
不定期連載『変換人型ゲシュタルト論』シリーズ。 記事一覧はこちら。
これまで構造の話をしてきたので、今度はまたそのイメージに絡んだ話をしてみよう。
例えば、『次元観察子ψ6』は他者や社会に対しては影響を与えるパワーが強いものなため、分かりやすいパワーを持っているイメージになる。
対して、『次元観察子ψ5』は「自己」の方向性のものである。これは植物のように安らかなイメージに近いかもしれないが、他者や社会に対して影響を与えるパワーには欠ける。
そして、ψ5とψ6を『等化』した『次元観察子ψ7』は、ψ5のように自己へと根づきながらも、ψ6のように他者や社会に対して影響を与えるパワーを持っているのではないだろうか?
そして、それはどんなイメージのものになるのだろうか?
そのイメージを探るべく・・・まずは『凝縮化』という概念について説明する。
凝縮化の構造と上位次元
ヌーソロジーには『凝縮化』と呼ばれる概念がある。
これは「冥王星のオコツト」が発言したヌーソロジー用語である。
以下、半田広宣さんのブログ記事『時間と別れるための50の方法』から引用する。
タカヒマラという精神構造体には、この顕在化した次元観察子群が凝縮化を起こすことによって、次の次元(他者側の次元であるψ*側)の元止揚空間を形作る力となっていくような仕組みが存在しています。
ψ7~ψ8 ………→ ψ*1~ψ*2へ凝縮化
ψ9~ψ10 ………→ ψ*3~ψ*4へ凝縮化
ψ11~ψ12 ………→ ψ*5~ψ*6へ凝縮化
ψ13~ψ14 ………→ ψ*7~ψ*8へ凝縮化
先ほどの引用にあったように、端的に説明するとψ7→ψ*1になるのが『凝縮化』である。
また、これは『次元観察子ψ7』から、『大系観察子』のΩ1になることにも絡んでいる。
潜在化と顕在化の関係は、意識振動における1オクターブ上の倍音共鳴のようなものである。顕在化におけるψ7〜ψ8はそのまま大系観察子Ω1〜Ω2を構成し、Ω1〜Ω2は次の次元形成においてψ*1〜ψ*2へと凝縮化を行なう(反対側=他者側に回り込むという意味)
要するに、以下の図のような構成になっている。

この仕組みは何を意味するのだろうか?
ヌーソロジーにおける「凝縮化」は、つきつめるとかなり複雑で難しい概念なため、その詳細について書いていくと長い話になってしまうが・・・
ひとまず、ここで押さえておくべきことは・・・
ψ7はψ*13の凝縮化であるため、その上位にはψ13があるということである。
さらに、ψ13はΩ7を構成するものでもある。
・・・・ということは、ψ7の上位にはψ13があり、それはさらにΩ7とも絡んでいることになる。

加えて、ψ7がΩ7と絡んでいるということは、ψ5,ψ6もそれぞれΩ5,Ω6に絡んでいる。
そこで出てくる『大系観察子』のΩ5,Ω6,Ω7が、それぞれ「太陽」「火星」「木星」の本質的な力に該当するのである。
対して、『次元観察子』のψ5,ψ6,ψ7はその片鱗であるため、図にすると以下のようになる。

このように、『次元観察子ψ5』『次元観察子ψ6』『次元観察子ψ7』とその上位にあるものとの関係についてをまずは覚えておこう。
グローバリズムと反グローバリズム
そして、ここで話を『次元観察子』のψ11、ψ12、ψ13にフォーカスしていこう。
この次元は個人の話というより、人類史における人類全体の意識の話になるので、壮大な領域である。
ヌーソロジーで読み解く人類史において、『次元観察子ψ11』と『次元観察子ψ12』が出てくるのは、ケイブコンパスにおける以下の図である。

これは、人類史の進化において、ヌーソロジーの「ψ9~ψ10」⇒「ψ11~ψ12」の意識の移行が表れていることを説明する図である。
この図を詳しく説明すると非常に長い話になる・・・ため、今回は結論だけ説明しよう。
結論から書くと、ψ11〜ψ12の段階ではグローバリズムと反グローバリズムの対立が起きている。
そして、ψ11とψ12のどちらがグローバリズムで、どちらが反グローバリズムなのか?の話は少しややこしい。
以下のように、前半と後半に分かれていて、「ψ11前半とψ12後半」がグローバリズム、「ψ12前半とψ11後半」が反グローバリズムに該当する。

