2024年3月。世界的に有名な漫画家、鳥山明の訃報が告知された。
時代を変えたってぐらいすごい人なので突然の訃報はとんでもないことだった・・・
原因とされている急性硬膜下血腫は脳の表面部分の出血なため、外傷がきっかけで起きる可能性の方が高いらしい。事故で頭でも打ったのだろうか?
なんにせよ、高齢とはいえまだ活動できそうな年齢で亡くなってしまって、とても残念なことである。
彼の築き上げた文化を追っていくと…
現代日本の時代のカルチャーの遷移や、さらには世界の文化の遷移までもが見えてくる。
その功績に敬意を払いながら、20世紀から21世紀にかけて起きた時代の大変革について改めてまとめてみようと思う。
この辺りの時期は特にロックカルチャーからオタクカルチャーへの遷移が顕著だった。
1960年代あたりはビートルズの登場が世界中に影響を与えて、1970年代はロックの黄金時代と言われるが、1980年代からは鳥山明が登場し、その作品が世界中に影響を与えるようになる。
とくにドラゴンボールの世界人気は凄く、アメリカやヨーロッパなど先進国での人気はもちろんのこと、アフリカ・アジア・中東・南米といった発展途上国での人気もすごいことになっている。日本のカルチャーで世界的に有名なものといったら、ポケモンとドラゴンボールが二大筆頭らしい。
それから、ドラゴンクエストはゲームカルチャーにおいて大きな影響を与えた。これは堀井雄二・すぎやまこういちといった天才達との共同開発であるが、鳥山明のデザインしたモンスターやキャラクターも革命的であり、日本のゲームカルチャーやオタク文化全般に大きな影響を与えた。
そして、自分(Raimu)が前々から考えていたことで・・・
これはヌーソロジーの話になるのだが・・・
ヌーソロジー的にロックカルチャーが『次元観察子ψ11~ψ12』にあるもので、オタクカルチャーが『次元観察子ψ13~ψ14』にあるものに該当するのではないだろうか?
このことについてちゃんとまとめていこうと思う。
現代日本の文化と社会の変化みたいな社会学っぽいテーマでもあるが…
今回はガッツリヌーソロジー用語を使う方針でいく。
~目次~
・時代遷移について振り返る
・次元観察子ψ11~ψ12と、次元観察子ψ13~ψ14について
・次元観察子ψ11~ψ12(前半)と次元観察子ψ11~ψ12(後半)について
・次元観察子ψ11~ψ12(前半)について詳しく
・次元観察子ψ11~ψ12(後半)について詳しく
・ロックカルチャーと資本主義
・「電気を使うもの」としてのロック
・人間の定質と人間の性質
・デジタル資本主義とオタクの時代への狼煙
・次元観察子ψ13~ψ14について
時代遷移について振り返る
これから鳥山明とロックカルチャーを巡る壮大なストーリーを追っていきたいと思うが・・・
まずは現代日本の時代の遷移によるカルチャーの遷移について振り返っていこう。
遡れば日本は江戸時代の1853年に黒船が来てからずっと激動の時代になっていたが・・・
1945年の終戦後もなかなか激動であったため、そこで生まれた年が10年ぐらい違うともう既に生きてる文化がだいぶ違う人間になっている。そのため、どの世代に生まれたかによって起きる世代間のジェネレーションギャップが大きかったりする。
人間は10代の頃に過ごした文化の価値観をベースにほとんど生きている法則があるため、その当事者の過ごしていた文化は重要である。
だから、世代ごとの社会状況や流行った思想を追う「世代論」を考察すると、色々と読めてくるものがある。
自分も、ざっくりした「世代ごとの特徴」を以下でまとめたことがある。
それから、以前にnoteで葬送のフリーレン考察をした時に使った図があるため…
これにもう少し手を加えたものを見てみよう。
この中で1970年代と1980年代に注目すると・・・
1970年代は洋楽ロック全盛期とも言われるぐらいロックが流行っていた時代だった。ビートルズがウケていたのはもちろんのこと、それに追従するようなロックも流行っていたわけである。
