さて、2006年は「技術の臨界点」と「オタク・イズ・デッド」があったかもしれないターニングポイントとなったわけだが・・・
もちろん、技術の世界もオタクの世界もまだまだ続くし、発展していく。
そんなわけで、2007年以降のオタクカルチャーについて追っていこう。
2007年から出てきたもの・起きたこと
2007年:初音ミク
2007年からの時代は初音ミクが代表して切り開いていった。
初音ミクは2006年誕生のニコニコ動画を苗所として広がっていった。
そもそも、これは電子の歌声を作る「ボーカロイド」と呼ばれる作曲ソフトシリーズの一つであり、
これまでも2004年にMEIKO、2006年にKAITOが発売された。(初音ミクの姉、兄にあたる)
しかし、その普及の方はイマイチでぼちぼちだったのだが・・・・
初音ミクが登場してからそれが爆発的に普及するようになった。
ニコニコ動画はリリースされてから3年ぐらいは特に盛り上がっていた。
この時期にニコニコ動画で再生数ランク上位を会得したボーカロイド使いは、後々も一躍有名になったミュージシャンとして活躍するようになる。
また、初音ミクはただの作曲ソフトではなく、キャラクターとしてバーチャルアイドルのように大人気になった。
初音ミクをバーチャル上で動かすための技術も、より洗練され進化するようになった。
これまでもバーチャルアイドル創造の動きはあったが、さらに活発になっていったのはこの辺りからかもしれない。
ちなみに、以下は2007年12月にニコニコ動画にアップされた名曲『メルト』である。
2007年:同人ゲーム『東方風神録』
自分(Raimu)は東方シリーズ大好き人間なので一応語っておこう・・・
ニコニコ動画によって「東方Project」の知名度がめちゃくちゃ上がった。
電波ソング『魔理沙は大変なものを盗んでいきました』あたりが有名なのだが、原作の内容とあんまり関係ない東方原曲アレンジ電波ソングが先に知られたのが始まりだった。
次いで原作の音楽を紹介する動画やプレイ動画なども上がり、さらに公式サイトでは体験版がダウンロードできるため、その中身も徐々に広がっていった。
自分と東方はまるで出会うことが運命であるかのような存在なのだが・・・
自分もはじめはニコニコ動画から存在を知った。
『魔理沙は大変なものを盗んでいきました』は、東方妖々夢の3面ボスの曲『人形裁判』が原曲となっているので、面白そうと思って東方妖々夢の原曲を紹介する動画を観た覚えがある。
その曲があまりにも神がかっていたため、とてつもないものを直感し、
「もしかするとこの作者は自分がやりたいことをやっている人なのでは?」
というインスピレーションも正しく、この「東方」という一大文化に自分もハマることになった。
電波ソングや二次創作イラストによって知名度が上がったため勘違いする者が増えたが、東方の原作はZUNという人が同人ゲームとして一人で作ったシューティングゲームである。
特に、すさまじい弾幕が特徴的な弾幕シューティングゲームの一環とも言われている。
東方シリーズの出自は、Windowsで作られたものだと2002年の『東方紅魔郷』が初で、さらに遡ってPC-98で作られた「東方旧作」と呼ばれるシリーズだと1996年の『東方靈異伝』が初となる。
東方の初期の作品は『東方紅魔郷』『東方妖々夢』『東方永夜抄』が三部作として一旦完結するように意図して作られていた。
そして、2006年からのニコニコ動画で一気に知名度が上がった後に、
新しいシリーズとして作られたのが『東方風神録』だった。
だんだんと「東方」はオタクの間で伝説的に有名なジャンル一つとなっていくわけだが、時期的にどんどん広がっていったのはこの辺りからである。
(補足)電波ソングと覚醒コンテンツ
ニコニコ動画で人気が出た電波ソングとその原曲、
『魔理沙は大変なものを盗んでいきました』と『人形裁判』には大変な振れ幅がある。
東方の二次創作と原作の関係もずっとそのように機能していくのだが、これと似たようなことは初音ミクやボーカロイドカルチャーにおいても頻発するようになる。
ニコニコ動画は電波ソングみたいな低IQ作品がウケるのがよくある一方で、それとは真逆にシリアスな高IQ作品みたいなものも普通にウケていた。
とくに初音ミク(とその他ボーカロイド)で作られた作品はそのような特徴があり、電波ソング系もシリアス系も多種多様に作られてヒットしていった。
こうした「両振れ現象」みたいなことは割とニコニコ動画ではよくあることで、
シリアスな方に向かった場合は「セカイ系」のような雰囲気・特徴を持っていた。
そして、「ボカロ」と「東方」のジャンルは特に「覚醒コンテンツと麻酔コンテンツの両振れ」みたいな現象が顕著だったと言える。
ちなみに、東方の原作も、あれは実は人間と妖怪の関係から生じる世界が根幹のテーマにあるセカイ系である。
だからセカイ系の作品で間違いない!
