最近、ジャンプ本誌の方で最終回を迎えた『鬼滅の刃』。
大ヒットしてるということで、色んな人が話題にしています。
2019年にあの『ワンピース』の売り上げを抜いたことも話題になりました。
◆【2009-2019】コミック別年間売上ランキングTOP10 – YouTube
上記のやつを見ると、これまでに売れた漫画の変遷が見れて面白いです。
2018年までずっとトップだった『ワンピース』を、
『鬼滅の刃』が一気に抜いている異常な凄さが分かります。
自分もこんなヒットするとは思わなかったです。
そんな『鬼滅の刃』について、
自分も考察的なことを書いていきつつ、
色々と語ってみようと思います。
~目次~
・自分と鬼滅の刃
・鬼滅の刃の魅力
・鬼滅の刃にある二つの勢力(ジョジョとの比較)
・ユダヤ・カバラの教えと、太陽と鬼の関係
・吾峠呼さんはどんな人なのか?
自分と鬼滅の刃
自分も基本的に大ファンで、ジャンプは毎週買ってたので毎週読んで一喜一憂してました。
最終回もリアルタイムで見届けました。
ただ、実は当初から読んでいたわけではないです。
この作品は元々はそんなに絵が上手いわけでもなく、
連載当初あたりの内容では「打ち切り臭がする・・・!」
とネットで話題になるぐらい目立たない作品でした。
◆【悲報】少年ジャンプ新連載「鬼滅の刃」の打ち切り臭がヤバいwwww【画像】 : 最強ジャンプ放送局
しかしながら、知り合いが「めっちゃ良い」と推していたのと、
アプリ『ジャンプ+』で漫画の始めの方だけ無料公開キャンペーンをやってたのがきっかけで呼んで、
主人公が可哀そうなダークファンタジーものだったんで気になり、
[無料公開キャンペーンの内容]⇒[ジャンプで購入した内容]⇒[購入してなかった期間は書籍で補完]
って感じで全部を読んでいきました。
自分がジャンプで毎週内容を追うようになったのは『遊郭編』からだった気がします。
『遊郭編』は大体、アニメとの照らし合わせだと、
「アニメでやった内容」⇒「今度の映画でやる予定の内容(無限列車編)」
の次の章に該当します。
アニメで「十二鬼月」というが出てきたと思いますが、
一から六のナンバーを持つ「上弦の鬼」との戦いが始まっていきます。
こっからの戦いがまたクソ強いんでヤバい。
鬼殺隊の「柱」が戦いに参加するようになってこれもまたヤバい。
この辺から鬼滅の刃は、「凄い面白い漫画」から「もはや神のような作品」に進化する所なんで、
読んでない人は楽しみにしててください。
鬼滅の刃の魅力
鬼滅の刃の話をすると、書くことが多過ぎてまとまらないかもしれない・・・
なのでざっくりと大まかな話だけしたいです。
この作品は、少年漫画らしく「鬼は悪い奴で、鬼殺隊は鬼を狩る者」ってのがメインコンセプトなんだけど、
鬼視点の話がフォーカスされることが結構あります。
禰豆子も鬼なわけだし、時には「鬼は一概に悪い存在じゃないんだなぁ」という観点があるのが面白いです。
「そもそも人間や我々も鬼みたいなものなのでは?」という感じもあります。
自分もどちらかというと単純な勧善懲悪ものより、そういう話の方が好きです。
さっき書いた『遊郭編』の章あたりから、鬼サイドの話がどんどん面白くなっていくので、
より深い話を望む人は期待していて良いでしょう。
一方で、やっぱり「鬼は悪い奴」って側面もあって、
鬼殺隊の方が正義で、鬼を倒すのが目的ってストーリーは終始一貫しています。
その点、分かりやすいと言えば分かりやすいです。
このように、両方の思想を取り込んでる所がまた、
多くの人にウケる要因になっているんだと思います。
あと、途中から王道路線を取り込んだのもヒットの秘訣だと思います。
週刊少年ジャンプのコンセプトというと「友情・努力・勝利」が有名で、
一応、これが「三大原則」ってことになっているらしいです。
3~4巻あたりからの仲間(善逸と伊之助)の加入で、
鬼滅の刃もまた見事に「友情・努力・勝利」な内容になっていきました。
あと、「柱」みたいに「最強クラスのめっちゃ強い奴」が出てくるようになって、
そのキャラクター達がまた個性的で魅力的なんで、