こうした時代における若者は、権威への反抗やアツいロック精神を持つことが美徳である。だから不良っぽいものやタバコとかも割と流行っていた。
その一方で、1970年代に若い頃を過ごした世代は「シラケ世代」のようにも言われている。一昔前に上の世代(団塊世代)が起こした全学共闘会議による学生運動の影響がデカかったらしい。あれに触発された次世代の人がいた一方で、失敗に終わってしまった大規模闘争だったのでシラケてしまった人もいたらしい。
また、インベーダーゲームやウォークマンが登場したり、娯楽コンテンツがどんどん多様化していった時代でもあった。
そうした世代は団塊世代と比べると、アツい根性論や政治の話は苦手で、「楽しいことをして生きていけば良い」みたいな風潮も出てくるようになっていた。
そして、1980年に週刊少年ジャンプで『Dr.スランプ アラレちゃん』が連載開始される。あと、週刊少年サンデーでは1978年に『うる星やつら』が連載開始されていた。
この辺り以降から漫画やアニメを好むオタクみたいな人がどんどん増えていき、「オタク=漫画やアニメにハマる人間」のイメージになっていく。これが「オタク第二世代」とも呼ばれている。
1980年代はその一方で、不良カルチャーが流行ったような時代でもあった。そもそも1970年代から「ツッパリ」や「スケバン」といったワードが出てきて、校内暴力が盛んであちこちでその話題が出てくる時代だった。1980年代も「ヤンキー」というワードが出てきて、それに沿った不良文化が盛んだったり、暴走族がいた時代だった。
だからこの辺りからヤンキーとオタクの二極みたいなものが出てくるようにもなる。
そんな時代の中で・・・1955年に生まれて1965年あたりから10代を過ごしたのが鳥山明であり、ヌーソロジー提唱者の半田広宣は1956年に生まれて1966年あたりから10代を過ごしている。
また、1987年に生まれたのがRaimuである。
自分達が生きた1970年~2000年の時代は、まさしく変わり目の時代だった。
半田広宣はロックカルチャーの時代の中で必然的にビートルズにハマっていて、ロック全盛期を過ごしたロックンローラー路線みたいな人間だが、自分は完全にオタクカルチャーを生きるような人間だった。
そして、鳥山明は新しい時代のためにオタクカルチャーを切り開いていったような人間であり、『Dr.スランプ アラレちゃん』が出た後に生まれた自分も当然その影響を受けた。
(ちなみに、鳥山明の『ドラゴンボール』の流行が直撃するのは氷河期世代の辺りだが、自分はその後の活動において影響を受けていた)
こうしてそれぞれが時代の因縁に沿ったような生き方をしている中、ロックカルチャーとオタクカルチャーの対比関係について考えると、色々と思う所がある。
次元観察子ψ11~ψ12と、次元観察子ψ13~ψ14について
まずは『次元観察子ψ11~ψ12』と『次元観察子ψ13~ψ14』について・・・・
これはヌーソロジー用語なので、知ってる前提で話したいし、知ってる人向けに話したい。
とくに、『次元観察子』についての説明は完全に省こうと思う。
これは以下でも説明している概念である。
そして、『次元観察子ψ11~ψ12』は次元観察子が11と12まで進んだ段階のものであり、これは人間の自我の発達段階や、人類の歴史の発達段階にも関係してくる。
※人間の自我の発達段階や人類の歴史の発達段階でそれを捉える場合、ψ12が先手になるため本当は『次元観察子ψ12~ψ11』と記載する方が正確なのだが・・・ここでは便宜上『次元観察子ψ11~ψ12』の記載で統一する。
あとで詳しく説明するが、『次元観察子ψ11~ψ12』には前半と後半が存在し、とくに後半のψ11~ψ12に関してはドゥルーズ=ガタリの書籍『アンチ・オイディプス』に出てくる「資本主義機械」がここに対応すると言われていて、この段階においてψ12を先手にして生きることは、資本主義に対して従順に生きることに該当する。
次いで、『次元観察子ψ13~ψ14』は次元観察子が13と14まで進んだ段階のものである。
ドゥルーズ=ガタリの哲学だとこれが何に該当するかに関しては、当てはまるものがない。