さて、そもそも「グローバリズム」とは何だったのか?
WikipediaやChatGPTで調べれば、その一般的な意味はすぐに分かると思う。
グローバリズムとは、経済の自由化や規制緩和を進め、貿易や投資を活発化させることで、世界を一体化させようとする思想・政策のことです。グローバリズムは、国境を越えたモノ、人、資本の移動を促進し、世界全体で経済的な利益を追求することを目指しますが、その推進により格差拡大や社会的な問題を引き起こすという批判もあります。
(ChatGPTによる説明)
ヌーソロジー的にグローバリズムを考えると、「資本主義の欲動+科学的理性」が重要である。「資本主義の欲動」と「科学的理性」・・・この2つこそ、人類の文明の終焉の時代において最も力を持つものであり、ψ11とψ12がそれと関係している。
人類史はこれからも続いていくだろうが、人類の文明はこれ以上発展するビジョンが描きづらくなっている。だから「資本主義」と「科学」の2つは文明の最後に出てきたものとして、大きな力を持ち続けているわけである。
だから、ヌーソロジー的なグローバリズムとは、「資本主義の欲動+科学的理性」の力を持ったものが世界中に広がることである。
その内容は多様であるかもしれないが、結果的にアメリカが非常にその力を強く持っていたため、アメリカの文化が世界中に広がることになった。
マクドナルドやコカ・コーラが世界中に広がっているのは、それらが「資本主義の欲動+科学的理性」の賜物だからである。端的に説明すると、グローバリズムとはそのような文化が世界中に広がることになっている。
一方で、「反グローバリズム」とは、そのようなグローバリズムに対するアンチテーゼであり、グローバリズムに抗う思想である。
「科学」の反対は「自然」であり、「理性」の反対は「感性」みたいなものである。
「資本主義の欲動」の反対は、お金儲け至上主義や競争主義とは違った趣向になる。
だから、反グローバリズムと言うと、大体そのようなことを重視する思想になってくる。
アメリカで1960年代に起きたヒッピームーブメントも、反グローバリズムのためのカウンターカルチャーとして非常に大きいものだった。
そんなグローバリズムと反グローバリズムは、惑星だと太陽と火星にも関係している。


太陽と火星はこれまでψ5とψ6に絡んだものとして説明してきたが、これらは本質的にはΩ5とΩ6であるため、捉え方を変えるとψ11とψ12もその力を持っているのである。
ψ11とψ12のどちらがグローバリズムで、どちらが反グローバリズムなのか?の話は少しややこしいため、太陽と火星がそれぞれどっちになるのかも少しややこしい。
以下のように、前半と後半に分かれてることを考慮すると、前半だと「太陽」がグローバリズムで「火星」が反グローバリズム、後半だと「火星」がグローバリズムで「太陽」が反グローバリズムに該当することになる。

ヌーソロジー的には上記の図の右側は一貫して精神側であり、左側は一貫して物質側である。
だから、右側はノウス側であり、左側はノス側なため、ヌーソロジーは右側にある反グローバリズムの方が重要である。
だから、反グローバリズムを良いとして、グローバリズムを悪いとすればそれが正しい。
・・・とは決してならないため、注意が必要である。
グローバリズムと反グローバリズムの争い
現代は資本主義の終焉みたいな状況であり、そうした中でグローバリズムと反グローバリズムの対立が激しく行われることがよくある。

