不定期連載『サイキックの研究と分析』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇サイキックに必要な心がけ その1◆◇
これまで、サイキックについて色々と書いたり、
『物質の世界』と『波の世界』をベースに
その原理や法則についての話をしていきました。
ここで説明しているサイキックとは
『波の世界』にあるものから力を得る行為ですが、
それを扱うにはリスクも伴うものでもあります。
ここで、サイキックを扱うのに必要な「心がけ」について改めて書いていこうと思います。
先人の知恵から物事を学ぼう
まず、サイキックを扱うための心がけは、
魔法や魔術を扱うための心がけと同義です。
これについては自分の著書である『リアル魔法使い研究』にある
『精神修養について』の項でも書きました。
まぁ大体、仏教あたりでも「煩悩をどうにかせよ」という話がよく出てきますが、
それにも近い問題になってくると思います。
お坊さんが仏に近づくために修行をいっぱいするのが仏道というものだし、
仏道は本来サイキックの意識を目覚めさせるようなものなので、
そういうのは大昔からありました。
これについて突き詰めると本一冊分じゃ足りないぐらいになりそうですが・・・
古今東西の修行者が悩んだ分野なので、先人の知恵がいっぱいあります。
なので色んな本でも読んどけば良いのでは?と思います。
本を読んで色んな知識を得るのは基本です。
サイキックの分野だとシュタイナー先生の『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』とかがオススメです。
これは何度でもオススメできる一品。
簡潔に言うと・・・
サイキックの心がけで一番重要なことは、
『「波の世界」のものを受信する』の項で、
サイキックの天敵は妄想である
と書きました。
入門のあたりはほとんどこれに集約するかもしれません。
もっと言うと、極めてもそこがネックになっていきます。
サイキックは極めれば極めるほどあっち側の意識(波の世界)に行くので、
そうなるとこっち側(物質の世界)がおろそかになりがちなものです。
なので極めても結局、「サイキックの天敵は妄想である」の所が危うくなってきます。
肉体が現実にある以上は、現実をどう生きるかを考えながらサイキックと向き合わなければなりません。
それから、なんで「妄想」が一番重要な問題になってくるのか?
これは「主観と客観」の話が絡んでくるものでもあります。
主観と客観の哲学
サイキックに必要な心がけを、
あえて理屈で説明するなら、
「主観と客観の関係性」
が鍵になってきます。
サイキックの世界に入ることは、まず、ミクロの世界に着目することに繋がっていて、
そこから先にある『波の世界』はとても不安定であることを、
『ミクロの世界に着目できるか?』の項で説明しました。
こうした『波の世界』で中心になってくるのは「主観」の意識であり、
逆に、安定した『物質の世界』で中心になっているのは「客観」の意識になっています。
そのため、サイキックの世界に入ることは、
「客観の世界」から「主観の世界」に行くこと
と言い換えることができます。
そして、「客観の世界」から「主観の世界」に行くと、
今まで客観中心の意識で安定していた自身の意識から、
とても曖昧なものが立ち上がってくるようなことが起きていきます。
そうなると、自身の意識の在り方がより大事になります。
それから、「欲望」の問題もまた大事になっていきます。
『波の世界』にあるものを受信する時、
受信したものが自身の個人的な欲望なのか、
必要なメッセージなのかを区別できなければならないことを、
『「波の世界」のものを受信する』の項で書きました。
ここで「個人的な欲望」を強く持っていたら、
「個人的な欲望」に依存したもの(=妄想)が見えてしまい、
本来見えるべきものと違うものが見えてしまうことになります。
そして、自身がそこで「個人的な欲望」の世界を作ることになったら、
「個人的な欲望」の世界に没頭することになってしまうでしょう。
そうしたことを一人で没頭していると、そこで止めてくれる人がいないわけだから、
魔術や魔法の分野では「師が必要」ということがよく言われているわけです。
その辺のセンスが良い人は独学で進むことができるとも言えますが、
できれば頼りになる人が傍にいた方が良いものでしょう。
(しかしながら、邪な人を師にすると洗脳されるリスクもあるため、良い師を見つけるのもまた難しい道だったりしますが・・・)
そんなわけで、サイキックの道へ進む場合は、
「客観」と「主観」を行き来することを踏まえて、
それに必要な意識を育てていく必要があるわけです。
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以前使っていたパソコンは寿命を迎えて、もう見られません。
幾何学図形を思い描いて、見えないイデアを理解したいです。
知花敏彦講演集音声 B170 真理は見えない
https://www.youtube.com/watch?v=bEE6fjFvt1M
カスタネダのテンセグリティーの本を、分解して読みやすくします。
日月神示は、龍音の巻と 白銀の巻と 光の巻を時々読みたいです。
カンフー映画「 蛇拳」訓練シーン抜粋 1978年劇場公開
https://www.youtube.com/watch?v=d-nCA6lTV0s
出口王仁三郎聖言集『三鏡』から抜粋します。
取違いの信仰
信仰はまったく自由なものだ。
神の道では、取違いと慢心とが一番おそろしい。取違いしていると神の目からは間違いきったことでも、自分は正しい信仰だと思って進んでゆき、他からの忠言も戒めも聞かない。そして行くところまでいって、ついにつき当たって鼻を打ってヤット気がつく。そして後をふりかえって初めて背後の光明をみて驚き、正道に立ち帰るのである。
ともかく、間違っていても神から離れぬことが大切である。やがてはかならず自分から気がつくことがある。間違っているからといって、やたらに攻撃してもつまらない。
じつは、みな誰でも取違いのないものはない。今日のところ、まだ本当にわかったものは一人もないのだ。 (昭和六年十一月・玉鏡)
無知を自覚して多少の知識欲あってもプラトンの本をあまり読んでいません。新海誠監督に『パイドロス』を映画化してほしいです。
カスタネダのテンセグリティーの本を、大きなはさみを使いハードカバーを取り除いて、11の纏まりに分解しました。使っているうちに自然と、さらに分解してゆく予定です。