不定期連載『変換人型ゲシュタルト論』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇非物質世界の知覚と霊能者について◆◇
前回、「火のイメージ」についての話をしつつ、
「あっち側」と「こっち側」の話をした。
「こっち側」は普通に物質の世界で、
「あっち側」は通常の物質ではない見えない存在がメインの世界である。
つまり、それは「非物質の世界」と言うこともできる。
俗っぽい言い方をすると「霊界」ってことになるんだろうか?
「霊界」となると人が作ったイメージも混ざるのでなんとも言いづらいけど・・・
なんにせよ、普通の人間が知覚できない思念や意識があるかもしれない世界がそこにあるわけである。
「あっち側」とのアクセス方法
ヌーソロジー的に「あっち側」にアクセスする方法は、
何度も書いてる通り「反転」である。
そして、「反転した空間」と「普通の空間」の境目はミクロの大きさの点のようになっている。
そのため、前回説明した通り「針の穴に糸を通す」ようにそれを行う。
そんな感じのイメージができるだろうか?
そして、それをさらに応用すると、
「人間でないもの」と意識をつなげて交信みたいなこともできる。
例えば、南米ペルー・アマゾンのシピボ族のシャーマンの間では、
「特定の植物の精霊と契約を結び、植物の意識に繋がること」を「ディエタ」と呼ぶ。
これは植物療法やヒーリングに繋がる高度な伝統技術なため、とても奥が深いものだが・・・
要するに、そんな感じのノリで植物との交信が可能とされている。
そんなノリと「反転」の要領によって、植物の意識と繋がることは可能だろうか?
植物相手であれば概ね安全と言えるので、チャレンジしてみるのも良いかもしれない。
非物質存在との交流
「あっち側」へアクセスする能力をもっと応用すると、「あっち側」の「人間でないもの」との交流が可能になる。
それがより具体的になると・・・「チャネリング」になるわけである。
特にヌーソロジーは確実に「主体」や「自己」と繋がることができる手段なので、
それらに紐づいた存在と繋がることが容易になる。
一部の界隈で「タルパ」というものが流行ってて、
『サイキックと研究と分析』シリーズでそれについて書いたことがある。
「タルパ」とは「人工精霊」とも呼ばれるもので、
自身の中で自動的に動く人格みたいなものであり、人為的に作り出すこともできる。
2chのスレッドで始まり、タルパWikiがあり、それを見てやろうとする人がいるのでネットで流行っている。
それから、以前にブログで「ホ・オポノポノ」についてを書いた。
これはハワイのシャーマンの伝統を基にしたスピリチュアルな実践技法である。
自己探求法・問題解決法として様々な効力を発揮するものでもあるが、
その中で「ウニヒピリ」と呼ばれるインナーチャイルドのようなものと交流したりもする。
ちなみに自分(Raimu)は、具体的なチャネリングをすることはできないが、
これらのことを利用して、自己の中にある「あっち側」の存在を漠然と感じたり、
第六感を高めることはしている。
チャネリングというほどではないけど近いことをする能力・・・
自分はこれをニアチャネリング能力と呼んでいる。
スピリチュアルやシャーマニズムとしてヌーソロジーを突き詰めていくと、そんな能力とも関わってくるようになると思う。
自分的なニアチャネリング能力によると、
シューマン派発生装置を使うと、とても調子が出るように感じる。
これは強力でコストパフォーマンスが良く、浄化効果もあってオススメなので色んな人に薦めたい。
「他者」の意識との予期せぬアクセス
さて、自身より外部(あっち側)の意識に繋がる話だと、
最近では「HSP」とか「エンパス」みたいなものもよく聞く。
◆HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)とは?~HSPはうつ病になりやすい!?~
◆エンパス(empath)とは?~共感力が高いがためにうつ病になりやすい?~
HSPは、生まれつき非常に感受性が強く敏感な気質もった人で「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」の略である。
気疲れしやすく、メンタルが不安定になりやすい気質だともされ、
「繊細過ぎて生きるのが大変な人」みたいな意味で使われることが多い。
エンパスは「共感力、共感力の高い人」という意味である。
並外れた共感力を持っていると、一見するとちょっと離れた位置にいる人でも「相手の感情が、自分の感情のように感じられてしまう」ことが強く起きてしまう。
普通は五感を通じてそうした感情を連想するものだが、
エンパスの人は第六感に通じるレベルでそれが起きるので、非常に強く感じてしまう。
この二つの気質は似ているため、併発するように発生する。
「とにかく心が繊細過ぎる人」がこれらに当てはまるが、
非常に強力な人は外部の意識と繋がってしまうことによって起こるわけである。
これらはどういう原理で起こっているのだろうか?
恐らく、肉体(あるいは、自身が持っている意識体)に、
外部とアクセスする機能を持った「穴」のようなものが空いているのではないだろうか?