音楽業界において、麻酔コンテンツのように洗脳効果の高い曲をポップカルチャーとして売り出されることがよくあった。
それから、コンピューターを使ったテクノミュージックの要領でそうしたものが作られることも昔からあったが、2000年代に現われた「電波ソング」はさらにその特徴が色濃くなる。
さらに2010年代からもそうした手法が使われる風潮は続き、ボーカロイドを使って作曲するミュージシャン(ボカロP)が活躍したり、ボーカロイド的な手法が用いられる音楽が出てくるようになる。
最近のヒット曲だと、Adoが歌った『うっせぇわ』も非常に電波ソング的である。
(作詞作曲はボカロPのsyudou)
一方で『Lemon』の米津玄師や、『夜に駆ける』のYOASOBIなど、ボカロPをやっていたアーティストが活躍する事象も起きている。
2007年:アニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
1995年に放映されて社会現象になったと伝えられるアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』だが、
2007年に新たに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』が始まった。
これは旧アニメの内容を踏襲したリメイクでありながらも、微妙に新しくした別作品でもある。
(↓1995年)
(↓2007年)
エヴァンゲリオンは「セカイ系」の元祖ともされる伝説の作品だが、
一昔前のアニメなため、新しい世代はリアルタイムで観ているわけではない。
自分(Raimu)も当時は小学生だったためあまり内容は覚えていない。
しかし、その知名度から後追いでじわじわ観ている人もいるようで、自分が大学生になった2007年でも人気は衰えていない。
ニコニコ動画でも分かりやすい解説動画が出回るぐらい、むしろまだまだ注目されてた作品だった。
2007年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は興行収入でいったら20億円ぐらいのヒットだが、
そこから地道に人気が続いて、2021年の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』でようやく完結して、興行収入は102億円を突破する。
2007年:ドキュメンタリー映画『不都合な真実』
ちょっとジャンルが逸れるけど・・・
2007年は、実は元アメリカ合衆国副大統領のアル・ゴアが『不都合な真実』というドキュメンタリー映画を公開した年だった。
これのテーマは主に「地球温暖化」についてである。
地球がCO2排出による温暖化でいかに危ないことになっているか、非常に説得力のあるデータや、エモーショナルな映像を使って説明するものだった。
要するに、環境問題啓発のためのドキュメンタリー映画である。
これによってアル・ゴア氏は環境問題啓発に貢献したとしてノーベル平和賞を授与されている。
それぐらい話題になった映画であり、日本語版も公開されている。
そして、これは漫画家の山田玲司氏が勝手に言ってることなのではあるが・・・
2007年の初音ミク登場で「Wellcom Virtual.」な状況と重なって、
「このまま人間が増え続けると、(地球温暖化で)地球が危ないぞ。」
ということで少子化スタート。
「すべてのラインが揃うのが2007年」
・・・とのことだった。
◆【意外なあのキャラ】草食男子はこうして生まれた!男たちの願いを全て背負った漫画・アニメのキャラクターたち【山田玲司/切り抜き】
「あの時点で我々は繁殖を止めることによってCO2を削減するというDNAが決定した」
とまで言ってたこともある。
・・・まぁ、一説に過ぎないことではあるし、
当時のオタクの間でこれが流行ってたような覚えはないんだけど・・・
地球温暖化問題もまた「テクノロジーの発展」の枠組みで起きたことと考えると、めちゃくちゃ重要である。
そうした問題が少子化問題やオタクの生き方の問題にも絡んでると考えると、
その背景も「なんか分かる」という気がしないでもない。
2007年:MicroSDメモリーカードの値段が2GB2000円を切るぐらいになる
実は、他にもこの時期にかなり重要なことが起きていた。
メモリーカードの値段がかなり安くなってきたのである。
自分が高校生の頃は256MBのSDメモリーカードを3000円ぐらい出して買って、そこにMP3の音楽を入れれるだけ入れて頑張ってた覚えがあるのだが・・・
いつのまにかめちゃくちゃ下がってた気分である。
