早速、『河合隼雄を読み直す』シリーズの本題に入っていこう。
まずは基本っぽいテーマということで、
書籍『ユング心理学入門』を参考にして、
「個性化」について書いていく。
個性化とは?
「個性化」とは何なのか?
書籍『ユング心理学入門』で詳しいことが書かれており、
“ユング心理学の根本は「個性化」(individuation)”と書いてあるぐらい重要な概念である。
個性化と関係してくる概念に「自我(Ego)」と「自己(Self)」があるため、
まずは先にそれの説明をする。
自我(Ego)とは簡単に説明すると「自分が自分だと思っているもの」である。
または「意識の中心となるもの」だと言うこともできる。
我々が普通に意識できる部類のものなので、
一般人が「意識」や「心」と呼ぶものはおよそこれが中心になる。
我々の通常の思考で考えられる領域は、ほとんど自我(Ego)に留まるものであるため、
心理学もそれを中心としたものが多い。
しかしながら、ユングが追求したい概念はそれだけではなかった。
「無意識」の世界にも着目していき、
自我(Ego)のある意識の世界の枠外についても心理学として分析しようと試みた。
すると、そこには自我(Ego)の意識の領域を飛び出して、
無意識にあるより大きな自分と言えるような存在をも取り込んで成長していく・・・ような、
そんな働きが意識の中に見られるとした。
これは「高次の全体性へ目指す志向」というように表現される。
河合隼雄さんの書籍『ユング心理学入門』ではそのことについて詳しく書かれている。
われわれの意識も自我(ego)を中心として、ある程度の安定性をもち、統合性をもっている(四二頁参照)。そして、このためにこそ、われわれは一個の人格として他人に認められているわけである。しかしながら、その安定した状態に人間の自我はとどまることなく、その安定性を崩してさえ、より高次の統合性へと志向する傾向が、人間の心のなかに認められる。
つまり、意識の世界は決まりきった常識や固定観念ばっかりで安定しているが、
無意識の世界にはそれをとっぱらった領域があり、
そこに行くことによる成長があるわけである。
それから、意識が高次の全体性へ目指していく際に、
無意識に存在にするものが「自己(Self)」である。
先の書籍では以下のように説明されている。
意識の状態は一応安定しており、なんら自我の力によって変更する必要が認められないからである。
<中略>
その意識を超えた働きの中心として、ユングは自己なるものを考えたのである。自我が意識の中心であるのに対して、自己は意識と無意識とを含んだ心の全体性の中心であると考えた。 自己は意識と無意識の統合の機能の中心であり、そのほか、人間の心に存在する対立的な要素、男性的なものと、女性的なもの、思考と感情などを統合する中心とも考えられる。
つまり、自我(Ego)は意識の中心にあるのに対し、
自己(Self)は、意識も無意識も含んだ全体の中心にある概念ということになる。
そして、こうした「無意識」を含んだ全体性を統合していくように、
自己(Self)を発見して成長していくことを、ユングは「個性化」と呼んだ。
先の書籍では以下のように書かれている。
個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向せしめる努力の課程を、ユングは個性化の課程(individuation process)、あるいは自己実現(self-realization)の課程と呼び、人生の究極の目的と考えた。
ユング心理学的に考えると、人間はこのように成長することを目的とする生き物なのではないだろうか?
そして、それを目指すことは「魂(Spirit)」の意志に忠実な生き方とも言えるかもしれない。
こうした概念は、正しいものが混沌としてきた現代において、
「我々が生きる目的とは何なのだろうか?」
「成長、進化とは何なのだろうか?」
「幸せって何なのだろうか?」
という問いに対する大きなヒントとなるわけである。
他者化について
個性化とは反対の概念に「他者化」というものがある。
これはユング心理学や河合隼雄さんの書籍では出てこないワードだが、
分かりやすい概念なので対にして考えると良いと思う。
他者化とは何か?
それは「自分ではない誰かになる」とか「他者になる」みたいな概念である。
また、他者化は「優劣を決める感情」と密接に結びついているものであり、
「こういう人が必ず優れてる」みたいに決められたルールがあると、
「優」の立場にいるものと同一化するべく、他者化することがよく起きてしまう。
最強戦士、トップアイドル、ハイスペイケメン、エリートサラリーマン、コミュ力お化け、お金儲けの達人・・・・
それら優れた存在を理想像として目指すことは、
誰しも心当たりがあるのではないだろうか?