資本主義の次の段階であり、コンピューターが登場して以降の社会がそれに該当すると言われている。
先のブログでは「死の次元」のように説明されているが、具体的に何のことを言ってるのかを説明するのは難しい。
このあたりについて、これから深く掘り下げていこう。
次元観察子ψ11~ψ12(前半)と次元観察子ψ11~ψ12(後半)について
ここから詳しくヌーソロジーの話をしていこう。
『次元観察子ψ11~ψ12』の理解を深めていく。
書籍『シュタイナー思想とヌーソロジー』にあった図を基にした以下の図をベースに進めていこう。
先に少し説明した通り次元観察子ψ11~ψ12には前半と後半があり、
上記のように「赤の要素」と「青の要素」が入れ替わったりしている。
図の左側は一貫して物質主義的で、右側は精神主義的なものだと思ってもらえれば良い。
最終的には以下のような事象に紐づいてまとめられるが、
人類の歴史を総まとめした色んな事象がそこに含まれているため・・・
一つずつちゃんと説明していこう。
次元観察子ψ11~ψ12(前半)について詳しく
まずは、『次元観察子ψ11~ψ12(前半)』について説明する。
ヌーソロジー的に、人類に次元観察子ψ11~ψ12(前半)の意識が芽生えたのは近代に入ってかららしい。
近代というのは具体的には17世紀に入ってからである。
最重要人物はデカルトとニュートンで、デカルトが『方法序説』の中で座標の発想を用いたり、ニュートンが万有引力の法則を発見したり、ニュートン物理学(古典物理学)を創始したりした。
これらはコンピューターで物理現象を再現してバーチャル空間を作る上でも必須のものであり、現代でも当然の概念として通じている。
日本の場合はそうした西洋文化が日本にやってきてからの話なため、1853年の黒船来航がそのスタートになる。
ニュートンの偉大さは科学を学んでいる人なら誰もが知っているであろう。
ニュートンの物理学は古典物理学と言われ、今の科学のベースの考え方にもなっている。
そこから学問において「自然科学」のジャンルができて、人類の「科学の時代」がスタートした。
あらゆる機械を作る場合はこれが基本になるし、石炭や石油によるエネルギーを使った機械もこれが基本になる。
さらにそれが18世紀半ばからの産業革命へと発展し、人類に対して莫大な恵みをもたらすことになるので、そうしたものを扱う「近代理性」を尊ぶ「近代理性至上主義」みたいなのが出てくる時代になっていく。
そして、図の左側にあるψ11前半のキーワードは「近代理性」と「コギト」とある。
「近代理性」は先も説明した通り、ニュートン物理学のように自然をコントロールして人間に恵みをもたらすための理性と捉えてもらって良い。
それがさらに「原子」の発見や、「電子」の発見にも繋がり、人間は自然を物質的にコントロールできるという意識に基づく「自我」が出てくるようになった。
それから、「コギト」はラテン語であり、デカルトの『方法序説』の中に書かれている「我思う、ゆえに我あり」の格言が有名である。
これをラテン語に訳すと「Cogito, ergo sum(コギト・エルゴ・スム)」であり、「我思う」の意味を持つのが「コギト」であり、「考える」「意識する」といった意味でもある。
デカルトのこの言葉は合理論の発祥とも言われていて、合理論は「人間の理性に基づいて、論理的に世界を把握しようとする考え方」のことを言う。
つまり、そうした合理論のベースの意識になっているものが「コギト」である。
次いで、図の右側にあるψ12前半のキーワードは「自己意識」と「ルネッサンス」である。
「自己意識」は精神分析の用語のようなものだが・・・ひとまず、「自立しようとする意識」と「自立のための欲望」と理解しておこう。
ここに至るまでの人類は、割と「国家や宗教に忠実になる意識」しか持っていないようなものだったが、そこから自立するための意識が芽生えてくる。そのための欲望が「自己意識」だと思ってもらえれば良い。
また、「理性」による規範があまりにも厳しすぎる場合、「性愛」も抑圧の対象になったりするため、男も女もそこから自立するには「性愛」が重要になってくる。