2006年ぐらいから既にどんどん下がっている兆候はあったが、
2007年ぐらいから「2GB2000円を切る」ぐらいの出来事が起きるようになる。
◆ついに2GBのmicroSDメモリーカードが2000円割れ – GIGAZINE
これもとてつもない「テクノロジーの進化の賜物」であり、
「とりあえず情報はデジタルに保存しておくと大量に入る」という意識を生むようになる。
また、そうなると「デジタルに保存しておいたものはいつまでも残る」という意識にもなる。
『ガンダムSEED』のように高品質なアニメはそのままの品質でいつまでも残すことができる。
アニメや漫画といったデジタルのコンテンツは「どんどん増えて溜まる」という性質を持っていたが、
さらに「高品質なものが大量のメモリに保存できる」ものになっていった。
200?年:「陰キャ」というワードがいつのまにか流行る
2000年代後半あたりでひそかに起きていたこと・・・
それは「陰キャ」というワードが流行り始めたことである。
「陰キャ」とは「陰気なキャラクター(陰気な性格の人)」の略であり、
明確な定義は曖昧なものだが、「雰囲気が暗い」「コミュニケーションができない」「なんとなく陰気」とかを指し、引きこもり傾向を表すため「オタク」にも通じている。
対義語は「陽キャ」であり、これは「雰囲気が明るい」「コミュニケーションができる」「パーティみたいなのが好き」「彼女がいるような奴(=リア充)」である。
優劣の問題で言えば、どっちにも長所・短所があることを踏まえてればどっちでも良いじゃないかという気もするが、大体は「陰キャの方が駄目な奴」と、陽キャの一般人からは認識されがちであり、そういう風に使われた言葉でもある。
「陰キャ」はいわば、オタクに変わる差別用語みたいなものである。
岡田斗司夫が「オタク・イズ・デッド」と言った通りに、
差別用語としての「オタク」というワードが死んで、新たに差別用語が生まれてしまったわけである・・・
とはいえ、「陽キャ」の方も場合によっては「ウェイ系」「なんも考えないで勢いで絡んでくるウザい奴」「ヤンキーのような奴」みたいな迷惑者として使われることもあるし、どういう意識でその言葉が使われるかは使う人によって違いもある。
「陰」や「陽」といった漢字のルーツは古代中国に遡り、東洋の易学にも通じる言葉なため、
つきつめるとそういうものにも通じているみたいで面白いと思う。
2008年:iPhone(日本版)
さて。いよいよ出て来たスマートフォン。
初代iPhoneのアメリカでの発売が2007年6月29日で、ソフトバンクを通じて日本で発売されるのが2008年である。
アメリカにてスマートフォンを開発する研究はずっと以前からされていたため、黎明期の試作品のようなものは発売されていたが、タッチパネルは不採用だったりとまだまだ使いにくかった。
しかし、Appleのスティーブ・ジョブズがプロデュースして作ったiPhoneは決定的であり、
「実用として十分なスペックを持ったスマートフォン」として革命的な大ヒットとなった。
次いで、Andoidのスマートフォンがそれに追いつくべくリリースされるようになったため、そちらもどんどん流行っていくようになる。
そこからスマートフォンは発展に次ぐ発展で、ほとんどの人が持つようになるぐらい普及していくことになるわけだが・・・
そのスタートはこの辺りの年である。
2009年:アニメ『けいおん!』
「空気系(日常系)」ジャンルの代表として挙げられるアニメ『けいおん!』が登場した。
京都アニメーションが2006年に『涼宮ハルヒの憂鬱』、2007年に『らき☆すた』を放映して、そこから続けてのヒットとなった。
『らき☆すた』も「空気系」の代表格みたいなものなため、2007年のニコニコ動画全盛期と重なったそちらも重要だが、『けいおん!』の方がポピュラーな人達に受けやすいのかもしれない。
この辺りから「空気系」のアニメの認知度が上がって、ジャンルの一つとして流行るような風潮が本格的に出てくるようになった。
2009年の作品いろいろ
さて、2009年は他に何があったかというと・・・
個人的に注目している作品達がある。
『シュタインズゲート』『ソードアートオンライン』『進撃の巨人』。
それぞれ、ノベルゲーム、ライトノベル、漫画が元になっていて、
後々アニメ化されて有名になる作品でもあるのだが・・・
この三つそれぞれの原作が始めて出た時期を調べてみると、すべて2009年になっているのである。
いわば、2000年代最後に出た「骨のある作品」たちだが、2010年代に入ってからはこういうのをなかなか見なくなったかもしれない・・・と個人的には思ってしまう・・・
