
不定期連載『変換人型ゲシュタルト論』シリーズ。 記事一覧はこちら。
これまでは『次元観察子ψ8』の構造にまつわる話をしてきたので、今回はそれに付随したイメージや、概念の話をしよう。
「法」という言葉の二面性について考えると、ψ7とψ8についてイメージがしやすいため、それについて考えていく。

意識進化側の「法」
「法」とは何か?
文化的、国語的な意味でそれをつきつめると、日本が中国から輸入した漢字に「法」という文字があり、それが意味を持っていることになる。だからその原義は中国にある。
また、日本で「法」という言葉がどういう意味で使われてるかによって、その意味が異なることもある。
まず、霊的・宗教的な意味での「法」についてつきつめていくと、仏教における「法」がそれに該当する。
仏教における「法」はサンスクリット語の「ダルマ」を漢訳したもので、宇宙の秩序や道理・真理・正義・道徳など・・・「理」を意味するものを中心にした多様な意味を持つ概念となっている。
仏教では仏が悟った真理や、仏の教えのことを「法」と呼ぶ。
このように「宇宙の秩序や道理」を意味するものとして「法」が使われることがあり、それは仏教における「悟り」とも絡んだ概念である。
仏教書の『法華経』にある「法」もそうした意味のものに該当する。
また、日本ではカトリックの最高指導者のことは「ローマ法王」と呼ばれているが、ここにある「法」も、宗教的なものとして「ダルマ」に近い意味として捉えるのが正しいだろう。
こうした霊的な意味での「法」は、誰かが言った言葉というよりかは、自然に存在する「宇宙の秩序や道理」の意味であることに注目したい。
ヌーソロジー的には、このような「法」は、『次元観察子ψ7』にある「法」であり、惑星で言うと木星の「法」だと言うことができる。
まずは、このようなものとしての「法」のイメージを深めていこう。
時空側の「法」
対して、『次元観察子ψ8』にある「法」は、惑星で言うと土星の「法」である。
土星は占星術的に「試練、収縮、制限、忍耐、責任」などを意味する。
こちらの「法」は割と一般的なものなので分かりやすい。
人間が決めたルールとしての「法」であり、国家において厳守しなければならない「法」である。
「法律」「憲法」「司法」・・・それらの言葉が意味するものでもある。
ごく普通に日本で暮らしていたら守らないと行けない「法律」はまさしく「法」であるし、会社などに所属していた場合、会社が設定している守るべきルールも「法」である。
それから、中国の思想には「法学」というものがある。
これは孔子が始めた「儒学」と並んで、中国政治で重要な思想であり、始皇帝が中国全土を秦で統一するあたりの時期で確立されていったものである。
「法学」の考え方はシンプルである。人間は「性悪説」で言われているように放っておくと悪いことをしてしまう可能性があるため、厳格な「法」を設定してその行動を統率しないといけない。それは悪いことをした人は処罰を与え、逆に良いことをした人には報酬を与えるようなものである。
特により強大な国家を運営するためには、より強力な「法」が必要になる。
以上で説明したようなものが、『次元観察子ψ8』にある「法」である。
中国では上記のような意味の「法」が元々あったものに該当するらしいが、次第にインドから仏教が伝わるにあたってサンスクリット語の「ダルマ」の意味をした「法」や、仏教の教えのことを「法」と呼ぶように意味が加わってくる。
そのため、「法学」のようなものにも「法」という言葉が使われるし、仏の教えや宇宙の秩序や道理のようなものも「法」という言葉で表される。
こうした原義における「法」には二面性があることを理解しておこう。
内にあるか? 外にあるか?
「木星の法」と「土星の法」として、二種類の「法」について説明した。
前者の「法」は自然にあるものである。
自然にあるということは、自身の内側にもある。
そのため、これは「内側にある法」とも言えるだろう。
ただ、これを認識することは割と難しい。
西洋で一部の神秘主義は「グノーシス」という言葉を用いて、人が自らの神性を認識することを特別なこととした。
また、仏教には「悟り」という言葉があり、これは仏の教えやその真理を理解することでもあるが、そう簡単に分かるものではないし、簡単に説明できるものでもない。
それらは普通の人が気づきにくい概念を表した特別な言葉であるため、特別な言葉で表さないといけないぐらい理解することが難しい。
内側から来る「法」はそういう性質を持っている。
一方で、後者の「法」は分かりやすい。
それは外側から設定されているため、いわば「外側にある法」 である。
外側から設定されているということは、他者が作ったものということにもなる。

後者の「法」において言えることは、それは絶対に人間が作っていることである。
中国で「法学」が成立した時も、漢文を扱える知識人が一生懸命「法」を書いて、それを皇帝が利用するように普及した。
日本では聖徳太子が国を治めるために、「十七条憲法」や「冠位十二階」などの制度を作った。
その他にもハンムラビ法典、西洋諸国の法律・・・人間が国家を形成していくにあたって様々な法律が作られていったが、今日に至るまでの法律はすべて人間が作っている。
神から預言を受けて作られたとされる宗教的な律法もあるが、それも結局は人間が作ったものである。
このように、「外側にある法」は他者が作った法であり、必然的に人間が人間のために作った人間主体のものであることを念頭に置いておこう。
以上。
このように、「内側にある法」と「外側にある法」の二つを区別して理解すると、「法」の二面性がさらにはっきりしてくると思うし、ψ7とψ8の双方のイメージも深まってくると思う。
(続く)

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