発展した時代だったが、こうした流れは必然なものだったと思う。
もちろん、岡田斗司夫がなんと言おうと「オタクと呼べるような人」は今後も存在し続ける。
しかし、その在り方が変わった時期としてこの辺りには何かしらのターニングポイントがあるわけである。
また、この年は『PlayStation 3』や『Nintendo Wii』が「もうほとんど進化しない」レベルの画質を据え置きゲーム機で実現した時期である。
さらに、2006年付近に「これで十分遊べる」ぐらいに発達したWebサービスやSNSが登場する。
まだまだ発展の予知はあるとはいえ、ベースの技術はほとんど完成してきたので、あとは技術力の問題というより、万人にとって不快のないソフトをどのように考案して、安定供給できるように運用できるか?にかかってくる。
そう考えてみると、「技術の臨界点」の話と「オタク・イズ・デッド」の話は重なってくるのではないだろうか?
しかし、とはいえまだまだ発展途上な状況でもあるため、こうも考えることができる・・・
これだけの下地が整ったのが2006年で、そこから先はその下地が出来た後の世界である。
したがって、「オタク・イズ・デッド」のターニングポイントは、別の視点からすると「始まり」だったとも言えるのかもしれない。
・・・・さて、長くなってしまったが、2007年以降についてもこのまま続けていきたい。
ここで一旦区切ることにして、そこから先は次の記事に載せていこう。
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