「優劣」を気にする感情が先手になって、それらと同一化しようとした時、他者化が起きるようになってしまう。
(例:お金が稼げるほど優れてる、学歴が高いほど優れてる、運動ができるほど優れてる、モテるほど優れてる、喧嘩が強いほど優れてる、より多くの仲間を作れるほど優れている、etc・・・)
一般的に、他者化の権化みたいな存在は、
上記で挙げたような優れた能力を持っている。
いわばエリートのような存在である。
エリートを目指して幸せになることは、他者化に向かう路線の幸せと言えるだろう。
お金をなるべく稼ぐようにしてセックスもできるようにして、
安定した一般家庭を築いていく、みたいな、
そうした分かりやすい幸せもある。
それはそれで良いかもしれないし、
特に家庭を作ることによる精神的充足は大事だろうと思う。
しかしながら、人間はしばしば物質的な充足に偏ってしまい、
「金・物・肩書・見栄・数字」といった分かりやすいものばかり追うようになると、
その中で見えない大切なものを忘れるようになるかもしれない。
さらにエリートを目指すには「優劣」の世界をひたすら競争していかなければならない。
それに「競争に勝つ」ことを目的とし、勝ったものしか得をしない世界になると、
一番の人や一部の人しか幸せにならない世界になってしまうのではないだろうか?
そうした世界に没頭していると、人間の世界は「他者化」する人ばかりになってしまうかもしれない。
それを防いでいくためにも、無意識にある「自己」を探っていく道が必要になってくる。
それは、いわば「自分探し」と言えるものだが、
ユング心理学のそれは生半可なものではない・・・
無意識の奥深さに挑んだ上で、
「自己」を探しにいくのがユングの『個性化』である。
陰と陽の統合としての「自己実現」
言い換えると、他者化と個性化の関係は、
人間の意識が外界(物質世界)に行くか、内界(精神世界)に行くかの違いにもなってくる。
そして、ユングの観点だとそれはただの個人の意識だけの問題にはならず、
とにかく壮大なものになってくる。
つきつめると、東洋にある「陰」と「陽」の概念にまで行く。
事実、ユングは東洋思想に非常に大きな関心を持っていたらしい。
東洋の陰と陽は、以下の「太極図」で表される。
そして、この太極図のキーワードは、陰と陽の「統合」である。
ユング心理学はそこで[陽⇒意識、陰⇒無意識]に対応させるように、
意識と無意識をダイナミックに統合しつつ、
かつ、陰陽のように共存していく関係を目指していく。
他にも、この太極図の「陽と陰」は、
「西洋思想・東洋思想」に対応したり、
「父性原理・母性原理」に対応したりと、
幅広いことに繋がるようになる。
河合隼雄さんも、外界と内界(意識と無意識)の関係について、
『ユング心理学入門』で以下のように書いている。
しかし問題は、あれかこれかということではなく、あれもこれもという点にあるのではないか。つまり、外界との接触を失うことなく、 しかも内界に対しても窓を開くこと、近代的な文明を消化しながら、古い暗い心の部分ともつながりをもとうとしなければならないことにある。ここにおいて、ユングが東洋の思索に大いに心ひかれながら、あくまで自我の重要性を強調し、自我と自己との相互作用と対決 (Auseinandersetzung)ということを主張することの意味が十分に感じとられることと思う。
このように述べても実際に行うことは、危険性も高く、むずかしいことである。実際、ある個人が自己実現の問題に直面するときは、そのひとにとって最も危険なときであるとさえいえるだろう。このときには多くのひとが、自分の今までもっていた価値観が逆転するような感じさえ経験する。
うーん難しい・・・
しかしながら、そこまでして挑んで手に入る「自己」こそが、
本物と言えるのではないだろうか?
内界を軽んじず、かといって、外界も軽んじずに
「個性化」や「自己実現」を目指すのが、
河合隼雄さんによるユング心理学の基本方針である。
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