また、アニメの方では西尾維新原作の作品『化物語』の放送が始まったり、『涼宮ハルヒの憂鬱』の2期が始まったりと、色々と盛り上がっていた。
2010年:経済産業省が「クール・ジャパン室」を設置する
さて、ここで政治ネタだが、経済産業省が「クール・ジャパン室」を設置する。
「クール・ジャパン」が公的に初めて言われるようになったのがこの年である。
実質、政府は何もしてないと言っても過言ではないような部署だが・・・
(そもそも最初から期待できないので期待してないが・・・)
重要なのは「10年以上前のイメージが払拭された結果」である。
昔の「オタク」のイメージは「犯罪者予備軍」と言われるぐらい酷いものだったため、政府にとって「金が稼げる可能性を感じるもの」まで変わったのは大きな変化と言えるだろう。
このように、2010年代はそうやってオタクイメージが変わっていった後の時代になった。
2010年:梅原大吾(ウメハラ)がプロゲーマー契約
2010年にゲームオタクにとって非常に重要な出来事があった。
それは、格闘ゲーマーの梅原大吾(ウメハラ)がアメリカのメーカーMad Catzとのスポンサー契約を結んだことである。
つまり、これによって正式に「プロゲーマー」の称号を得たのである。
「梅原大吾が日本人初のプロゲーマー」と言って良いかは、「プロゲーマー」の定義の問題にもなるので微妙な所だが・・・
スポンサー契約を結んだプロゲーマーは初めてだと認知されている。
さらに、そこから勢いを増して、ウメハラは2010年8月に「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」として、ギネス・ワールド・レコーズに認定されるようになる。
まさしく「世界一の日本人プロゲーマー」の名声まで得るようになり、有名になったウメハラは、そこから書籍も出したりして情報発信をするようになる。
昔はゲームをやって稼いで飯を食うなど夢物語のような話だった。
ウメハラが中学生の頃にプレイして才能が開花したのはゲームセンターで『スーパーストリートファイターII X』が出た時で、1994年の頃なため一般人にとってはまだまだゲームがアンダーグラウンドだった時代だった。
2000年には一応「eスポーツ」という単語は既に出ていたが、スポーツのように輝かしく、お金まで稼げるものになるには時間がかかった。
特に、日本では多額の賞金付きの大会が法律で禁止されているため、海外よりも普及しなかった。
しかしながら、この辺りから日本でも「プロゲーマー」という言葉が一般的に認知されるような時代になった。
※ちなみに、以下の動画は最近のウメハラの発言である
2011年:アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』
アニメ史において大きく話題になった作品というと、「エヴァ」や「ハルヒ」あたりはよく聞くのだが、それくらいのレベルのものはあまり聞かない・・・
しかし、「まどマギ」こと『魔法少女まどか☆マギカ』は、大きなインパクトを残した作品としてよく聞く。
キャラクターデザインは『ひだまりスケッチ』の蒼樹うめがやっているため、一見可愛らしい魔法少女ものである。
脚本は虚淵玄であり、実はかなりダークなシナリオを書く人として一部の人には知られていたのだが、ゲーム会社での活動が中心だったため一般人にはよく知られていなかった。 しかし、この作品で一躍有名になった。
この作品で非常に特徴的なのは、魔法少女は主に「魔女」と呼ばれる敵と戦うのだが、そのデザインは劇団イヌカレーというアーティスト集団がやっており、独創的芸術表現となっている所である。
はじめは「絵柄が可愛い魔法少女ものだが、なんか敵が不思議だしダークっぽい」
みたいによく分からないものとして捉えられていたが、第3話で大きなインパクトある展開が起きて、ニコニコ動画やネットで一気に話題をかっさらうようになる。
そこで一層注目を浴びて、続けて虚淵玄によるシナリオと怒涛の展開が観る人を引き込んで、伝説のアニメとなった。
内容的には、魔法少女達の生き残りをかけたダークファンタジーの要素があったため「サヴァイブ系」のようであったが、最終的には「セカイ系」のような壮大さも見られた。
加えて、絵柄は空気系のかわいらしさなので「空気系」の要素もある。
いわば「サヴァイブ系」「セカイ系」「空気系」の全部乗せみたいなヒット作だとも言える。
ちなみに、この作品の第10話が放映されたあたりで、ちょうど東日本大震災(311)が起きた。
第11話を一週間後に放映したい所だが、それどころじゃないため当然延期になった。