それでどんどん面白い、って感じるようになりました。
正直、「1~2巻」までの内容だと暗くてよく分からん側面が大き過ぎて、
大ヒットは難しいだろうって感じだったけど、
「仲間の加入」⇒「柱の登場」⇒「より強い鬼との戦いでどんどん凄いことに」
でどんどん面白くなっていったと思います。
この作品は途中から面白さが下がる・・・なんてことはなく、
むしろどんどん上がっていく一方なので、そこに関しては期待して良い作品でした。
鬼滅の刃にある二つの勢力(ジョジョとの比較)
自分があえて鬼滅の刃を考察すると・・・
ずっと感じていたのは『ジョジョの奇妙な冒険』との類似性でした。
鬼滅の刃は主に「鬼殺隊の剣士」と「鬼」との戦いが描かれていて、
鬼殺隊は特殊な「呼吸」を駆使した戦闘方法を身につけています。
そんでもって、これはちょっとだけネタバレになるけど、
実は鬼殺隊の使う「呼吸」の力は「太陽の力」の派生と解釈できるものになっています。
あと、鬼は「太陽の光に弱い」ってことになっています。
これは日本古来の鬼というより、西洋の「吸血鬼」の性質に該当するものです。
これは『ジョジョの奇妙な冒険』にある、
「太陽の力(波紋の呼吸)を味方につけた戦士」と「吸血鬼」が対立する構図と大体一致しています。
つまり、「太陽」と「人食い鬼」の対がテーマになっていることが共通しているわけです。
以下、『ジョジョの奇妙な冒険』のシーンの一つで、
主人公のジョジョが師匠のツェペリと会った時、
ツェペリが「波紋」という能力をレクチャーした時の話です。
「石仮面」というのは人間を吸血鬼にする古代遺産で、吸血鬼は太陽に弱く、
それに対抗するために太陽の力を生み出す呼吸法が「波紋」と説明されています。
そして、これらは「表と裏」のような関係になっているらしいです。
ユダヤ・カバラの教えと、太陽と鬼の関係
「太陽」と「人食い鬼」。
その関係を言い換えてまとめると、
「太陽」は「無限に恵みをもたらすもの」で、
「人食い鬼」は「他者の恵みを奪うもの」だと言えます。
実はこれは、「ユダヤ・カバラ」の教えにも近いものがあります。
上記の書籍『神のようになる』は、
「ユダヤ・カバラ」の原典の一つである「ゾハールの書」に書いてある教えを
簡潔に説明しているものです。
この本は終始、「カバラの神」(ユダヤ教の神ではない)についての説明と、
それに対する人間の「エゴ」についてがメインテーマとして書かれています。
そして、「神」は「分かち合いの精神」を持っているもので、
「エゴ」は「自分だけ受け取りたい欲望」を持っている・・・と説明されています。
自分の中にある「エゴ」の「自分だけ受け取りたい欲望」を強く認識し、
そこから離れるようにして、「神」の持つ「分かち合いの精神」に近づこうとすることが、
「カバラ」の生き方に則している・・・というのが、先の書籍の主な教えです。
こうした教えを持つ「ユダヤ・カバラ」は、「ユダヤ教神秘主義」として生まれたものなので、
ユダヤ人が作ったこの究極的な神秘主義の教えは、
あらゆる神秘主義にも通じていると言っても良いでしょう。
そして、この二元のテーマは、『鬼滅の刃』にある
「太陽」と「人食い鬼」の関係にまで通じているのかもしれない・・・と自分は感じました。
それから、「植物」と「動物」の二元も関係もありそうです。
「植物」は「太陽」のような自然の力を取り込むものであり、
これもまた「無限に恵みをもたらすもの」です。
しかし、「鬼」はある意味では、強さを求める「動物」の理想的な形態であり、
動物が進化したのが「人間」になります。
鬼はある種の動物の力の延長線上にある存在と言っても良いかもしれません。
伊之助みたいな猪野郎もある意味、純粋に動物らしいやつですが・・・
炭治郎たち主人公サイドは、色んなものを味方につけて敵と戦っていきます。
炭治郎と禰豆子の主人公コンビは、
「太陽」「植物」「動物」「鬼」「人間」のすべての良い所を取り込むような力ありました。
ベタなことを言うと、その取り込む力の源が「愛」なのかもしれない・・・!