ちょうど、人間の思春期において必要なテーマがここで必要なテーマと被ってくるようになる。
それから、「ルネッサンス」は「再生」「復活」などを意味するフランス語であり、ギリシャやローマの文化を復興しようとする文化運動のことを指す。14世紀にイタリアで始まり、16世紀ぐらいまで西ヨーロッパ各国に広まっていったとされる。
その運動ではキリスト教を絶対視する風潮が疑問視され、ギリシャやローマの豊饒な文化、奥深い哲学・芸術が注目され、絵画・思想・音楽といった分野で新しい文化が発展した。
また、従来だったらキリスト教から異端視されていたような錬金術や占星術、アラビアの護符魔術、ユダヤ神秘主義カバラ、その他の西洋魔術の分野も発展するようになった。
こうした魔術運動は後々ではスピリチュアリズム(心霊主義)として残るようになる。
以上のように、一方では科学のベースとなる理性、もう一方ではルネッサンスの文化運動のような意識が動いているのが次元観察子ψ11~ψ12(前半)の段階である。
これが始まったのは14世紀(ルネサンス)や17世紀(デカルト登場)ということになっているが、20世紀・21世紀の現代人でも持っているようなものである。
次元観察子ψ11~ψ12(後半)について詳しく
次に、次元観察子ψ11~ψ12(後半)について説明する。
この段階をまず一言で説明するなら「資本主義」である。
近代理性による産業革命によってそれなりに合理的に物を得る手段を確立することができた。
その次に人類はどこへ向かえば良いのか?
アメリカやヨーロッパが率先して豊かな社会作りに励み、経済的に豊かな先進国となり、そのシステムをグローバル化していった。
日本もそれに追従していき、戦後の高度経済成長期でどんどん発展し・・・
資本主義や民主主義をベースとする今の社会が最終的に出来上がった。
そして、図の左側にあるψ12後半も、その段階における「物質的な勢力」であり、
資本主義や欧米のグローバル化による意識に該当する。
ψ12後半は精神分析的には「自己意識のパラノ化」がキーワードとなる。
「パラノ化」とは他者に従順な労働者のような意識になることを言う。
ψ12前半で芽生えた「自己意識」は、宗教や国家から自立するような意識であったが、それがまた資本主義に組み込まれるようになって、何かに従順になるような価値観に染まってしまう。
資本主義においては金銭を得ることが絶対的な価値基準であり、我々は普通に生きてるとその価値観で生きてしまう。
確かに、特定の国王が支配するような社会主義と比べると、資本主義には自由が保障されているようなのだが…
「私はこれをやりたい」という欲望を、「お金を稼ぐためにやりたい」という欲望に重ねないといけないような特徴が資本主義にはある。
精神分析家のラカンが「人間の欲望は他者の欲望である」という格言を残した。この言葉は資本主義における精神構造を表したものでもあり、とても奥が深い。
自分がやりたいことは、実は他者が要求していることであり、自己の欲望は他者の欲望になっているのではないか?
他者の目線を気にして生きていると、自己の欲望と他者の欲望が同一みたいになってくる。
本当にこれが自分の欲望で良いのだろうか?
そんな精神構造になってくるのがこの段階である。
そして、これは現代人が今まさに突き当たっている問題なので、ずっと考えていかなければならない・・・
次いで、図の右側にあるψ11後半は、そんなψ12後半に対抗するための意識だが・・・
これを説明するのが一番難しい。
ψ11後半のキーワードは「理性のスキゾ化」である。
スキゾはパラノの反対で、フラフラと定住しない意識、ノマド(遊牧民)みたいなものを表すが…
元の意味は「Schizophrenie(分裂症)」だったり、哲学者ドゥルーズはスキゾに微分の概念を絡めていたりと、その本質をつきつめるともっと奥が深い。
「理性のスキゾ化」となると、理性をルネッサンスのようにダイナミックな芸術性を持ったものにするような・・・そんな力が必要になる。
現代人はこれをどう表現すれば良いのだろうか?