ニコニコ動画では第10話が載ったままで止まるという異例の事態が起きた。
第10話は物語的にもクライマックスな回だったのもあり、当時観ていた人はその時の記憶が残ってる人が多いと思う。
この作品の放映と311が重なったのも印象的だったし、311も社会変化として重要な出来事だった。
2011年のアニメ色々
さて、2011年を思い返すと『魔法少女まどか☆マギカ』以外にも凄い作品が多かった。
他に見所のある作品だと『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』とか『輪るピングドラム』とかがある。
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』はキャラクターデザインが田中将賀であり、後に『君の名は。』のキャラデザインをやることでも有名になる。
『輪るピングドラム』は幾原邦彦監督の作品で、非常に独創的でメッセージ性の強いもので良かった。
さらに『シュタインズゲート』のアニメ化もあったし、『Fate/Zero』もあった。
ペルソナシリーズもあったし、アイドルマスターのアニメもあった。
なんか色々やってたしすごくない?と言いたくなるのが2011年辺りのアニメだったと思う。
2011年:ゲーム『Minecraft』
この時期に世界的に有名なゲームが登場した。その名も『Minecraft』。
パブリックアルファ版のリリースが2009年で、正式リリースが2011年である。
3DのゲームはPS2発売以降からずっと(いや、むしろ最初期からか)綺麗な画質を追求し、「バーチャルリアリティ」を目指す流れがあったため、普通のゲームはどんどんリアルで格好良いものを作るのが普通だった。
しかし、この『Minecraft』は高画質なものをバーチャル空間に保存するのではなく、レトロな「ブロック」を保存するという発想が斬新だったと言える。
リアルさよりもアイディアを重視したコンセプトのゲームが逆にウケたわけである。
さらにこのゲームはただブロックを好きなように配置して造形ができるだけでなく、スクリプトを組み込んでプログラミングみたいなこともできるし、自身が作った自慢の作品を世界に公開することもできる。クリエイティブを刺激させるゲームである。
こうした異端のゲームがヒットするのは、まるで任天堂のコンセプトとも一致するようで頼もしいと思う。
2012年:スマホゲーム『パズル&ドラゴンズ』
日本でのiPhone登場からどんどん盛り上がっていったスマートフォン。
スマホアプリ、スマホゲームもどんどん出てきたわけだが・・・
GungHoがスマホゲーム『パズル&ドラゴンズ』をリリースした。
通称『パズドラ』である。知らない人はいないであろう。
スマホで電車の中でも家でも簡単にできるため、ゲーマーみたいな人以外でもやる人が出てくる。
こうしたスマホゲームの普及によってライトゲーマーやライトオタクみたいな人も増えた。
また、LINEの登場が2011年だったり、主要なスマホアプリがどんどん出てくるようになるのもこの辺りなため、だんだんとスマホを中心とした社会が一層盛り上がっていく流れになっていく・・・
2012年:マッチングアプリ『Tinder』『Pairs』
さて、この年に最有力なマッチングアプリがリリースされる。
これもWebやスマートフォン技術の進化の産物としてかなり重要である。
2000年代でも「出会い系サイト」と呼ばれるものは存在した。
しかし、不正利用の多さから実用性が十分なものではなかった。
そこから時代が進んで2010年代。
ついに技術の進歩によって新たなSNSを作ることができた。
アカウント作成システムに加えて、運転免許証等の身分証明書の提出。
スマホ決済やクレジットカード決済により月額をしっかり払わせる仕組み。
費用をしっかり徴収することによって人件費を確保し、可能な限り不正を許さない保守運用。
その他、チャット機能、コミュニティ機能等の必要な機能の充実や、宣伝による利用者の十分な普及。
それらすべてを整えることで、男女の出会いをアプリで行うことが可能になった。
そして、2012年にアメリカで『Tinder』がリリースされてから、
「マッチングアプリ」の存在が広まるようになった。
次いで、日本では『Pairs』もリリースされる。
これらすべては技術的に可能であったことだし、需要があるため誰かが思いつくであろう内容だった。
「Web 2.0」まで到達した人類が必然的に作るツールだったと言えるかもしれない。
さて、オタクも当然、出会いがない場合はこういうのを利用することになる。
結果、どうなったのか?
