不定期連載『サイキックの研究と分析』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇サイキックに必要な心がけ その2◆◇
引き続き、サイキックに必要な心がけについて書いていきます。
このテーマは色々と書こうとするとかなり長くなりそうなので、
今回で終わりにしておくぐらいにします。
『サイキックの研究と分析』シリーズでは、
随所で「心がけ」に通じる話を書いたので、その辺から学び取って欲しいです。
例えば、『47.固執してしまうこと』の項で書いた通り、
サイキックの基本がおろそかになると、
「分かったつもり」のままちゃんとした理解ができないままになってしまうことがあります。
「目に見えないもの」が相手の場合は、安易に分かったつもりにならず、
常に自問自答していくスタンスが必要になるでしょう。
あと、「他人のやり方」や「表現の違い」というのは確実にあるので、
それに対しては寛容になるべきです。
そこが駄目だと宗教戦争みたいなことになってしまいます。
それから、『48.癒着してしまうこと』で書いた通り、
サイキックを使うのは肉体的負荷もあり大変なので、
癒着してしまうリスクがあります。
感覚があっち側の世界に行き過ぎないように、
グラウンディングとかも重要になっていくし、
「普通の人の常識的な生き方」の意義についてよく理解しておくべきです。
人は自分が信じたいものを信じたい
「サイキックの天敵は妄想である」と前回書きましたが、
加えて、「人は自分が信じたいものを信じたい」っていうのも確言としてあると思います。
これもまた意識とか心とか欲望の問題になります。
考えてみれば、危うそうな宗教とか霊感商法が流行るのは
「自分はあまり苦労せずに、すぐに幸せになることができる」というのを信じたいからと言えるでしょう。
しかしながら、実際はそんなに簡単にいくわけがないものです。
成功をするならするで、継続的な努力からの他者貢献に成功するとか、
何かしらの因果があって、初めて健全な成功へと繋がります。
中には、簡単に幸せを掴む感覚でやってる人も世の中にいたりしますが・・・
それは凄いことを楽しくやってのける能力やセンスがあるという話です。
こうしたことは普通のビジネスとかでも重要な話ですが、
サイキックの場合は、心の問題がおろそかだとさらにそのリスクが大きいと言えるでしょう。
自分の信じたいものは、ただ自分の個人的な欲望を満たしたいだけになっていないか?
ちゃんとやることをやった上で、欲しいものを手にいれたいと願っているか?
その辺の意識の問題を自問自答していく必要もあると思います。
あとは、サイキックにこだわらずとも、人生色々なので・・・
サイキック的に「信じたいものを信じる」生き方が危うそうかもしれないのであれば、
普通にサラリーマン的に生きるというか、
男は男らしく女は女らしくの幸せを掴めば良いみたいな、
そういう一般的な価値観で生きていくのもアリなので・・・
サイキック関係なく、結果を出すために努力する必要があるって価値観で普通に生きて、
そこそこの幸せを掴むのもアリでしょう。
色んな人とやり取りしてるうちに、自分の信じたいものが他者には簡単に通らないことも多いので、
人生うまくいかないこともありますが、まぁそういうものでしょう。
サイキック的な発想がある一方で、普通の発想も大事だと思います。
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