試行錯誤が求められる・・・
ヌーソロジーでは一例として「量子力学」が挙げられている。
ニュートンの創始した物理学は「古典物理学」で、相対性理論と量子力学が出てきてからの物理学は「現代物理学」と言われている。
量子力学は1930年代頃から確立されていったものだが、古典物理学ではあり得ないような素粒子の仕組みがどんどん明らかになっていて、これまでの常識を改めるしかなくなった。
つまり、量子力学はニュートンやデカルトから派生するような「理性」を覆す内容になっているため、ψ11後半の力が期待できるわけである。
そして、ヌーソロジーである。
ヌーソロジーは「冥王星のオコツト」と名乗るチャネリング存在が半田広宣の元に現れた結果できた思想である。
実はヌーソロジー的に「冥王星とψ11」は密接な関係にあるため、ψ11後半を明らかにするために出てきたのがヌーソロジーなのでは?とも考えることができる。
それから、もう一つ鍵となるのはコンピューターである。
そもそもコンピューターも量子力学によって出てきたものである。
半導体を作るのにその物理学が使われているし、メモリカードに情報を保存する技術には量子トンネル効果が使われている。
情報を電波で飛ばす技術も電磁気学がベースであり、電磁気学と量子力学も密接な関係にあるため重要である。
マイクロソフトの創始者、ビル・ゲイツが10代を過ごしていたのは1968年あたりからだが、この頃のコンピューターは今みたいに飽きるほどにありふれたものというよりか、世の中を大変革させるほどに革新的なものだった。
ビル・ゲイツのようなコンピューターの専門家は、デカルトのような理性を持つψ11前半の理系科学者のようなものかもしれないが・・・
そこに「人類が平和で自由であって欲しい」という精神があった場合、ψ11後半的なものもあるのではないだろうか?
そうしたψ11のあたりには、いわゆる「オタク第一世代」的なオタク精神があるかもしれない。
このように、次元観察子ψ11の段階でもコンピューター的なものが絡んでくるが、それは「大衆的でない頃のコンピューター」みたいなものだろう。
そして、それが「ファミリーコンピューター」のように「大衆的なコンピューター」になっていき、当たり前のようにどんどん普及していった時・・・
今度は次の段階である『次元観察子ψ13~ψ14』の話になってくると思う。
ロックカルチャーと資本主義
さて、『次元観察子ψ11~ψ12』の話を踏まえて…
ここで改めてロックカルチャーについて考えよう。
「ロック」とは音楽ジャンルの一種とされているが、その起源は1950年代のアメリカの黒人音楽であるロックンロールやブルース、カントリーミュージック・・・といったものになるらしい。
それが1960年代以降に大きく変化し、強いビートと電気的に増幅した大音量のサウンドを用いるものになった。
イギリスのロックバンド『ビートルズ』がその代表として有名であり、「ロック」を音楽ジャンルとして世界中に印象づけた。
初期の頃はとくに反権威のための音楽みたいなイメージがあり、体制に対する反乱・政治・社会的問題・芸術・恋愛・セックス・哲学・・・など、幅広いテーマを扱うものとされている。
また、1960年代だと、アメリカで起きたヒッピームーブメントとも絡んでくる。
ヒッピームーブメントとは1960年代後半あたりで出てきた旧来の価値観に対抗するカウンターカルチャーのムーブメントであり、当時の社会で起きていたベトナム戦争や徴兵制に反対し、そうした暴力に対して非暴力で対抗するべく、自然と愛と平和とセックスと自由の力を信じる若者が集まった。
音楽や麻薬の力を信じ、自然食・環境運動・動物愛護に傾倒したり、LSD・マジックマッシュルーム・マリファナといったドラッグを擁護したり、ヨガ・インド哲学・禅・仏教などの東洋思想に関心を持ったりと・・・これまでの欧米の思想にはない概念を引き出していきながら、調和に満ちたユートピアを夢見たムーブメントである。
音楽の力を信じる若者達のムーブメントということで、当然そこにロック音楽も混じるようになってくる。
その後、「ロック」という言葉には多様な意味づけがされていくので、ロック音楽はどんなジャンルを指しているかが幅広くて語るのが難しいが・・・
ここでは反権威性を持ったものや、ヒッピームーブメントと絡んだものを強調していこう。