その実態は、上位のハイスペック男性ばかりが注目され、下位はほとんど相手にされないもので、男性にとっては恋愛市場における勝ち組がさらに勢いを上げるために使われるツールになってしまっている。
表面的な結果をみると、自由恋愛の競争や格差を過激化させている状況だと言えるだろう・・・
2012年:第二次安部内閣発足
さて、ここで政治の世界の出来事を一応押さえておこう。
2009年に民主党が自民党を倒して政権交代したのだが、2012年に倒されて再び自民党が与党になった。
そして、安倍晋三が首相となり、第二次安部内閣が発足して長期に渡って続いていく。
これがオタクの変化とどこまで関係してるか微妙だが・・・一応重要な社会変化として挙げておこう。
2010年代はそのままずっと進んでいくが、これによって起きたことは何だったのか?
一応、雇用は改善されたことによる経済的安定か?
その一方で増税されたことによる暴政か?
アメリカの属国としての仮染めの平和か?
はたまた貧富の差の拡大による混沌か?
色々と考えられるかもしれないが、とりあえず言えることとしては、オタクはあまり安倍首相を嫌う傾向は無かったと思う。
201?年:「小説家になろう」が影で流行っていた?
だいたい2012年あたりの時期に「小説家になろう」が影で流行っていた?
「小説家になろう」は、小説を投稿するサイトとして昔から有名だったものである。
開設日を遡ると2004年になるため、この話題を取り上げるのは今更感もあるのだが・・・・
しかし、後にヒット作となるアニメの原作、『Re:ゼロから始める異世界生活』の連載が始まるのが2012年で、『この素晴らしい世界に祝福を!』の連載が始まるのも2012年からになる。
それから、『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』も2012年であり、『転生したらスライムだった件』は2013年である。
これは後に「異世界系」の作品が流行る伏線となるので、ちょっとだけ押さえておきたい。
2012年:HIKAKINが専業Youtuberへ
今をときめく「Youtuber」はどの辺にルーツにあるのか?
を追っていったら、とりあえずの有名人物としてHIKAKINが思い浮かぶ。
ゲーム実況用チャンネルHikakinGamesはゲーム実況YouTubetチャンネルとして今現在一位の登録者数である。
また、HIKAKINの当初は「Super Mario Beatbox」でバズったゲーム好きでもある。
そんなHIKAKINが専業でYoutuberになった年を追うと、およそ2012年頃の話になる。
それまでスーパーマーケットで仕事をする傍ら活動を続けていたのが、会社を辞めて本格参入する。
それ以前に2010年に出した「Super Mario Beatbox」がバズっていたり、徐々に有名になってパフォーマーとしてライブやテレビ番組への出演をしていたり、「Youtubeで稼ぐ人」の先駆けとなることをしていた。
Youtubeで広告を出して収益を得る「YouTubeパートナープログラム」は2007年には既にあったが、それが一般ユーザーにも開放されるのは2011年4月の話である。
2011年のその転機も重要であり、そこにHIKAKINが一早く乗っかる流れになった。
このことで重要なのはYoutubeによる広告収入生活の一般化である。
プロゲーマーの生活もその辺りを境に変わっていったし、ゲーム実況者もどんどん出てくるようになった。
これまでもゲーム実況を趣味でやってる人はいたが、稼げる道や生活できるようになる道が出来たのは大きい。
・・・以上。
これにて2012年までについて書いていった。
引き続き、それ以降についてを書いていこうと思う。
ただ、さすがに長くなり過ぎたため・・・、ここで一旦区切って続きは次の記事とする。
↓続き