逆に、鬼舞辻無惨は「悪い所取り」な奴だった。
「動物」「鬼」「人間」の力の悪い所取りみたいな奴です。
それから、太陽とは真逆の存在を味方につけてたようなものかもしれません。
無惨が求める「完全なもの」とは、太陽と近似していながらも、それとは真逆の存在だったのかもしれません。
あと、無惨は人間が持つ中で特殊な「知性」を全て悪いことに使っていました。
ネタバレになるから詳しくは書けないけど、実は凄い所の家系で生まれた存在で、
その才能を「他者から生命力を奪うこと」に使うことになりました。
それから、これもネタバレになるから詳しくは書けないけど、
無惨は人間だった頃、「死の恐怖」に怯えるような境遇であり、
そこから鬼の始祖となって、死の恐怖から逃げるような存在になりました。
よって、無惨とその誘いに巻き込まれた鬼達は「死の恐怖から逃れようとする者達」であり、
鬼殺隊とそのリーダーは「死の恐怖へ立ち向かう人達」だと言えます。
鬼殺隊みたいな「刀使いの者達」は、
日本にある「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という格言とか、
生きながらに死人となる思想や、禅思想とマッチしやすいんで格好良いです。
このように、「死」への向き合い方で、どっち側か分かれているような側面もあると思います。
吾峠呼さんはどんな人なのか?
鬼滅の刃の作者は吾峠呼世晴さんという女性です。(通称:ワニ先生)
吾峠呼さんについてちゃんと知るためには、
読み切り作品を読むのが必須だと思います。
吾峠呼さんの純粋な想いが詰まったこの読み切り作品は、
とてもじゃないけど一般的にウケそうな内容ではないです。(個人的には好きですけど)
自分はこういう人を「狂気タイプの人」と呼んでいます。
ドラゴンボールの鳥山明さんも、ワンピースの尾田栄一郎さんも、
読み切り時点で「これは多くの人にウケる可能性を感じるぞ・・・!!」っていうのがあったと思うけど、
これはとてもじゃないけどそんな感じじゃない。
普通の人が読み切りの漫画を書いたら、
「大ヒットしたい」って欲がどっかに出てるものだけど、全然そんな感じじゃない。
これだけ狂気の人だと、鬼舞辻無惨も、
「自分の意識の中にある奴で一番悪い奴」をベースに出てきたのかなぁ?と思ったりします。
狂気タイプの人の長所は、色んな人の「狂気」と共感できる所です。
それが病んでる人だったりメンヘラだったり境界例みたいな人だったりします。
善逸や伊之助も「発達障害やんけ」と思えるような性格だし、
半ば病んでるような異常な個性を持ってるキャラクターが多いのが鬼滅の刃の特徴でした。
そういう人を前向きにさせる「本質的な面白さ」が吾峠呼さんの作品にはありました。
これも色んな人にウケる要因だと思います。
しかしながら、こういうタイプの人は大衆受けはしないか、大衆受けを望まないことが多いです。
でも、そんな狂気の人が大衆に歩みよったのが、
今作の大ヒットに繋がったのだと言って良いでしょう。
大ヒット漫画というのは、「本質的な面白さ」と「大衆的な面白さ」の両方を持ってないと無理です。
吾峠呼さんは「本質的な面白さ」が描ける人でした。
そんでもって、「大衆的な面白さ」はダークファンタジーの路線に乗せると良かった。
今の時代はサヴァイバル的な風潮が強いサヴァイバル時代なので、
ダークファンタジーのジャンルはウケやすいです。
(人の世の中はいつもサヴァイバルって気もしますが。)
そして、鬼滅の刃はダークファンタジー路線へ乗せるのが上手くいったから成功しました。
アニメであんな同情を煽る一話を見たらつい見続けてしまう。
そして、それで見続けてちゃんと「本質的な面白さ」もある作品だから、これもまた良かったわけです。
影役者に当たる人も誰かいるんでしょうか?
編集の人がその才能を見つけたとか、
編集の人とのやり取りの中で芽生えたものもあるかもしれません。
あと、絵が独創的なのも良かったのかもしれません。
今時のポップな絵だと、一見多くの人にウケやすいんだけど、
意外と限られた層にしかウケないかもしれないという側面もあります。
独創性を突き詰めると、古典として老若男女にウケる可能性があります。
みんな「なんかこれは珍しいぞ」って感じで気になる可能性もありますし、
世の中の作品がテンプレート化していくと、そういうのがヒットすることもあるんだと思います。
しかしながら、独創的な絵柄でここまでのメガヒットに至るってのもかなり珍しいことですが・・・
その力の源こそ、吾峠呼さんが持っていて、
炭治郎や禰豆子も持っている「愛」の力なのかもしれない・・・!
そして、大衆がそれに応えたから大ヒットしたのかもしれません。
以上。『鬼滅の刃』について色々と書きました。
吾峠呼さんはさっきも書いた通り「狂気タイプの人」なんで、
次の作品が面白いって保障はなく、むしろ書きたいことを書いてイマイチなことすらあり得ますが、
次回作にも期待したいと思います!