ヒッピームーブメントといったら有名なのは1969年のヒッピーの祭典『ウッドストック・フェスティバル』である。
これはヒッピーの祭典でありながらも、世界初の大規模野外フェスティバルであったため、音楽の界隈でも伝説的に有名な祭典である。
以下、そこに参加していたロックバンド『サンタナ』が演奏している様子である。
これを見れば『ウッドストック・フェティバル』の雰囲気が大体分かるだろう。
世界初の野外フェス、地平線ができるほどの人の量、上半身裸の人、色んな肌の人、最高峰レベルの演奏技術、エレキ系の楽器、スピーカーによる音の拡張、騒いで踊っての大盛り上がり・・・(あと、薬キメてる人もいっぱいいたらしい)
1960年代のヒッピーカルチャーとロックカルチャーがピークだった頃の様子がそこに映されている。
こうしたカウンターカルチャーはヌーソロジー的には何に該当するのかというと…
主にψ12前半であり、ルネッサンス的な力を持ったものとほとんど被るのではないか?と思う。
ルネッサンスの時はキリスト教が権威として君臨していて、それに対抗する意識みたいなものだったが…
ロックやヒッピーは1960年代頃の社会体制が対抗相手になっていたようなものである。
当時のアメリカではベトナム戦争や徴兵制が問題になっていたため、その対抗として生まれていたのもあるし、セックスを好むのは伝統的キリスト教への対抗であるし、ドラッグを用いるのは理性への対抗でもあった。
また、浮わついた考えだけでなく、禅やヨガなどの東洋思想や、新しいスピリチュアリズムを求めようとする姿勢も、ルネッサンスのようなカウンターカルチャーとして興味深い。
しかしながら、そんな魅力のあったヒッピーカルチャーも・・・
暴力問題、薬物中毒問題、性犯罪問題と色んな問題も抱えていて・・・
全盛期が過ぎて衰退してしまったわけだが・・・
ヒッピーカルチャー衰退以降、近年でロックといったら電気的で刺激的なものが強調される音楽としての側面が強いだろう。
社会運動的な価値や哲学的な価値がどこかしらにあったロックというより、刺激的で盛り上がるためのロックである。
これは音楽業界全般に言える話だが、ミュージシャンは生活のためにお金が欲しいのが当然であり、音楽を売る企業も利益を上げたいのが当然である。
ロックのような音楽はどうしても稼いで売るための音楽に変貌し、商業的になってしまう。
これはまさしくψ12後半的なものであり、「自立のための欲望の金銭還元」でもある。
このように、「反権威性を持ったものとしてのロック」と「資本主義の中にあるものとして機能するロック」という二面性があるのが「ロック」というジャンルだろう。
それを踏まえると一層「ロックカルチャーは次元観察子ψ11~ψ12にあるもの」とハッキリと言うことができる。
「電気を使うもの」としてのロック
ロックを語る上でもう一つ重要なキーワード・・・もとい物理現象がある。
それは「電気」である。
ロックの大元は1950年代のロックンロールやブルース、カントリーミュージック・・・とされているが、
1960年代以降に大きく変化し、強いビートと電気的に増幅した大音量サウンドを用いるものになっている。
エレキギターなんてものもあるわけだし、電気音がロックの中心みたいになることもあるだろう。
先ほど紹介した『ウッドストック・フェスティバル』での『サンタナ』による演奏でも、エレキギターにエレクトローンの音色が格好良くキメられていたし、大音量サウンドへ拡張することで野外で遠くまで聞こえるようになっていた。
電気といったら「電子」であり・・・
電子といったらヌーソロジーでは『次元観察子ψ11』に対応する素粒子とも言われている。
そもそも電気というものは、1752年にフランクリンが雷にある電気を発見したのが近代における始まりで、そこから徐々に解明が進んでいき・・・
1831年にファラデーが磁石とコイルで電気が発生することを発見したり…
1879年にエジソンが電球を発明したり…
1887年に二コラ・テスラが交流電気方式を発明したりする。
これらもニュートンやデカルトから始まる「近代理性」の産物だと言えるだろう。
そのため、電気を一種の「理性」の象徴とした場合、
それを使ったエレキギターでスキゾ的な演奏を行うことができれば・・・これも「理性のスキゾ化」(=ψ11後半)ということになるのだろうか?