ここにおいては、グローバリズムが善で反グローバリズムを悪とするイデオロギーが争いを加速させるのはもちろんだが、反グローバリズムが善でグローバリズムを悪とするイデオロギーも同様に争いを加速させる。
そうした強力な善悪感は、ヌーソロジーにおける『等化』の天敵となるような「善悪二元論」であり、のめり込み過ぎると「他者化」も加速してしまう。
そのような価値観では永遠にグローバリズムと反グローバリズムが争う次元にずっといることになるだろう。
ヌーソロジー的に『等化』を目的とするならば、それを脱しないといけないわけである。
もちろん、争うのが好きな人は、グローバリズムと反グローバリズムのどちらかを巨悪とする価値観でいても構わないと思う。
争うのが好きじゃない人を巻き込まない程度に好きなようにすれば良いと思う。
ただ、何度も強調するが、『等化』を目的とする思想の場合はそれでは無理である。
巷でアセンションとか言っている人もそれでは無理である。人間らしい思考を手放すことがアセンションならば、それはヌーソロジーにも通じている。恐らく、反グローバリズムが善でグローバリズムが悪とすればそれでアセンションできるから良いと勘違いしているスピリチュアル系の人は多い。
・・・だから、その点は注意しないといけない。
グローバリズムの中にも反グローバリズムの中にも悪い者はいるし、良い者もいると普通に考えれば良いのではないだろうか?
あるいは、それらは双方が「回転」しているように、それぞれがそれぞれの機能を果たしているように捉えれば良いのではないだろうか?
ヌーソロジーが示す構造に表れているものも、そうした物事の捉え方に近いと思う。
グローバリズムと反グローバリズムを等化するもの
グローバリズムと反グローバリズムの争いがある一方で、さらにそれを超越した存在が『次元観察子ψ13』である。
これを『大系観察子Ω7』の力とすると、木星の力の本質ということになる。
木星は西洋占星術では「成功、膨張、拡大、幸運、哲学」などの意味を持つ。
ヌーソロジー的には、これはψ11とψ12にある両者を『等化』する力を持つものに該当する。
そのため、結果的に下位の次元にある争いを止めたり、治めたりする力を持っているだろう。
また、ヌーソロジーでは「日本精神」が重要視されている。
「冥王星のオコツト」がそもそも日本から発した存在であるからか、オコツトの存在自体から日本の文化や日本の神話と親和性が感じられるし、オコツト自身も日本についてを重視している。
ヌーソロジー的な日本精神とは、日本語を扱う者の精神である。そもそも「日本語」は他の言語と違った特別な力を持っているとオコツトが言っていた。
日本語は「表音文字」の一種で、オノマトペが豊富な言語である。それは言葉に対して記号的に意味が割り当てられているだけでなく、文字の響きそのものに意味が含まれていることがある。
そうした文字には「言霊」が宿るとされるため、日本の和歌などは、言霊を意識して作られたかのようなものが多い。
だから、日本語を扱うことで、文字のように記号的・機械的なものに対して、精神的・霊的な力を感じとることができる。
そこから想起されて発展するものが、日本精神である。
そして、こうした日本精神もまた、木星の力に近いのではないだろうか?
端的に言うと、木星はψ11とψ12の次の段階にあるものであり、その次のψ13の力とψ14の力は、合わせて「和」の力を持っているようなものである。
日本精神とは、そうした「和」の力のようなものなのかもしれない・・・

資本主義の終焉の時代で、グローバリズムと反グローバリズムの対立が激しく行われ、その等化と中和がある中で、重要な役割を持っているのが日本精神なのではないだろうか?
今現在、実際にそういうことが起きているのではないだろうか?
このように、「ψ5・ψ6・ψ7」の関係を拡張して、「ψ11 ・ψ12・ψ13」の関係について考えると、『次元観察子ψ7』と繋がる木星の力と日本精神についてが分かってくると思う。
資本主義の終焉の時代と、人間と神の関係
人類史における『次元観察子ψ11〜ψ12』についてと、その次の段階の話は、漫画カルチャーとの関係を絡めて以下でも説明したため、先ほどの図をもう少し詳しく知りたい人はそれを読むと良いと思う。

そして、『次元観察子ψ7』とそれとの関係を考えていくと・・・非常にスケールの大きい話になってくる。
『次元観察子ψ5』の時も「神とは何か?」がうっすらと分かる次元であったが、『次元観察子ψ7』になるとそれが一層深まる。
ヌーソロジー的な人間の最終目標である「モノになる」は、それを理解することと自然と繋がるのである。
このことを、知識と認識が一体となったグノーシス(gnosis)で理解することが、そもそものヌーソロジーの目的であった。
さらに、個人としての自己がそれを達成し、自己と他者の『等化』の次元まで行くことは、人類全体にとっても重要な意味がある。
もし、人間がそうした知性を獲得すれば、グローバリズムと反グローバリズムが争う人間の次元から脱却し、戦争のような争いごとはしなくて済むようになるだろう。
それから、物質主義に対抗するスピリチュアル性を持ちつつ、科学を使いこなすことができるようになるため、自然に対する向き合い方も大きく変わることになるかもしれない。
神と人間の理想の関係を考えると、人類はそうした方向へ行くべきなのではないだろうか?
ヌーソロジーをつきつめていくと、そんな壮大な話にも繋がっていくわけである。
(続く)

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2013:The Day God Sees God 人類が神を見る日 [ digital edition ]
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