不定期連載『陰陽哲学基本概要』シリーズ。 記事一覧はこちら。
陰陽のはじまり
さて、早速、陰陽論の内容について説明していこう。
まず、はじまりである概念に「太極」がある。
これは陰陽が分かれる前の概念で、多様な性質を含み持った自然のようなものである。
そして、その太極から別れたものが「陽」と「陰」である。
この二つに分かれた状態のことを「両義」と呼ぶ。
「陽と陰」は元が一つだったものから分かれた概念なため「表と裏」のような関係であり、太極の中にある二つの側面がそのように呼ばれるようになったとも言える。
さらに、分かれた「陽」と「陰」もそれぞれ「陽」と「陰」に分かれて合計で四つの要素となり・・・さらにその四つの要素もそれぞれ二つに分かれて八つの要素になる。
この八つの要素が「先天八卦」と呼ばれ、Raimuの易占いbotにあるような易占いに使われる要素となるのだが・・・今回はこの八卦については詳しくは扱わないことにする。
『陰陽哲学基本概要』シリーズでは一貫して「陽」と「陰」の二つの概念を中心として扱うので、その二つについてをとにかく深掘りしていこう。
「天と地」について
まず、「陽」は「天」、「陰」は「地」の性質をそれぞれ持つため・・・
「天」と「地」について説明していこう。
この二つは日本でもなんとなく馴染みのある漢字なため、イメージがしやすいのではないだろうか?
「天」はなんとなく神のように偉いものであり真理に通じてるもの・・・
「地」はそれに対する大地や自然に該当するもの・・・
そんなイメージでも概ね間違いではなく、これは色んな文化で用いられる普遍的な概念でもある。
この二つについて理解することは陰陽を理解することと同義になるため、陰陽論において基本となる概念である。
基本的な易経のテキスト『易経(徳間文庫)』からの引用だと、以下のように書かれている。
天は上にあって能動的であり、地は下にあって受動的である。 両者は対立するが、対立を通して統一されている。乾(天)と坤 (地)の対立と統一、 これが宇宙(空間・時間) 構成の根本原理である。
まず、天は上にあって能動的、地は下にあって受動的・・・とあるので、これが基本である。
それから、先の本に載っている『繫辞伝』という古代文書の一説だと、漢文で以下のことが書かれている。
乾道成男、坤道成女。 乾知大始、坤作成物。
乾道は男を成し、坤道は女を成す。 乾は大始を知り、坤は成物を作う。
ここにある「乾」は「天」の意味で、「坤」は「地」の意味なので・・・
「天」は男性原理みたいなもので、「地」は女性原理みたいなものに該当する。
また、「天」は大始を司っていて、それを受けて何かを生成物を作るのが「地」である。
まずはこうしたことを基本として理解しよう。
さらに安岡正篤による書籍『易経講座』では、そこから派生して以下のように書かれている。
宇宙を営む偉大な力が波動、活動しつつ、相互転換性を表しているのを天という。天というのはその様に、偉大な創造であり変化である。
天というものは第一に何かというと、偉大な包容力を表しておる。無限の包容力を表しておる。その次は無限の変化性を表しておる。
これに反するものは地でありまして、有限であり固定である。天はこれに反して無限であり創造、包容である限りなき変化である
ここでは、「天」は無限の変化と創造の力を持っていることが強調されている。
そして、「天」は陽が集まったものの象徴であり、「地」は陰が集まったものの象徴になるため、
「天≒陽の力」「地≒陰の力」と理解して大体間違いはない。
また、「乾」と「坤」という単語もあるが、これは易経の占いの際に出てくるもので、天と地の概念を象徴として別の呼び方をしたものなため、「天=乾」「地=坤」は同義である。
以上の「天」と「地」の特徴から、原始的な陽と陰の力をまとめると以下のようになる。
~天・陽~
・能動的
・上にある
・大始を司る
・男女だと男性原理になる
・無限であり変化である
~地・陰~
・受動的
・下にある
・受け取って成物を司る
・男女だと女性原理になる
・有限であり固定である
「天」は宇宙を営む無限のもの
「天」は易経においては「乾」とも呼ばれるものとして説明されていて、「易経における天」は特定の意味を持っているものだが・・・
もっと汎用的に、漢字としての「天」の意味は何なのか?
後世で易経で書かれていることから「天」はどのように解釈されていったのか?
そうしたことまで遡ると、キリがないぐらい奥が深い。
書籍『易経講座』で安岡正篤氏は、とくに「造化」と呼ばれる天の働きについてを強調している。「天」は元来、創造と変化の力を含み持っていて、その働きが始原にあることで、あらゆるものが生まれるとされている。
次いで、「地」がそれを受け取ることで、より具体的な形を持ったものが作られていく・・・みたいな構造になっている。
「天」の概念はそうして奥が深いため「お話すれば天論だけでもいくらでもやれる」とまで書かれている。
それから、「易の心構え」として以下のように書かれている。
先ず第一に易を学ぶ上で必要な心構えでありますが、それは小なる自我というものにとらわれず、活眼を開いて、この宇宙人生を通ずる大生命と申しますか、造化の消息と申しますか、そういうものを達観する。つまり眼を大きく開いてこの大宇宙、 造化のハタラキに心を傾けるという心構えが必要であります。
これを解り易い用語で申せば天であります。我々は先ずこの偉大な天というものに眼を向けなければならない。自己の運命をはやく知りたいとか当てたいとかいうような、そんな小さいことを考えてはいけない。
なるほど・・・
小さな自我にとらわれてはいけない。活眼を開いて大宇宙にあるハタラキを直観するような・・・
そんな姿勢が必要なことが分かる。
さて、これらのことを踏まえて「天」を理解しつつ、その対関係である「地」について考えると、一旦は以下のようにまとまる。
~天・陽~
・能動的
・上にある
・大始を司る
・男女だと男性原理になる
・無限であり変化である
・造化のハタラキを持つ
~地・陰~
・受動的
・下にある
・大始からの成物を司る
・男女だと女性原理になる
・有限であり固定である
・造化のハタラキを受け取る
こうした易経における天と地、もとい、陽と陰の概念はそこからさらに違う意味を持つようになるのだが・・・
その続きは次の回にする。
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