そのスキゾ的なパワーが実際に時代を揺るがすものになっているかは・・・結果的に微妙な所だが・・・
古典的なやり方として重要なヒントはあるかもしれない。
人間の定質と人間の性質
以下の事象について一通り説明していった。
ヌーソロジーでは『次元観察子ψ11』は『人間の定質』、『次元観察子ψ12』は『人間の性質』とも言われており、それらは人間の世界における最高峰の対化のように機能している。
それから、『人間の定質』と『人間の性質』の特徴は、その前段階の力を総ざらいすることである。
よって、ψ12後半はψ11前半の力も持っているし、さらにψ9(思形)の力も持っている。また、ψ11後半もψ12前半の力も持っているし、さらにψ10(感性)の力も持っている。
それらを総ざらいした『人間の定質』と『人間の性質』の要素を列挙すると、以下のようになる。
両者の大体のイメージが掴めるだろうか?
左側は「自己意識のパラノ化」と「近代理性・コギト」の科学主義的な力に加えて、一神教的な力や言語の力を持っている。
また、右側は「理性のスキゾ化」と「自己意識・ルネッサンス」の心霊主義的な力に加えて、多神教的な力や感性の力を持っている
・・・みたいな感じである。
それから、ψ11とψ12の力でキーワードとなるのは身体性である。
ヌーソロジーには『凝縮化』という働きがあり、ψ11はψ*5に凝縮化し、ψ12がψ*6に凝縮化する・・・
だから、ψ11はψ5に関係してくるし、ψ12はψ6に関係してくる。
そして、ψ5とψ6は共に「身体の次元」であるため、ψ11とψ12も身体性が重要になってくる。
『次元観察子ψ11~ψ12』は身体性が絡んでくる次元ということで…
その次である『次元観察子ψ13~ψ14』は「脱・身体性」のような話になってくる。
デジタル資本主義とオタクの時代への狼煙
以上で説明したように、ロックカルチャーが流行っていた時代は、身体性と、あと政治に対する意識や反権威の精神みたいなものが割とあった時代だった。
そんな時代から1980年・・・
ついにアレが現れた。
「んちゃ!」
週刊少年ジャンプで鳥山明による漫画『Dr.スランプ アラレちゃん』の連載開始である。
まず、鳥山明の何がすごかったかというと、単純に絵が抜群に上手かった。他の漫画家と比べて圧倒的に細かく描き込まれ、デフォルメな部分とリアルな部分の緩急のつけ方が天才的である。そうした技術的なすごさもあったが・・・
アラレちゃんの内容も革新的だった。当時のジャンプで連載されていたものというと、どれも内容がスポ根ものっぽかったり、主人公が熱血な男の顔であり、よく見かけるようなパターンの絵柄で構成されるものが多かった・・・らしい。
そんな中で、アラレちゃんは可愛いメガネの女の子が主人公という時点で完全に新しかったし、その明るくシュールな世界観も、当時の雰囲気を吹き飛ばすような強いインパクトを持っていた。
昔の価値観で「強い主人公」といったら「熱血精神とド根性で努力する男」みたいなのが定番だったが、アラレちゃんみたいに「無垢な存在なんだけどハチャメチャに強い主人公」というのが当時の感覚ではあり得なかった。
自分(Raimu)の時代の場合は「星のカービィ」とかが当たり前だったので、これが革新的って発想が既になかった。
ちなみに、1955年生まれの鳥山明は、ここで説明している世代論だとポスト団塊世代に該当し、これはさらにシラケ世代と呼ばれることもある。
シラケ世代は上の世代よりも政治的なテーマに関心を持たないし、楽しく生きることに関心を持つ傾向が出てきたらしい。
鳥山明の場合はとくにその特徴が強いのか、楽しく生きるための娯楽作品に徹するスタンスをずっと続けている。
そんな鳥山明は、同じく漫画家で1978年あたりに週刊少年サンデーで『うる星やつら』を描いた高橋留美子と同様の役割を果たしたみたいな所がある。
それらの後から「オタク=漫画やアニメを好む者・二次元の可愛い女の子が好きな者」みたいな「オタク第二世代」と呼ばれるものが登場してくる。
さらに鳥山明はそれ以降のゲームカルチャーとも相性が良かった。
1984年の『ドラゴンボール』の連載開始の後、1986年発売の『ドラゴンクエスト』にキャラクターデザイナーとして関わることになり、その分野でも有名になった。
