不定期連載『変換人型ゲシュタルト論』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇イメージの世界を脱却できるか?◆◇
『次元観察子ψ4』は「見られる」意識にあり、
「鏡面」がベースになっていると、これまで説明していった。
そして、そこから派生して「イメージ」が作られることが重要であり、
その「イメージ」が『人間の内面』となる。
ヌーソロジーで『人間型ゲシュタルト』と呼ばれる四次元時空のイメージもそうしてできている。
(四次元時空のイメージ)
したがって、次元観察子ψ4は「イメージ」の苗所として機能する特徴もある。
そして、「鏡面」の他にも「イメージ」を作る元となるものがある。
それは・・・「言葉」である。
そもそも、人間は動物の中でも、言語を扱うように進化した特異な動物であり、
それによって他の生物を圧倒するような文明を作りあげていった。
人間が使う言語の中にある様々な言葉も、
イメージを作り上げて、そこに固執させるものとして機能する。
星の数ほどある人間が作った無数の言葉のうち、
最も抽象度が高くて最もイメージが難しい二大概念は、
「神」と「愛」の二つなのでは?と思う。
「神」といった言葉を聞いた時、人は何かをイメージするし、
そのイメージは人によって異なる。
「家」みたいな言葉ぐらい具体的であれば、
イメージもしやすいだろうが、やはり人によって微妙に異なるだろう。
人間はそんな感じでイメージをベースにして世の中を捉えているし、あらゆる思考のベースが自身の経験から浮かんだイメージに基づいてることもある。
また、自分が捉えたイメージが他人と同じとは限らないし、その違いには気付きづらい。
そして、自分が捉えたイメージが真実とは限らないし、エゴによって作られた偽造のようなものかもしれない。
ヌーソロジーのような真理に向かう道は、その偽造に気付く道でもある。
ヌーソロジーと言語学
ヌーソロジーは哲学なので、既存の西洋哲学が絡んでくることは言うまでもないが、
この辺は特に言語学関連の哲学が絡んでくる。
近代言語学で有名なフェルディナン・ド・ソシュールは
19世後半紀頃に活躍し、「シニフィアン」と「シニフィエ」という概念を提唱した。
シニフィアンは「記号表現」と訳されるもので、伝えたいことを言葉として表す際の表記や音声に該当する。
シニフィエは「記号内容」と訳されるもので、シニフィアンを受けて連想されるイメージや、その意味に該当する。
ソシュールのこうした哲学は、後にジャック・ラカンも影響を受けいて、
ラカンの精神分析学でもシニフィアンとシニフィエについて扱われている。
人が何か言葉を受けた場合、シニフィアン(記号表現)として表れているものを受け取り、
その意味をシニフィエとしてイメージするが、
その言葉が伝えたい本来の概念と、自身のイメージしたものが異なっていることはよくあることである。
先ほども説明した通り、人が言葉を受けてイメージするものは人によって微妙に異なるため、
正確なその本来の意味はそう簡単に分かるものではない。
特に「神」や「愛」のように抽象度の高い言葉ほどそうなってしまう。
そうした時、各自の浮かんだイメージが「その言葉が意味するもの」と捉えて、そのイメージに固執してしまう。
また、そうしたイメージには「それが真実であって欲しい」という欲望や情動がつきまとい、
情動によって信じたいものを決めることもあるし、
情動によってイメージから抜け出せないこともある。
人間は次元観察子ψ4のように受動的な意識でイメージを扱うのが普通であるため、
前回説明したような「情動」がそこに結びつく。
さらには利己的な欲望や自尊心もそこに結びつき、
頑固なゲシュタルトを形成することが一般的によくある。
受動的な意識でいると、言葉が作るイメージの強固なゲシュタルトに固執するのが普通の人間であるため、
言語によって人間型ゲシュタルトが強固になることが哲学では一般的な原理とされる。
加えて、そこに欲望や情動が重なると一層強固になる。
そこで、ヌーソロジー的に『次元観察子ψ3』や『人間の外面』に向かうと、
そこから脱却する方向性が開かれるわけである。
『変換人型ゲシュタルトの本論に入る前に』の項で、
「ψ3が分かると見た目に騙されずらくなるので有意義なことになる」とちょろっと書いたが、
それはイメージの固執から脱却する知性を得ることができるからである。
次元観察子ψ4と次元観察子ψ3の関係から、
そうしたことにまで気付くことができれば良いと思う。
↓続き
2013:The Day God Sees God 人類が神を見る日 [ digital edition ]
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