ヌーソロジーでは、能動的な意識によって「反転の穴」を開けていくが、
先天的にそうした穴が開いている人もいるのではないだろうか?
また、これは『サイキックの研究と分析』でも書いたことだが、
いわゆる「幽霊が見える」系の霊視能力者の場合は、
潜在的に感じ取った外部の意識が、自動的にイメージに変換されて目の前に現われてくるのかもしれない。
これについては仮説段階だが、そうした理由で起こるのではないだろうか?
こうした霊感や感受性の度合いは、持ってる肉体によって異なってくる。
感度が強いほど、自身の意識体がまるで浸透しやすい素材でできているみたいなものになっている。
材質で例えるなら、
鉄、木、スポンジ・・・などでできているようなものである。
感受性の度合いによって、自身の意識体がどのような材質でできてるかが異なってくる。
鉄はほぼ全くと言って良いほど影響を受けない。
むしろ共感力が低すぎてサイコパスめいてることもあるかもしれない。
木は強く影響を受けることはないにせよ、多少は受けることもある。
木の柔らかさによっては感性が豊かかもしれないし、固いとそこまでではないかもしれない。
はっきりとした霊感持ちと言える人間は少ないとされるが、それでも大体の人間は何かしらの影響を受けるものなので、木のような材質でできた者が一般的に多いかもしれない。
スポンジはあまりにも影響を受けすぎるような材質と言える。
そこまでの脆さだと自他の境界が曖昧になりやすく、ほとんど病的である。
HSPやエンパスといったものについては、
そんな感じで捉えてみると理解が進むかもしれない。
「あっち側」とアクセスしないモード
ヌーソロジー的に「あっち側」にアクセスする方法は「反転」だと書いていったが、
逆にアクセスしない場合はどうするのか?
「あっち側」の意識は「奥行き」や「ミクロ」にあるので、
「こっち側」はその逆で「手前方向にいる自分」や「マクロ」にある。
以下のような「マクロ意識のポーズ」の時は、
外部の意識を寄せつけないようにするのが正解だと思う。
ついつい感じたくなることもあるかもしれないが、
周りが雑多な状況の場合は、なるべく影響を受けない方が良い。
他者の意識の影響を受けやすい肉体を持っている場合は、
浸透しやすさの原因となってる「穴」を埋めないといけない。
スピリチュアル的なテクニックで、
卵上のオーラをイメージすると、外部の意識を防ぐバリアーを張ることができるので、
他者の意識の影響をあまりにも受けやすい人はそうしたイメージを練習するのもオススメである。
このように「あっち側とアクセスしないモード」も必要なため、
ヌーソロジー的には「アクセス用の穴は能動的に空けること」と「あっち側とこっち側のメリハリ」が大事になってくると思う。
HSPやエンパスの対策の参考になるだろうか?
霊能者とは何か?
霊視能力とか霊を扱う能力とか・・・
俗に「霊能力」と呼ばれるものについてはいまだに謎が多い。
これも意識体に「穴」のようなものが空いている人、ということになるんだろうか?
先天性の霊能力者は徳の高い人が自ら能力を得ていることもあれば、
遺伝性の病気や障害の類で力を持ってしまうこともあるらしい。
それから『冥王星のオコツト』は、霊や超能力者に関してあんまり明るい見解は持ってないみたいである。
以下、シリウス・ファイルに書かれている実際の交信記録を引用する。
――霊についてもう少し教えていただけますか。
人間の意識が方向を持つときに生み出した精神のカタチに関与されたオリオンとの交差の全く逆のカタチを持つ変化層。
――超能力者とは。
進化の方向が定質に反映されていない。等化が生み出されていないカタチのない次元を交差する力を持つ人間のこと。精神の変換ではなく意識の変換しています。人間が人間の内面(意識に反映されたもの)を等化するというのは位置が核質化してしまうということです。付帯質に変換されて人間が見えない次元を透視することができます。かれらは奇形です。人間が精神における内面(人間の意識と精神)の等化を行うことが必要です。
(交信記録 19911010)
『変換人型ゲシュタルト論』をここまで読んだ人ならなんとなく意味が分かるだろうか?
(ちなみに『付帯質』はノス、『精神』はノウスに近い意味として捉えると良い。)
あまり良い意味で言ってなさそうなのは、その能力の扱いの難しさゆえなのかもしれない。
あるいは、生まれつきの霊能力者のように穴が空いていると、
ヌーソロジー的な「あっち側」へアクセスするにおいて、受動的になってしまうかもしれない。
そのため、ヌーソロジー的にはなるべく能動的に自身に適した量の「穴」を開けるのが良いのだと思う。
そして、あくまでオコツトが目指すものは、
『変換人型ゲシュタルト論』で説明している『等化』の方向性なのである。
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2013:The Day God Sees God 人類が神を見る日 [ digital edition ]
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