ドラゴンクエストをデザインしたことによる偉業は本当にすさまじいもので・・・
中世西洋モチーフのジャパニーズファンタジーの大体は鳥山明の描いたイメージに影響を受けていると言っても良い。
一種のファンタジー的な世界観の中核を担っているぐらいの凄さである。
こうして、鳥山明は「オタク=ファミコンなどのゲームが好きな者」である「オタク第三世代」を支えるような存在にもなった。
当ブログの『オタクとは何か?』シリーズで書いたように、ここから先はどんどんオタクの時代に突入してくる。
さらに2000年代に進むと、『BMSとアートとロック時代とコンピューター時代について考える』で書いたようなBMSが登場する時代にもなる。
こうしたオタクカルチャー、コンピューターカルチャーが、『次元観察子ψ11〜ψ12』の次の段階である『次元観察子ψ13〜ψ14』の話になるわけである。
次元観察子ψ13~ψ14について
さて、いよいよ『次元観察子ψ13〜ψ14』についてを説明していこう。
これはヌーソロジーが『最終構成』と呼ぶ段階のものであり、
「歴史の死の次元」とも言われているが・・・
ここから先はまだそこまで考察が進められていない。
ヌーソロジー提唱者の半田広宣からも言及が少ない。未知の領域である。
まず、ψ13のキーワードに『観察精神』がある。
ψ11が『人間の定質』、ψ12が『人間の性質』と名称がつくように、ψ13は『人間の観察精神』と名称がついている。
したがって、「定質(11)と性質(12)の等化⇒観察精神(13)」の構造になっている。
それから、『次元観察子ψ11~ψ12』はドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』の概念によると「資本主義機械」が機能していることになっているが…
『次元観察子ψ13~ψ14』に機能しているものは名称が存在しない。
だから「デジタル資本主義機械」とでも呼んでおこう。
ψ13とψ14を簡潔に捉えると・・・
そこはデジタル資本主義機械が機能するデジタル社会における意識の場であり、
そうしたデジタル社会におけるパラノ化がψ14で…
デジタル社会におけるスキゾ化がψ13だと言うことができるだろう。
『次元観察子ψ13~ψ14』を理解するためのキーワードは…
「虚構」と「人間でないもの」である。
身体性があって人間臭かった『次元観察子ψ11〜ψ12』の段階から一新し、「脱・身体性」の方向に行くようになったその先には「人間でないもの」を求める意識へと行きつく。
その一方で、コンピューターが発展して当たり前の世の中になったため、デジタルの世界でイメージを作ることがどんどん容易になっていった。そうすると、デジタルで作られた「虚構」がどんどん増えていくようになり、人間の意識はそちら側に圧倒されるようにもなっていった。
「虚構」は言い換えると「情報」でもあり、コンピューターによって情報の保存がどんどん容易になっていった他、インターネットによって情報を全世界に発信したり、各端末から発信された情報を受け取って楽しむこともできる。それは友達とのコミュニケーションにも使えるし、難しい学問の勉強にも使える。
それが行き過ぎると「情報過多」になってしまうような状況でもあるが・・・情報を得るのに困ることが無くなったすごい時代でもある。
21世紀からの現代はそんな「情報革命」が起きた後のデジタル社会になった。
そんなデジタル社会の中で、デジタルで作れるような科学側の「人間でないもの」がψ14側にあり、もう一方でそれとは違った「人間でないもの」がψ13側にあるのではないだろうか?
そして、その上で行われるのは「総括」である。
ψ14はψ12後半・ψ11前半・ψ9といった『人間の性質』の力をデジタル社会の中で総合的に持ち…
ψ13はψ11後半・ψ12前半・ψ10といった『人間の定質』の力をデジタル社会の中で総合的に持つようになる。
以上がψ13~ψ14の理解のための基本になるだろう。
『次元観察子ψ13~ψ14』への考察はもう少し深堀りしていきたいが・・・・
長くなったので(中編)へと続けよう。
↓続き